3


暗闇に浮かぶ青い瞳に射抜かれて、俺は身体を震わせた。ホテルの柔らかいベッドにはロイの香水と汗とタバコのにおいが染み付いていて、俺はすごく身近にこの男を感じた気がした。ロイは優しく俺の名前を呼んで俺の耳元で、愛してるよ、という。でも、彼は一度も俺の気持ちを聞かなかった。ただ一方的に愛しているよ、とだけ。
ロイの手が俺の素肌に触れて、下腹部を撫でる。先ほどからの彼の愛撫で俺の股間はすでにはちきれそうなくらい膨らんでいた。ロイはその周りの俺の陰毛をいとおしげに撫でていた。長い指の滑らかな感触。彼のその指が俺の熱いそこの根元をそっと握って、俺は情けない声をあげた。
「あぁっ…」
「可愛いね…普段の生意気な君からは想像もできないね。」
優しい愛撫と愛の告白の合間に彼はちらりと毒を吐き出した。それすら俺には刺激になって、俺は顔を真っ赤にして彼のされるがままになった。
慣らされて、ゆっくりとはいってくるロイの大きくて熱い塊を受け入れながらその痛みに耐えていると、ロイがそっと俺の頬を落ちた雫を舌ですくいあげた。
「痛いかい?」
「へーき。」
俺は言って唇を歪ませた。笑ったつもりだけどそれがちゃんと笑顔として相手に映ったかはわからない。彼は俺の身体を抱きしめてなんどもなんども俺の奥を突き上げた。俺はあまりの気持ちよさに我を忘れて叫びそうになったけれど、隣の弟を思い出して焦って声を引っ込めた。んぐぅ、と殺した声と、ぁっ、ぁっという苦しげな甲高い声が響く。女みたいな声にロイが幻滅したんじゃないか、それともそれがいいのか、俺にはわからなくて俺は彼の表情を確かめようと額にかかる黒髪にそっと手をのばした。汗で張り付いたそれを払いのけると、彼はその白い肌を少しだけ上気させて、青い瞳は熱っぽくみえた。呼吸がわずかに荒い。ランニングマシンで走っても全く平気そうな顔をしていたソルジャーが、唇から真っ赤な舌と白い歯を少し覗かせて恍惚とした表情を浮かべて腰を振って。
俺はロイに、キスをしたいと思った。下半身で繋がったまま、その唇を吸いたいと思って、実行した。
ベッドの軋む音、ぐちゅぐちゅという卑猥な音、俺たちの舌のからまる音。俺は激しく腰を打ち付けてくるロイに自分でも驚くほど卑猥な言葉を並べ立てた。それはとてもらくな作業だった。馬鹿な単語を思いつくままに吐き出した。前立腺をえぐられて、俺が限界を迎えて射精したあと、ロイも俺の中に熱い猛りを放った。

萎えたそれを抜く事はしないで、ロイは体勢を変えて、俺の身体を彼の身体の上にのせた。分厚い胸板に体重を預けて、その黒髪に顔を埋めるとものすごいタバコと雄のにおい。雄の臭いは俺の精液の臭いだろう。俺は彼にフェラされて、びっくりして彼の顔面を汚してしまった。その臭い。
だからあえてそのことについては触れなかった。俺は一言だけ、
「タバコ臭い。」
「君からはアルコールのにおいがするね。」
ロイは俺を抱きしめながら、髪に唇を沿わせていた。やわらかい感触が髪の上から耳に心地言い。その声とその感触だけで俺はものすごくエロい気持ちになる。股間がぬるく火照る。
「アルコールか…」
「消毒液とか、そういうののにおいなんだろうね。」
「職業病。いや、職業臭?」
言うとロイは笑って、そうだね、と言った。
「でも君のにおいだから好きだなぁ。」
「馬鹿だなお前…」
俺は呆れてそう言うのが精一杯だった。


