告白
普段の話し言葉とは別に、母国語があるというのは至極便利で、狡いとアレンは思う。
世界中から集められたイノセンスの適合者と、それからファインダー、研究者たち。
普段は流暢に公用語を話すホームの住人たちも、プライベートでは、特にそれらが一同に集う食堂では、仕事から解放された安堵感からか、偶然にも見つけた同郷の者達との間で、(アレンからすれば)聞き慣れない異国の言葉を交わす事が多い。
プライベートでなくても、たとえば仕事で何か衝突があったときとか、何か考え事をしているときとか、あと、何か聞かれたくないことを言う場合とか、無意識に出てくるのはやはり母国語で。
自分の頭は、異国の言語を言葉と言うより何か異質な音と認識するらしく、意味は全くわからないのに注意を引かれる。必要以上に耳に引っかかるのに、何を言ったか問い直しても答えてくれるケースは皆無に近い。
たとえば神田と言い合いをしているときとか、それが終わった後とかに彼が漏らす、普段なら気付かないような小さな独り言がやけに気になって、しつこく問いただす内にまた怒鳴り合いが始まる、というのは日常茶飯事。毎度のことなのだから自分もそこまでムキになって独り言を聞き出そうとしなくても良いと思うのだが、その自分を追い払おうと、平時の冷徹な表情を崩して顔を紅潮させる神田も神田だと思う。聞き返されて言えないようなことを呟かなければいいのに。結局その神田の態度は逆効果で、益々アレンの興味を引くのだが、神田本人は気付いていないらしい。
顔会わせるたびに喧嘩しちゃうなら、食事の時間をずらしたらどう?と、大喧嘩をして挙げ句の果てにイノセンスを発動させ食堂の机を3つほど破壊したときに、にこやかに青筋を立てたコムイにそう忠告されたのだが、大食漢のアレンがそう何時間も昼食を我慢出来るはずがないし、だからといって神田が気を遣って時間をずらすような性格なら、そもそも喧嘩は起こらない。せいぜい離れて食事をするくらいしか打つ手はないのだが。
「痩せの大食い。」
不意に後ろから声をかけられて、アレンは口に含んでいたパスタを危うく吹き出しそうになる。のどに詰まらなくてよかったと安堵しながら、とりあえずそれを水と一緒に飲み下して。
「人の近づいてくる気配もわかんねぇのかよ」
「気配消してたのはそっちでしょ!わざわざ離れて座ってるのに、どうしてわざわざ絡みに来るんですか!」
食事を邪魔された抗議の声。しかし当の神田は、昼食だろうトレイを持ったまま、にやりと唇の端を持ち上げただけだった。大盛りに盛られた皿をアレンの方に押しのけてトレイを置くと、神田はアレンの隣の椅子を引く。
「絡みに来たんじゃねぇよ。どこで食べようと俺の勝手だろ」
「それは、問題を起こさない場合です。あ、ちょっ…何隣に座ってるんですか!」
「皿どけろよ。こっからは俺の陣地な。入ってくんな」
「なに子供みたいな事言ってるんですか!それに、狭いのが嫌なら違う席行って下さい。」
言いながらも、パスタを口に運ぶ手は止めない。心情的には、向こうがどこかに行ってくれないなら、自分が席を移動したいくらいだが、まだあと海老ドリアと麻婆豆腐が残っているのに、そんなことをしていたらせっかくの料理が冷めてしまう。
それ以上何も言わず、箸を割ってそばを食べ始める神田に(そういえばこの前の喧嘩は、その箸の使い方を教えてくれとアレンがねだったことから始まった)、アレンも安心する。やっと静かに食事の続きができる、と食べ終わったパスタの皿を他の空いた皿の上に重ねて、麻婆豆腐を引き寄せる。レンゲですくって一口、ゆっくり唐辛子の辛さをかみしめて、おいしいと呟きながら嚥下する。至福の時間、という言葉がまさに合う。
「…………」
神田の視線を感じて、小首をかしげる。美味しいものを食べると気分が和むというのはまさしく真理で、普段なら癇に障るその睨め付けるような視線も不思議と気にならない。むしろ何か言いたいことでも?と言う代わりに、にっこり微笑んだ。
