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食後のデザート、常人にしては少し量が多いかもしれないが、スコーンとクッキー、パイをそれぞれ10個ずつ注文した。
ちょうど今焼いてたの、もう少しだからちょっと待っててね〜と言うジュリーの言葉を素直に聞いて、アレンが待つこと5分ほど。
お昼時からは少しずれていたためか、食堂にはちらほらとしか人がいない。見たところ、近くに知り合いもいないようなので、仕方なく手近な席にコートを置いて、カウンターに寄りかかって厨房の中に目をやる。
昼の一番忙しい時間帯は過ぎても、厨房の中は何人もの料理人がせわしなく働いている。
この本部の中で勤めている全員分の食事を用意しなければならないのだから、その忙しさは容易に想像出来る。時間的には夕食の仕込みをしている頃か。
普段はこんな時間に来ないので今ひとつ様子がわからないけれど、中は修羅場状態なのだろう、いつもならアレンを構いに来るジュリーですら、奥に入ったきり出てこない。
早くスコーンが食べたいなぁと視線を中に漂わせてお腹をさすっていると、よく知った足音と気配が近づいてきた。
長い黒髪と、愛想を最大限に出し惜んだ不機嫌な表情。その表情が、アレンを認めた一瞬少しだけ和らいだ。
「モヤシ……こんな時間に珍しいな」
モヤシじゃないですってば、と反論するのをアレンはとっくに諦めていた。なんせ一週間前――アレンが好きだと告白して、晴れて両想い、俗に言う恋人同士になった次の瞬間ですら彼はアレンをモヤシと呼んだのだから、更生がとっくに不可能なのは分かり切っている。
もしかしてアレンという名前を知らないのかも知れない、と2日真剣に悩んだが、それはいくら何でもあり得ないと呆れながらもリナリーが断言してくれた。
以来、彼が自分をモヤシと呼ぶのは、神田や自分がティムキャンピーをティムと呼ぶのと変わらないのだろう、と思うことにしている。
ちなみに2人が付き合っていることは、リナリーしか知らない。(と純粋にアレンは思っている。本当はリナリーからコムイに、コムイからリーバーにしっかり伝達されているのだが)
「神田こそ、もうおやつの時間ですよ?」
「コムイに書類整理を手伝わされた」
その手伝いは神田の意にそぐわないものだったのか、(もっとも彼が自ら進んでコムイの手伝いをする訳がないから、おおかたリナリーあたりに押しつけられたのだろう)答えながら不機嫌そうに眉を寄せた。
そういえば、団服の裾に少し埃が付いている。だいぶこき使われたのかも知れない。
あの、コムイの机周りに密林のように高く無造作に積み上げられた書類の整理は、一苦労だっただろう。基本的に頼まれごとは嫌な顔をせず請け負うアレンでも、あれを片づけるのは気が重いと思う。
「お昼も食べずに、ですか?」
「ああ。……あ、蕎麦一つ」
はーいとカウンターの近くにいた料理人が神田の注文に応えて、奥に下がる。
「モヤシはこんな時間に何やってんだよ」
「僕は、食後のデザートを食べに来たんです。」
「食後にしては遅ぇだろ」
「えっと……もともと今日お昼遅かったんで。しかも食べ終わり間際に、コムイさんが来て」
「あのやろ、あの時ここに逃げてきてたのか……」
「あ、やっぱりですか?途中で休憩しに脱走してきたとか言ってました。二日くらい寝てないとかで。三十分くらい愚痴って、最後にはリナリーに連れて帰られてましたけど。で、そのときにちょっとお願いって荷物運び頼まれちゃって」
コムイさんも大変ですね、と苦笑するアレンに、神田は目を細める。他の人には絶対に見せない神田の表情に、アレンも嬉しそうに微笑む。そして何か神田がアレンに言いかけたとき。
「は〜い、アレンちゃんお待たせー」
「あ、ありがとうございます!」