研究所で仕事をはじめると、健康管理局での仕事はほとんどなくなって、俺はロイとあまり会えなくなった。神羅の建物は広いからあまりすれ違うこともないし、俺はロイの携帯番号を知らない。意図的に連絡をとりあっていた仲ではないし、あえて会いたいと思わなかったことも事実だ。多分会えば、あの夜の交わりを思い出してしまうから俺はもしかしたら心の何処かでロイを避けていたのかもしれない。とにかくあの食事の夜以来、俺たちは会っていなかった。
研究所ではまず魔晄の有効性についていくつかの説明を受け、それからこの研究所で行っていることについて先輩に軽く教えてもらった。
エネルギーを市民の生活に役立つように研究している、と俺は想像していたのだが、それは科学技術局の役割が大半を占めているらしい。あったとしてもそれは昔、魔晄の利用がまだまだ開発段階にあった頃の話だそうで既にその利用方法がはっきりしている今、特殊な実験を最新機器でする必要性はないらしい。
「人体実験、ですか…?」
「表には言えないようなことも結構ある……だからここに就職できる人間ってのはほんとに稀なんだ。精神的にキツい仕事もあるからな。」
先輩は言って笑った。俺は入社前の精神テストにも合格したし、第一その能力を高く評価されたと先輩に言われた。俺は笑えなかった。
人体実験は、人間に及ぼす魔晄エネルギーの効果をいろいろな角度から調査するために行われているらしい。人間の能力を効率よく増長させ、人間の潜在能力を開花する可能性を持った魔晄エネルギー、それは時に激しい副作用を引き起こすものだがそれすらも実験対象だという。彼らは彼らのソルジャーを今よりもさらに強くすることがお望みのようだ。ソルジャーは魔晄をその身に照射されることで身体能力を飛躍的に開花させた人間を言う。しかしそれは万人に対して有効ではなく、それによって拒否反応を起こした体は心身ともに衰弱して廃人と化すと言う。その原因を調べるために、ソルジャーになりそこねた人間たちは実験体としてこの研究所に収容されるというのだ。
「拒否反応の原因を解明して、少しでも多くの人間が副作用なしにソルジャーになれるようにする。それが俺たちの大きな課題だ。」
廃人を収容した研究所の奥へ初めて通された時、先輩は言いながら俺の半歩前を歩いていた。
俺は、沢山の牢屋の隣を通過して、たくさんの濁った瞳を見た。濁った、青に成り損ねた瞳たちが、悪意と恨みと恐怖心と媚を混ぜ合わせた視線を俺の白衣に擦り付けてきた。見られている。俺は俯いて歩いた。彼らは話さない。言葉を失ってしまった彼らはうめき声しか発さない。俺はその、人間とは思えない獣のような声に指先を震わせた。
実験室はそれ以上に悲惨な現場だった。泣き喚く声、断末魔のような叫び声と、冷徹な機械音、白衣を来た人間たちがマニュアルに目を通しながら四肢を固定された人間が魔晄を照射されているのを観察している。あきらかに拒否反応が出ているその男に、白衣は何もしてやらない。肉の焼ける臭いがあたりに充満していた。

