災厄が去って、ミッドガルが壊滅しても、エルリック兄弟の生活にさして変わりはなかった。
父親であるホーエンハイムが借金を苦に失踪してから、病気がちな母親を兄弟2人で支えてチョコボファームを守り立て、彼女が死んだ後はそれを2人でチョコボの世話をしてきた。メテオが空に出現したときは、さしものエドワードも慌てたけれど、所詮人間死ぬときは死ぬんだと開き直ると案外気も楽だった。
むしろ、ミッドガルから脱出してくる人たちの避難所としてにわか景気、それまでほとんど人の訪れることのなかったチョコボファームは一気に活性化して、思わぬ人脈もできた。避難していた人々がそれぞれ都市に帰った後でもその親交は続いている。メテオで魔晄を動力源とするほとんどの交通機関は使用不可になって、チョコボが再びその役割を見直されたのも大きかった。わざわざファームまでシルキスの野菜を買い付けに来てくれる取引先も出来て、父親が出て行って以来ようやく収益も安定した。まさしくメテオ様々。
その日までは。
「……はぁ、はい、いえ、それは…仕方ないことですし。はい、解りました、失礼します。今までありがとうございました」
「兄さん、どうかしたの?」
浮かない顔で電話を切った兄を心配して、アルフォンスが雑誌から顔を上げる。メンズ○ン○と表紙に書かれたその雑誌は、兄には全く興味関心の対象にならない部類で、いつもなら「そんな洒落た雑誌よく読むなー」と茶化してくる兄が何も言わないのも、アルフォンスは気になった。(兄としては、そんなところで異変を感じるなと声を大にして言いたい)
「フェルナンド農園取引、今月いっぱいだって」
「……また?」
アルフォンスが眉を寄せる。今週に入って、取引を断られたのがこれで三件目とあればさすがに異常で。
「先方はなんて言ってたの?」
「さぁ…よくわからん」
もうお手上げ、とむっすりとした顔でエドワードは椅子に身を沈める――そんな乱暴に座ったら壊れちゃうよ、古いんだからとアルフォンス。
「おまえ…よく冷静でいられるよな」
「別に冷静って訳じゃないよ…」
兄のそれは明らかにただの八つ当たりだったから、アルフォンスは思わずその子供っぽさに苦笑する。大体、僕まで切れちゃったからどうなるのさ、と胸中呟いて。
「チョコボに餌やってくるね」
雑誌をおいて立ち上がると、ああ頼む〜と電話帳を繰りながら兄がひらひらと手を振った。
このチョコボファームが小さいながらこれまでやってきたのにはそれなりの理由がある。
まずはこの海チョコボの存在。生物学を専門にしてきたらしい父、ホーエンハイムは(詳しいことはアルフォンスは知らない。兄が研究を継いだようだけれど)交配を重ねてついに光り輝く海チョコボを生み出した。その脚力は、ミドガルズオルムを蹴散らし、海をも駈ける程。その実力は、調子に乗った父親とまだ幼かった兄が一度チョコボレーシングに海チョコボを出場させたことで証明された。桁違いの強さは、その期のゴールドソーサーを大混乱させて――大金を手にした父親が、それで金銭感覚が狂って借金を抱えてしまったのも成金故の悲しさか――以来兄は、海チョコボが生まれてもレーシング用に使ったりせずに、ただの乗り物として利用している。
「はいはいハル子ーご飯だよー」
クェ、と嬉しそうな声を出して、その気になれば金の卵の海チョコボ・ハル子はシルキスの野菜を前に嬉しそうに羽をばたつかせる。アルフォンスが胸を張って自慢できるこの雌の海チョコボ、毛並みは良いし足も速い、賢さは折り紙付き。顔つきも、そこらのチョコボに並ぶべくもない高貴さ(これは親ばか)。兄は許してくれないだろうけど、チョコボレーシングに出場させたら1位総ナメの自信は大いにある。
このファームで現在育てているのは海チョコボ1匹・山川チョコボ1匹に、人から世話を頼まれている海チョコボが1匹。
黄金の海チョコボと対照的に、闇色の羽を持つ山川チョコボ、オスカー号は将来ハル子との交配も決まっているエリート、兄がお気に入りらしい。アルフォンスとしてはもう少し可愛げがあって良いと思う。高価なシルキスの野菜をやっても、嬉しそうに鳴きもしない。
