一
小さな安物の腕時計を見て、俺は嘆息した。
時刻は昼の三時を少し回ってる。平日の昼下がりだった。
こんな時刻なのに、部屋のカーテンは昨日の夜から開けられることがなく、ちらちらと太陽の光がこぼれてくるのが本当に鬱陶しかった。
全身が気だるい。
たまらなく憂鬱で、起き上がるのも億劫で、俺はもう一度時計を確認してから顔面を白い枕に再び埋めた。
昨日は何度求められた?
昨日は何度奉仕した?
もう、そんなことは覚えていない。
ただ、いつものようにそれはとても不快なものでしかなく、空虚な喘ぎ声と、教わった舌使いを披露するための舞台のようなものだった。
俺は、役者だった。あの男のためだけの。
「おはよう、鋼の。と言っても起きるのは二度目だがね。」
声がしたが、俺は枕から顔をあげなかった。
あげなくとも、男の行動はわかってる。俺が見なければ、あいつは無理やり自分のほうを向かせようとする。
案の定、男はかちゃんと何かをテーブルに置いてから、ベッドに座った。
うつ伏せの俺の三つ編みを力任せに掴みあげる。
「返事をしなさい、鋼の。」
心の底から爽やかな笑顔で言う、ロイ・マスタングという男。
29歳という若さで、大手製薬企業の重役にまで上り詰めた男。
俺が憎くて憎くて、殺してやりたい男。
「おはよう、ロイさん。ごめん、気づかなかった。」
俺は自然に笑って見せた。
ロイもそんな俺に上辺だけ優しく微笑んで、そのまま俺の頭を今度は枕に叩きつける。
枕もベッドも軟らかいが、衝撃はそれなりにある。
が、それ以上に嫌なのがロイがそのまま俺の頭を枕にこすりつけることだった。
こうなると呼吸が出来なくなる。
ぐりぐりと、俺の髪を乱れさせ満足したのかロイは手を離した。
「いけない子だね、君は。ほら、昼食を持ってきたよ。食べなさい?」
俺は顔をあげた。
サイドテーブルに載せられたサンドイッチと紅茶のセットからは、現実的でとてもいい香りがした。
「ありがとう、ロイさん。」
俺が起き上がって、それに手を伸ばそうとすると、ロイがそっと制止した。
「私が食べさせてあげるから。」
不快。不愉快。不快。不愉快。そして、殺意。
ロイがさっきまでサンドイッチだったモノを、唾液と一緒に俺の口内へ流し込む。
それを甘んじて受けながら、俺の中でそんな感情が波のように引いては打ち寄せるを繰り返し繰り返した。
「じゃあ俺もロイさんに食べさせてあげる。」
俺は笑ってサンドイッチの一切れをかじった。
ロイの冷めた頬を両手で掴み、口に含んだサンドイッチを口移しで流し込む。唾液もたっぷり混ぜ、おまけに舌を挿入すると、ロイも応じてきた。
男の舌が、俺の口内を汚す。
「んっ…」
呼吸の合間に吐息を漏らして、俺は更にロイに唾液を流し込む。
ロイの大きな手が、俺の髪をかき乱し、首筋をなぞり、胸板を撫でる。
俺はロイの背中に手を回して、そっとベッドに倒れこんだ。
「ロイさん、俺のど渇いちゃったかも。」
「相変わらず口が旨いな、鋼の。だが飲ませてやる気はないよ。」
ならよかった。そう思うが口には出さない。
ロイは俺の首筋に顔を埋めた。
吸い付き、執拗に痕を残し、それから耳たぶに噛み付いた。
「ひっ…」
「相変わらず感度がいいね。昨日の夜も、今朝も、なんどもなんどもイかされたのに……」
言いながら、ロイはベッドの裏に隠していた手錠で俺の両手を繋いだ。
「何すんの、ロイさん。」
「セックスに決まっているだろう?他に何があるんだ。」
そりゃそうだ。それ以外ない。