翌日、俺は初めて人間に魔晄を照射するのを先輩に教わりながら実行した。男は、明らかに新米の俺に不安そうな顔をしていた。
呼吸マスクを装着して、専用の固定具で手足を固定する。サポートをしてくれている白衣の先輩たちの手によって、強化ガラスの容器にいれられた男の身体が特殊な液体に満たされていく。俺は手元の照射器具を確認した。システム、全て正常。俺は先輩の顔色を伺った。先輩のゴーサインで、俺は、照射準備完了、と声を発した。俺たちは魔晄照射の際に、特殊なゴーグルをかける。強烈な力を持つ光から眼光を守るためだ。参加作業員全員がゴーグルを装着して右手を上げるのを確認してから、俺もそれをつける。視界がオレンジ色に歪んだ。システム、作動開始、魔晄エネルギー照射。俺の声がやけに大きく感じられてすごく嫌だ。俺はじっと被験者の身体を見ていた。その身体が痙攣をはじめたのは、照射を始めてわずか四十秒後。被験者の身体が明らかに膨張を始めた時に、先輩が大きな声で中止を叫んでいた。俺はシステムを止めたが、放たれた光がすぐに立ち消えるわけではない。照射システムをダウンしてからも、男の身体は膨張をやめなかった。周りで騒がしい声がする。心拍と脈拍の数を告げる声、体温の上昇を表すメーター。俺は握ったハンドルを放せないでいた。掌の皮膚が焦げて溶けて、べったりとくっついてしまったかのように俺はそれを握り締めていた。必死になって、それを手前に引き寄せて光を止めようとしていた。唇から血が出る。被験者心拍停止、の声がして先輩が俺の肩を揺り動かした。
エルリック、と一際大きく呼ばれる。俺ははっとして、ハンドルから手を放して、ゴーグルを外した。
披見者の悲惨な残骸が水槽にゆらゆらと漂っていた。
俺は、真っ赤に染まったその惨憺たる映像を脳に結んだと同時にその場にしゃがみこんだ。喉の奥からこみ上げてくる汚物と酸味。
やめろ、エルリック、吐くならトイレへ行け。冷静な声がかかる。ったくこれだから新人は困るよな、との声に現場から笑い声があがる。
俺は震える指先を口に咥えて立ち上がると、そのまま廊下の向こうまで走った。廊下の突き当たりの強化ガラスを突き破ってそのままこの高層部から飛び降りたくなった。けどそれをぎりぎりで踏みとどまって、その奥にあるトイレの個室に駆け込んで後ろ手に鍵をかけた。
先輩の笑い声が響く実験室。真っ赤に染まった水槽。魔晄の光。青く染まりかけたまま瞬きをやめてしまった両の目と、俺は最後に目が合った。あの目は俺を捕らえていた。
俺は、こみあげてくる汚物を便器の中に吐き出した。喉が焼けるほど痛い。目頭が熱くて、それでも吐き続けた。嗚咽が止まりかけると俺は自らの指を喉奥に突っ込んで掻き毟った。胃液と、爪でこすれた皮膚と血液が流れてきてまた俺は便器に顔を突っ込んだ。実験室の映像が頭から離れない。先輩たちの笑い声が離れない。あの、頭蓋骨から離脱していく青白い瞳が離れない。あの目が、俺を放さない。
俺は、その場に蹲った。鼻水も涎も垂れ流して俺は耳をふさいで泣き続けた。

その後は、心配してきた先輩に早退を許可してもらって、バイクに跨って、それからの記憶がない。気付いたら家にいて、しかもそこはアルフォンスのベッドだったから焦った。周りを見渡すと、ベッドの側に丸くうずくまった弟の影があった。俺は微笑んで、俺よりも大きい弟の身体を抱き上げて、ベッドに下ろした。
アルがうっすらと瞳を開いた。
「兄さん、もう大丈夫…?」
「あ……あぁ、大丈夫だ。」
「よかった……」
アルは呟いて瞳を閉じた。彼の安堵した表情と穏やかな呼吸音に俺も自然と唇から笑みをこぼして、その温かい頬を2、3度撫でてからそっと部屋を出た。
自室に入って、ベッドで瞼を閉じたけれど、俺は眠れなかった。
昼に見た、あの青白い瞳が俺を再び捕らえる。脳裏に蘇るのは実験室の異常な景色と笑い声。目を閉じても開いても、俺の眼前に広がる景色は今日のあのことしかない。
吐き気。俺は耳をふさいで膝を折り曲げて布団の中に逃げ込んだ。身体の震えが止まらない。笑い声の中にふと、聞き覚えのあるものがあって俺は耳の穴に指を突っ込んだ。
青白い目が、俺を見ている。白衣を着た俺がその塊を見ている。俺は、その情景を見ている。
俺の目の前にいる俺自身が、口をあけて笑っていた。青白い目を見て、笑っていた。俺は恐くて恐くて、手を伸ばしてそいつの首に手をかけようともがいた。殺してやると叫んだ。俺の、首に手がかかる。苦しさが俺の方に込み上げてきた。もう一人の俺は笑うことをやめない。笑って笑って、不自然なほどの勢いでその首をこちらに振り向けた。
俺は泣き叫んだ。俺の瞳は、濁った空色をしていた。