3匹目の海チョコボ、クラウディアに餌をやろうと、バケツを持ち上げたとき。
「さすがは、良いチョコボだね」
不意に後ろから声をかけられて、アルフォンスはバケツを落としそうになった。声をかけた相手を認めて、アルフォンスは憎々しげに顔を歪める。兄の前では見せたこともないような反抗的な態度と刺々しい物言いで言う。
「勝手に入ってこないで下さい……変態な上に不法侵入ですよ」
「相変わらずお兄さんが居ないと反抗的だね君は」
喰えない若き社長――ロイ・マスタングは、底の見えない喰えない笑顔でそれを受け流した。
この暑い季節に黒いコートに長いマフラー?趣味を疑うそのチンピラ然とした格好からはとても想像できないが、これでもミッドガル最大の金融会社の社長である。
ミッドガルを拠点にしていたアメストリス金融が、ミッドガルの崩壊と共に倒産するのは自然の流れだが、復興と共にわざわざ会社再建しなくたって良いじゃないか、とアルフォンスは毒付きたい。父親もどうして好き好んでこんなやくざな会社から金を借りたのか。
「返済期限が来て居るんだが」
「とか言いつつ兄さんに会いに来ただけなんでしょ。このストーカー」
「……今の発言は聞かなかったことにするよアルフォンスくん。お兄さんはいるかい?」
ミッドガル崩壊に便乗して前社長キングブラッドレイを追い落としたこの敏腕社長は、厄介なことにエドワードに惚れ込んでいる――本当に厄介だ。こちらに借金という負い目がある分。
「兄さんなら昨日からカームに買い出しに」
「アルー?今からカーム行くけど、なんか欲しいもの…」
アルフォンスは頭を抱えて、ロイは嬉しそうに振り返った。弟の厚意をふいにして、1人状況が掴めずにチョコぼうの入り口で固まったエドワードだったが、厭らしい笑みを浮かべたロイと目が合うと、あからさまに眉を寄せた。
「………なにしにきたんだよこの変態」
「はっはっは、兄弟揃って本当に嫌そうな顔をしてくれるね」
さすがにアルフォンスに言われるよりダメージは大きかったのか、ロイの笑顔には先程のような余裕はない。
「返済が滞って居るんだが?」
「あそ」
エドワードは構いもせずにロイの横を擦りぬけて、ちゃんと食べたかー?とチョコボに話しかける。
「エドワード!」
「なんだよ」
「返済期限が……」
「今お金ありませんから」
ロイに視線向けもせずチョコボを撫でるエドワードに、ロイはにやりと唇の端をつり上げた。
「……そうだろうね。取引先を次々失って大変なんだろう?」
「なっ……」
「やっぱあんたの差し金か…」
けっとエドワード、チョコぼうの中で唾は吐かなかったが、出来ることならあのスカした社長の顔に唾をつけてやりたい。
「ねぇエドワード。私と結婚したら、借金はチャラにしてあげるよ」
「…………」
ドラマの見過ぎだ、と突っ込む気力も失せてエドワードとアルフォンスは目を合わせる。ロイがこうやってプロポーズをしてくるのは始めてではないが、何回もプロポーズされたからと言って嬉しいものではない。
「だからエドワード、私と一緒に…」
「兄さん!」
何度目かのプロポースを遮ったのはアルフォンスだった。弟の強い口調に、思わずエドワードもロイも驚言葉を呑んだ。普段(エドワードの前では)大人しくて優しいたまに厳しい突っ込みをする弟は、強い光を瞳に湛えて宣言した。
「僕、ハル子連れてゴールドソーサーに行くよ!チョコボレーシングに出てくる」
「お、おい、アル!」
「借金なんてすぐ返済できるよ、大丈夫。ハル子とオスカー号で賞金荒稼ぎしてくるから。そしたらこんなストーカーに兄さんを盗られたりしないじゃないか」
「アル…」
「ストーカー…」
弟の決意に思わず目頭を熱くするエドワードと、呻くロイ。2人の対照的な反応を前にして、アルフォンスは臆さず言い切った。
「僕、兄さんを絶対助けてあげるから!」