こいつは俺にそれ以外を求めはしない。それ以上を求めはしない。
「ああ、いい絵だ。鋼の、両手を頭上に上げなさい…」
言われたとおりにしてやる。両手を頭上に掲げ、完全降伏の姿勢。
「…こうか?」
「そうだ、いい子だ。」
優しい言葉で褒めながら、俺の身体を這いずり回る手と、舌。
胸の突起を強く噛まれて、俺が思わず喘ぎ声をあげると、男は至極満足そうな顔をした。
「可愛いよ、鋼の。噛み千切って食べてしまいたいくらいだ…」
鋼のの肉はきっと美味いんだろうな、と呟きながら、手はズボンの中へ入れられた。
俺のをそっと掴みあげる。
要領を得たその手こきで俺は息を荒げた。
わざとらしいくらいに、荒く、大きく、激しく。
「ひぃっ……ぁッ…ぁあっ……!」
ロイが、俺のズボンを半ば無理やり引き摺り下ろし、パンツも下ろして、そのまま口に含んだ。
生暖かい、口内の感触。舌が俺のものに唾液をからめ、俺の脳を荒らす。
「んっ…あぁっ…ロ、ロイさんっ…」
膝を立て、腰をくねらせ身を任せる。
それは、快感に、ではなくて、成り行きに。ただ成り行きに身を任せる。
ここにいると、そんなことばかりが得意になった。
「あっ…あぁ……だめっ…イくっ…」
そんな言葉を恥ずかしげもなく口から吐き捨てて、俺はロイの口の中で果てた。
俺とロイの位置関係を言葉で示すとしたら、多分愛人≠ニいうのが一番しっくりくる。
別にロイには妻も子どももいないが、もしこの先ロイが妻を持つようになったとしても、俺たちのこの関係がなくなることはないだろう。
初めてロイの豪邸を訪れたときに、俺はロイに犯された。
俺は泣いて泣いて、暴れに暴れた。
無機質なコンクリートで囲まれた近代的な豪邸に閉じ込められ、破れた服を引きずって逃げ回った。
「ロ、ロイさんっ…やだっ、やめろッ…放しやがれ!!」
最初は何がなんだかわからなかった。
仕事上の知り合いで、それなりに信頼を置いていたロイに後ろから抱きすくめられ、そのまま股間に手を伸ばされた俺は慌てて抵抗した。
が、身長差から、俺は身動きが取れず、ロイはそんな俺の服を力任せに破いて捨てていく。
必死の思いで逃げ出すが、すぐに追いつかれた。
後ろから髪をつかまれ、そのまま壁に頭をぶつけられ血を流し、それでもまた逃げ出そうとした俺の背中を踏みつけにして、ロイは俺を犯した。
俺が苦痛に顔を歪めるたび、ロイの漆黒の瞳がどこか不気味に輝きを増し、口元には笑みすら浮かんでいた。
遠慮のない、自己の欲求を満たす為だけの愛撫が何時間も続いた。
弾力のある舌が俺の耳にいれられた時には、もう俺には抵抗するだけの力も精神力も残っていなかった。
そうやってほとんど毎日犯されるためにロイの家へ通った時があった。
そのうち、なんだか抵抗するのが馬鹿らしくなって、俺は自ら脚を開いた。
自らロイを求めた。
大人の男の股間に顔を埋めているうちに、本当にどうでもよくなってきた。
俺の身体に対する何かが、無くなった。
それは愛着かもしれないし、執着かもしれない。
あるいは、プライドが、俺の頭から消え去った。
結局ろくに昼飯も食えずに、俺はまたロイと交わった。
白濁色の液体で汚れた俺の顔。
俺は手錠を外された自分の手でそれをぬぐっては舐めるを繰り返した。
飲みなれたロイの精液の味に吐き気を覚えない時はない。
「まるで猫だな。」
そんな俺を見て、ロイが言う。
俺は、まだ布団から出てこないロイの上にまたがった。
はりつく前髪を、ロイがそっと払いのける。