「っ……」
眼を付けて、まさか微笑まれると思わなかったのだろう、神田があからさまに動揺して(表情はほとんど変わらなかったものの、がたんと椅子の動く音がした)、箸が転がる音がする。
「あ」
その音に反応したのはアレンの方で、神田の椅子の下に転がる箸を確認すると自分の椅子をずらして手を伸ばした。机の上にあったナフキンで、箸を軽くぬぐう。
「神田?」
反応のない神田に、もしかして余計なことをしたのかも、とアレンは焦った。せっかく何事もなく食事が進んでいたのに、またここで神田がキレたらいつもと同じ展開になる。
「神田……?」
おそるおそる、固まったままの神田の顔をのぞき込む。神田の闇色の髪の毛からわずかに見える耳が、真っ赤になっているのに気付いて、アレンは少し遠慮目な声色で神田の名前を呼んだ。
それから、少し間が開いて。
「……なんだ」
呪縛から解放されたように、なんとか腹の底から絞り出されたような声が返ってきた。
怒ってる!と、アレンは直感で悟った。とりあえず、自分の行動に落ち度はなかったつもりだけれど、どこで彼の逆鱗に触れたのかがわからない。また喧嘩で何かを破壊するわけにも行かない。というより、食堂で喧嘩をするなんて他の食事をしている皆さんに迷惑になる。これ以上事態を悪化させないために、他の大勢の食事を妨げないためにも、アレンは全体のために個を捨てることにした。
すなわち、食事を残して部屋に帰る。
ジェリーさん、農民漁民の皆さんごめんなさい!と、胸中涙をこらえて懺悔しながら、レンゲを置いた。神田の視線を痛いほど感じる。逃げるな、と言うことだろうか。けれどもこれ以上、食堂の雰囲気を険悪にするわけにはいかない。
なるべく静かに(音を立てたら余計に神田を刺激してしまいそうなので)空いた皿をトレイに乗せる。神田から遠いところに置いてある皿に手を伸ばしても、いちいち神田独特の抉るような視線が突き刺さる。悪いことなんてしてないのに、と理不尽さを感じながらも、場を丸く収めるために自分が大人になろうと、とにかく手を動かす。
「お先に失礼します」
なんとか皿を全部トレイに乗せて、椅子を引いたとき。
「……残すのか?」
低い声。アレンはどきりとした。とっさに適当な答えが出てこない。お腹がいっぱい、なんてあからさまな嘘をつけば神田は怒るだろうし、馬鹿正直にこのままだと空気が悪くなりそうだから、なんて言うわけにはいかない。必死に頭を回転させた結果、下手なことは言わない方が良いという結論に至った。
「……はい」
「……………………」
お互い黙り込む。このまま立ち去ってしまえば良いんだろうけれど、とアレンは背中に汗をかきながら思った。目は口ほどにものを言うと言うが、神田の目がそれを許してくれない。何か言いたげな目で、じーとアレンの顔をにらみつけている。
「……神田?」
神田は何も言わない。口が薄く開いて、アレンは何か罵られるのではと身構えたが、出てきたのは力の抜けた息だけだった。
「神田?」
胃に穴があきそう、と思いながら、もう一度アレンは神田の名前を呼んだ。何が言いたいのだろう、まさかいつも人の顔を見ればモヤシモヤシと悪態をつく彼が、罵声を発するのに躊躇するとは考えにくい。
「ねぇ神田?」
「るせぇ……」
しまった、しつこくし過ぎたと、アレンは体温が下がるのを感じた。早く行かなきゃ、と身体を反転させた瞬間。
「 」
神田の発した'音'は、それは確かに何かの言葉だったのだろうけど、アレンには解らなかった。
解ったとしても声が小さすぎて聞き取れなかったかもしれない。え?と思わず振り返ったが、神田はそっぽを向いてしまっていて、表情はわからない。ただ、普段のように、罵られたのではないと言うことだけは解った。何かもっとそれとは逆の……。彼は、何を言った?
