夜。
夜。俺とアルは必ず別々の部屋にいる。
俺はベッドで。アルは――
俺の弟、アルフォンスは眠れる身体を持っていない。
眠気を感じる身体がない。だから、眠れない。
俺は、そんな弟がどうやって夜を越えるのかを知らない。
知りたくなかった。
アルは俺に何も言わなかった。
だから、俺は聞かなかった。
俺は、事実から、目を逸らして逃げていた。
自己嫌悪。激しく自己嫌悪する、ベッドの上。
右手で、熱くなった瞼を冷やす。人ではない、鉄の温度。
その鉄で出来た弟の身体は、どれほど重いのだろう。
俺は、俺のあの時の選択は正しかったのか、間違っていたのか。
あれは、俺の醜いエゴだったのか。
考えれば考えるほど眠れなくなって、俺は起き上がった。
軟らかいベッド。そこから離脱して、俺はとりあえず便所に行った。
出もしない用を足して廊下を行く途中、俺は足を止めた。
アルのいる部屋の前。
アルが一人で、そこにいる。
俺はそっとドアに耳をへばりつけた。目をつぶって、じっと中をうかがう。
しかし、何も聞こえなかった。ただ静かに風の音だけがする。
(…アル…?)
まさかいないハズねーのに、と俺はいぶかしんだ。
さらに耳を澄ますこと数分。やはり何も音がしない。
俺はますます気になって、心配になった。
何がどうなってるのかわからないと気がすまない性質だから、こうなるともう止まらない。
俺は思い切って、声を出してみることにした。
「アル…?」
そっと出した声は、小さく掠れていた。
これじゃあ聞こえてねーだろーなぁ、と思いつつ、俺はそっとドアノブを捻る。
ぎぃぃと音を立てて、ドアが開く。部屋の中は真っ暗だった。
真っ暗な中に、カーテンの空いた窓。
アルは、そこにいた。月の光が、冷ややかにアルの身体を照らす窓際に。
小さく身体をまるめていたアルは、俺を見て驚いたように顔を上げた。
「に、兄さんっ!?」
>「あ、お、おう、アル……」
なんと言っていいのかわからず、俺は頭をかく。
「何やってんのさ…まだ夜中の3時だよ?」
壁にかかった時計を確認して、アルが言う。
俺は、ちょっと眠れなくてさ、と、アルの隣に座った。
板張りの床はひんやりと冷たい。
「だめだよ、ちゃんとベッドで寝ないと。兄さん、いつまでたっても身長伸びないよ?」
「うるせーやい。」
軽くアルを小突いて、俺は言った。
恐る恐る、アルの顔を見やるが、表情はわからない。
寒くもない、暑くもない、眠くもない、腹も減らない。そんな弟がこんなところで小さくなって、一人夜を越える。
俺は、どうしていいのかわからなかった。けど、それをアルに伝えることもできなかった。
「何やってんだろーな、俺…」
「全くだよ。ほら、早くベッドに行かなきゃ。」
アルがせかす。俺は、でも動こうとはしなかった。
「兄さん?」
アルが、俺の沈黙を心配してか、そう言って俺を覗き込んだ。
俺は何か言わねばと思った。けれど言葉が何も出てこなかった。
空虚な論理とか、大人が教えてくれた嘘とか、言い訳は不得手ではないけれど、弟にそんな方法は通用しないし、してもらっちゃ困る。
俺たちは、たった二人の兄弟なんだ。
「なぁ、アル。」
俺はアルの手の部分を握った。左手で、そっと手をつないだ。
「今日は俺、ここにいるから。」
「…え?」
「今日は、アルと一緒にいるよ。」
弟はその言葉の意味を理解するのに少し時間を要したようで、考えるように一瞬沈黙してから、
「だめだよ、ベッドで寝なきゃ。風邪ひいちゃうよ?」
「だーいじょーぶ!それよりアル、ここで一発ゲームでもしようぜ。」
「ゲーム?」
アルが俺の方を見る。俺はえーっとだな、と頭の中から捻り出した。
「錬金術専門用語しりとりとか。」
「そんなのやって楽しいの?」
「うぐっ……た、たぁのしいに決まってんだろ!」
「兄さん声が大きいよ…」
「……。」
落ち着いた弟の切り返しに冷や汗をたらしつつ俺が次のゲームを考えていると、突然身体が浮いた。
「ったくもー兄さんは……よいしょっと。」
「へ…?ってうおぁッ!?な、ちょ、は、や、やめろって!」
「だから兄さん、声が大きいんだよ…」
アルは俺を担いだまま呆れたようにそう言うと、俺をベッドの部屋まで連れてきた。
ゆっくり丁寧に、俺をベッドの上に下ろす。
「はい、ちゃんと寝てね、兄さん。」
言って、立ち去ろうとするアルの、頭部に付いた白い飾りを俺は掴んだ。
「アル、ちょっと待ッ…」
向こうへ行こうとしたアルの、頭部がもげた。
「あ…」
「ちょっともぉ、兄さんッ!」
振り返って不満そうに言う弟に、俺は、すまんすまん、と片手を上げる。
「もー兄さんはー…」
頭部をアルの鎧のあるべき場所に固定してやる。
俺は、まだぶつぶつ言うアルを嗜め、ベッドの脇に半ば無理やり座らせた。
「兄さんは布団に入って」
と、母親のような口調で言うアルに、俺は苦笑しつつ布団に入った。
そこから、左手をアルに伸ばす。
アルがそれに気づいて、「何、兄さん?」と聞いてきた。
俺はアルの手をとった。
「こうやってたいんだ。」
そっと握ると、鉄の冷たい感触の中に、弟が見える気がした。
それはきっと、俺の勘違いなんだろうけど。
「兄さん…」
「迷惑だよな。」
言うと、アルは首をふって、俺の手をそっと握り返した。
痛くないくらいの強度で握り返す手は、間違いなく弟の手だった。
「兄さんは、ちゃんと寝なきゃだめだよ。」
「ん…おやすみ、アル。」
「おやすみ、兄さん。」
優しい弟の声が、俺の耳の奥で何度も木霊して、消えた。
アル視点続きアリ。