「鳴いてやろうか?」
にゃーごにゃーご、と俺はロイの耳元で囁いた。ついでにロイの耳をぺろぺろ舐める。
「君が猫なら首輪を用意しなくてはね。君はどうせ気まぐれな野良猫だから、ちゃんと繋いでおかないと……」
ああ、綺麗な毛並みの猫だな、と手をのばして、俺の髪を弄ぶロイ。
俺はロイに身体を密着させた。
ロイの温度が直に伝わってくる。呼吸の上下運動も、唾液を飲み込む行動も。
「首輪なんかなくったって、俺はあんたのもんだぜ?」
唇を歪ませて、上目遣いにロイを見る。
彼は、目を細めた。口元にだけ、嘘の笑顔を造る。
ロイの黒く鋭い瞳は無機質だった。
そこに人間の感情が宿ることはない。
「可愛いね、鋼の。君のそういう白々しい物言いを聞いていると虫唾が走るよ。」
刹那、俺の額に痛みが走って、俺の顔はひっぱりあげられた。
ロイが、俺の前髪のねっこを無造作に掴みあげたのだ。
「へへ、俺もあんたのこういう暴力的なとことか大好きだ。原始的で馬鹿みたい。」
「そうか。ならば存分に味あわせてあげるよ。」
言い捨てて、ロイは俺をベッドに叩きつけた。
身体を入れ替えるようにして、俺の上に乗る。
そして横腹に膝蹴り。直後に来る激しい痛みに俺は悶えた。
「あっ…がぁ…」
「可愛いね、鋼の。本当にいい顔をしてくれる。」
膝に体重をかけて、俺が苦悶に喘ぐ姿を舐める様に見つめる。
見られている、と思うと俺は興奮する。
相手がこんなにも憎いのに。いや、むしろこんなにも憎いからかもしれない。
殺してやりたいほどの憎悪と嫌悪を抱いたまま、俺は男から与えられる苦痛と快楽を堪能した。
ロイが、俺の首に手をかけた。
耳たぶに甘く噛み付き、耳の穴に舌を挿入しながら、その手に力をこめる。
気道が外部から強制的に閉じられる感覚。
俺は目を細めた。意志とは関係のない涙が溢れて頬を濡らす。
「あっ……か…ぁッ…」
それ以上の言葉を紡ぐことは出来なかった。
かすれたからからの口内からもれるのは、音の無い、渇いた風のみ。
俺は目をあけていることすら辛くなって、ぎゅっと閉じた。
「止めて欲しい?」
首を絞めている相手にそんなことを聞くのが無駄だということを、この男はわかっているくせにやる。
ロイ・マスタングは、無駄なことが好きなのだろうか。
それとも、実は不感症なのだろうか。
だから、普通のセックスではイけないのだ。
相手を痛めつけて、散々いじめぬいて、そうしてやっと快楽を得られるのだろうか。
だとすれば、なんて不幸な男だろう。
俺は再度同じ質問をしてきた男にむかって、必死に首を縦に振った。
ロイはにっこり笑って、首にかける手を緩め、俺の頬を伝う涙を舌でぬぐった。
「続きはまた今度だ、鋼の。私はそろそろ仕事に行かねばならない。」
言ってロイはさっさとベッドから離れる。
「…これから仕事?休みじゃないの?」
「休みではない。基本的に休みはないんだよ。」
「ふぅーん…」
俺は上体を起こした。
ロイはシャワーすら浴びずに、そのまま上からスーツを着込んだ。
その様子を、俺はぼんやり、何も考えずに本当にぼんやりと眺めた。
「君は適当に帰りなさい。弟も心配しているだろうから。」
言うロイに、俺は返事の代わりに頷いた。
「あと、金はいつも通り、口座に振り込んでおいたよ。」
「うん……いつもありがとう、ロイさん。」
俺は白々しいほどの笑顔でロイを見送った。
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