「神田?」
トレイを持った手に、軽く力が入る。問い直しても、怒られない気がした。
「今、なんて……」
アレンの声に、神田がゆっくりとこちらを向いた。滅多に表情を変えない神田の黒い瞳。それが少し揺らいで、薄い唇が戸惑いながらも開かれる。
「神田くん、僕さっき10分でご飯食べてきてねって言わなかったっけ?」
「あ、コムイさん」
「………………」
予期しなかった気配の出現に、神田は沈黙する。憮然とした様子で、アレンから顔を背けまたそっぽを向いてしまった神田の横に、いとも簡単に彼の背中を取ったコムイは、困るんだよね〜任務詰まってるのに、と言いながら手に持っていたコーヒーを置いた。
「コムイ、てめぇ……」
神田は顔は背けたままで、それこそ、地の底を這うような声と共に舌打ちした。
アレンはコムイの登場よりもむしろその神田の鋭い殺気に驚いたが、コムイはさらっとそれを受け流す。もしかしたら気付いていないだけかもしれないけれど。
「神田くんなかなか来ないし、呼んできてもらおうと思ったらリーバー班長もリナリーもいないし。やっと一息ついてコーヒー飲めると思ったのに〜今飲んでるから良いんだけど」
ぶーぶーと不満を言うコムイに、お疲れ様です、とアレンが微笑んで、コムイが嬉しそうにそれに応えた。
「あ、じゃあ邪魔しちゃいけないし僕行きますね。コムイさんお仕事頑張ってください」
「あれ、アレンくんご飯残しちゃうの?」
「あ……はい」
収まりかけていたところをまた刺激するようなコムイの言葉に、思わずアレンは神田の表情を確認する。幸い、あまり気にしていないらしく、さっきと同じむすっとした表情で正面を見て頬杖をついている。ほっと胸をなで下ろす。
「せっかくだから、夜食用に頼んで詰めてもらったら?残しちゃうのもったいないでしょ」
「あ、はい、そうします!」
嬉しそうにジュリーの所にトレイを持って行くアレンを見ながら、さっきまでアレンが座っていた席に今度はコムイが腰を下ろした。
「ごめんね、こっちも急いでたからさ。邪魔しちゃった?」
「………別に」
「そんな怒らないでよ〜、せっかくのお蕎麦がまずくなっちゃうよ?」
捉え所のないコムイの笑顔に、神田は至極イライラしながらずるずる蕎麦をすする。喋るな、と言うオーラを力一杯出しているのだが、他の人間には通じても変態室長には通用しないらしい、神田が聞いていないのも気にせずべらべらと喋り続ける。早くしろとアレンとの話を打ち切らせておいて、自分はひたすら喋りまくるとはどう言うつもりだと悪態を付きたくなる気持ちを抑えながら神田はコムイの話を右から左に聞き流して、箸を運ぶ。いつもより眉間に寄った皺が多い神田を見て、コムイはまだ怒ってる〜と笑う。コムイの存在さえ無視すれば、平穏な食事時のはずだった。
コムイが、満面の笑みを浮かべながら言った言葉を聞くまでは。
「神田くんって、アレンくんのこと好きだったんだね」
ぶはっと口に含んでいた茶が飛び散った。
行儀悪いよ神田くん、と困った顔をするコムイに、反論の言葉すら出てこない。
というより、気管に茶が入って言葉すら出せないのだが。ごほごほと咳き込みながら、なんとか自由になる眼で、精一杯睨み付ける。
「好きな子をいじめたい気持ちはわかるけど、その愛情表現はアレンくんには通用しないと思うよ」
子供みたいだねと、付け加えながら、まだ気管の中の茶と格闘してる神田に微笑みかけて立ち上がる。そのコムイの笑顔には、神田の眼光も通じなかった。
「次はアレンくんにもわかる言葉で告白してあげようね」
そうしたらちょっとは、無意味な喧嘩も減るでしょ、と。
次