ジュリーが差し出したスコーンとクッキーとパイに、アレンの興味は一気に神田からそちらに移った。焼きたての香ばしい香りがアレンの嗅覚を刺激する。
一方、食べ物の前に完全に敗北を期した神田は、疲れと空腹と、それから話の腰を折られた苛立ち(アレンの関心を奪った食べ物への嫉妬とも言う)から眉根の皺を深くする。
「おい、俺の蕎麦は?」
「もうちょっと待ってね。それにしても、あんた相変わらず可愛げないわねぇ……」
「…………」
お前に可愛いと言われても嬉しくない、とか、その気持ち悪い口調を何とかしろ、とか言いたいことは山ほどあったが、教団内唯一の食堂の料理人を敵に回すのは死に値する。喉元まで出かかった罵声を理性で抑え、言葉の代わりに無言で睨み付けるが、ジェリーはアレンに、美味しそうでしょ〜?と話しかけていて、神田のことは歯牙にもかけていない。アレンもにこやかにジェリーに答えて、和やかな談笑が展開されている。俺の蕎麦は、と神田が口を挟んでも完全に蚊帳の外。神田を無視した会話が一段落したとき、ジェリーぽんっと手を叩いた。
「あ、そうそう、アレンちゃん、さくらんぼ好き?」
「え。あ、はい、好きですよ?」
「それより蕎麦」
「待たせたお詫びに、はい、アレンくんにあげるわ〜」
さっき入荷したの、と差し出された小さな透明皿に、二つ、淡い黄色のさくらんぼが盛られていた。それと、と言って神田にも蕎麦を渡す。蕎麦は出てきたものの、あまりのその扱いに神田が不快の表情を示すと、ジェリーはきょとんとして、
「あ、神田もさくらんぼ欲しかったかしら?」
「いるかよ」
蕎麦を半ば奪い取るようにとって、アレンがコートを掛けていた席の正面に座る。アレンは、ありがとうございましたとお礼を言ってから、神田を追ってカウンターを離れた。少し遅れて席に着くと、目の前にはさっきとは別人のように不機嫌オーラを醸し出す神田が蕎麦をすすっていて、あまりの豹変ぶりに思わず心配になって顔をのぞき込む。
「………神田も欲しかったんですか?」
「は?」
「さくらんぼ…好きだったんですか?」
「………」
更に周りのオーラが黒さを増したのに気付き、アレンは少し慌てた。わたわたと手元を見回し、さくらんぼの軸を一本つまんで差し出した。
「さくらんぼ、二つもらったからあげますよ……?」
「………」
神田は無言のまま……それでも不機嫌さは少しは解消されたかも知れない、とアレンは思った。黒いオーラが消えて、怒って黙っていると言うよりは、アレンの顔とさくらんぼを交互に見ながら何か思案しているようで。
「神田?」
あまりに長い沈黙に、少し困ってアレンが小首をかしげる。それを見て神田は、少し目を見開いた後、ふっと口元を緩ませる。アレンの手からさくらんぼをさっと取って、それを口に含んだ。
唐突な、滅多に見せない神田の優しい笑顔に、さくらんぼが手からなくなったことにも気付かず、アレンが顔を紅潮させた瞬間。
「………俺以外には」
「え?」
「さくらんぼ……俺以外にはやるなよ?」
言って、それから。身を軽く乗り出して、呆然と赤面しているアレンの唇にキスをした。
いくら、食堂に人が少なかったとはいえ。いくら、知り合いがいなかったとはいえ。
厨房の中には料理人がいた訳だし、勿論ジュリーにもばっちりそれは目撃された訳で。
一瞬で我に返ったアレンが、あれほど楽しみにしていたお菓子とさくらんぼと涼しい顔の神田を残して食堂から逃げ去ったが、夕方には2人の仲はすっかり教団内に広まっていた。
後にゴーレムの映像記録で事の次第を知ったコムイとリナリーは、その場にいなかったことを深く悔やんだとか。
後日談だが、翌日、妙に上機嫌の神田の頬にくっきりと手形が付いていたことは、キス事件と併せて後々までの語り種となっている。
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