あれ以来、俺は枕元に睡眠薬を置くようになった。

しばらくしてロイ・マスタングが科学研究所へ運ばれてきた。腕がふっとんで、巻かれた包帯に血が滲んで固まっている。片足の間接が変な方向へ曲がって担架の上で彼は不自然な呼吸音をさせてやってきた。健康管理局から輸送されてきた、と先輩が言っている。傷口に施された凍結処理は健康管理局の処置だろう。
俺は焦った。彼の顔が死んだように真っ青だった。
「照射の準備を!」
研究所長が指示を飛ばす。彼は呼吸マスクを装着して、大きな水槽にそっといれられた。魔晄照射準備が整えられる。
俺は隣にいる先輩に促されて慌ててゴーグルをそれを装着した。研究所にいる、手の空いていたものがみな、水槽を取り囲んでいる。ロイは、1stの中でも有名なソルジャーだとこのとき初めて知った。みんなが見ていた。ロイ・マスタングに魔晄が照射される。
水槽の中でロイの身体が揺れた。衝撃によるリアクションが早い、それは彼の体の細胞が人とは違って強固で活発だということの表れだった。ロイの黒髪が青い光に包まれて変な色に光る。ごぼっと水槽が泡立ったのを見て、俺は所長を振り返った。
さらにエネルギーを強化せよと命じている彼の額には汗が浮かんでいる。彼は命令以外にもぶつぶつと呟きを漏らしていた。ものすごい剣幕で、それは呪詛のようでもあった。俺は再び目線をロイに返した。彼の瞼が揺れる。けれど、魔晄の照射に耐えられなくなった皮膚が変色を始めていることに俺は気付いた。普通の人間ならもう溶けてしまっているかもしれない。ロイの意識が覚醒しそうになる。彼は眉をぎゅっと寄せて唇を歪ませた。触覚が戻って、全身に激しい痛みが走ったのだろう。俺は叫びそうになった。いくらソルジャーだからってこれ以上の照射に耐えられるはずがない。けれど俺は叫べなかった。叫ぼうと口を開いた瞬間に、ロイの濁った瞳が俺の姿を捉えていた。

全身のほとんど全てを包帯にまかれたロイはその後、健康管理局に設置されている医務室に移された。白いベッドの上に横たわるロイを、仕事が終って俺は真っ先に見舞いに言った。アルには、今日帰りが遅くなる、とだけ電話を入れておいた。
ロイは俺の姿を見ると嬉しそうに笑った。瞳の色は鮮やかな青。
「目が覚めて君が見えたよ。」
「俺はアンタの皮膚が魔晄に侵されて行くのを見ていた。」
俺は俯いた。上体を起こしたロイの両腕に巻かれた包帯。両手をベッドの腕組んで、彼は苦笑した。
「まぁ、いつものことだ。」
「いつものことかよ。」
「たまにはあれくらいの怪我をするよ、ソルジャーだって。」
「怪我するたびに魔晄で細胞を活性化?なんの治療にもなってねぇよ…」
俺は首を振った。
「魔晄は、人間の細胞を活性化させて、その細胞分裂速度を飛躍的に高める。故に身体能力は上昇、体力は向上。でも俺たち人間が生きている間に行える細胞分裂の回数は固定されたもんで絶対に増えない。だからソルジャーの寿命は短い。その体に向かって……」
「知っているよ、私だってそれくらい。でも、それが仕事だから。」
「あんたの命が削られていく…」
「生きている間に削られていかない命はないよ。」
ロイは微笑んだ。俺は、神羅を辞める気でいた。ロイも一緒にここを離れさせる。彼をここに置いていく気には絶対になれなかった。神羅なんかに、コイツを殺されてたまるか。
「ロイ、今度晩飯食いにこねぇ?」
「……君の家に?」
「そう。いっつも外食ってのも寂しいだろ?あんたが退院したら、俺んちでお祝いな。」
俺は、ロイを連れて逃げようと思った。神羅は、簡単には辞められないだろう。俺は研究所という神羅の中枢部を担う部署にいて、沢山の違法行為や犯罪行為を目にした。さらにロイは、この企業の宝だ。1stクラスのソルジャーをすんなりと手放すはずはないだろう。でも、それでも俺は逃げる決意をしていた。
最近の俺の勤務態度は昔よりもむしろ熱心だ。何も疑われてはいない。上層部の組織図もこっそり手に入れている。内外部の不穏分子、つまり神羅に害をなしうる者を極秘に調査し排除する役目をもつやつらの目を、ぎりぎりまで誤魔化さねばならない。彼らのことを、神羅ではタークスと呼んでいるらしい。いやもうそんな呼び名は俺にとっちゃどうでも良かったけれど。
俺たちの仲が全くばれていないとは俺も思わない。これだけ一緒に食事に行けば交友がないとは言いきれない。だから、決行するなら急がねばならない。
俺は、部屋の監視カメラを意識した。
「なら早く退院しなきゃいけないね。」
ロイの声に視線を戻す。俺はその青い瞳に頷いた。