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二度目の見舞いの時に、監視カメラの死角を狙って俺は彼の掌にメモを握らせた。
退院まで待つ気なんてない。時間なんて与えてやらない。
ロイを神羅から連れ出して逃げる。
俺は郷里の幼馴染に連絡してアルフォンスだけ、東の果ての生まれ故郷へ先に返した。彼には、久しぶりに旅行して来いとだけ言ってあるし、そこには俺たちの幼馴染がいたから、彼は疑うよりむしろ嬉しそうだった。
作戦なんて、ない。神羅内に監視カメラのない場所なんてない。真夜中に侵入するのは逆効果だ。赤外線レーダーが張り巡らされた中を警備兵から逃げ回らなければならない。
俺は、昼間堂々とロイを迎えに行った。二人でトイレに行く。ふりをする。
既に怪しまれていたのだろう、健康管理局の人間が不審げに二人の背中を見ている。俺は隣を歩くロイを見た。
ロイは真っ直ぐ前を見据えている。その横顔を見ていると、彼は走れ、と言う。
「へ?」
「バレた。走れ。」
「え、ちょ、」
俺が言い終わる前にロイは俺の腕を掴んで、引っ張られるままに反射神経で俺は走り出した。
後ろから、派手な足音と、レーザーガンが響く。俺は肩越しに振り返った。まさか、昼間から撃つなんて。
「振り返るな、エド。」
ロイの冷静な声。彼の手は既に俺から離れていた。
俺は廊下を真っ直ぐ走る。走って、突き当りの強化ガラスをロイが突き破った。それに続く俺。ロイが宙で両腕を伸ばしている。
空を飛んでるみたいだ。
俺は手を伸ばした。落下していく中で何秒間抱き合ったろう。その瞬間は一瞬で、瞬く間で、なのに俺はずっとロイを見つめていた。
ずっとずっと、彼の青い瞳を見つめていた。

着地した時の衝撃で俺は現実に目が覚めたけども。

「いってぇ…」
「私はもっと痛かったよ。」
未練がましく言いながらロイが俺に手を伸ばす。俺は素直に受け取って立ち上がる。そこは神羅ビルの裏側の、細い道。
俺たちは走って走って、ミッドガルのプレートを事前に調べていたルートで秘密裏に降りた。
プレートの下へ行くのは、俺もロイもはじめてだった。
ミッドガルという大都市は、プレートで上下に隔たれている。それは絶対的な差別であり格差だった。ありとあらゆるものが、その一枚のプレート越しでは違っていると言う。
でも、それも文字だけの知識だ。
俺たちは、その全く違う湿り気のある空気に戸惑った。人々の目に、怯えた。ロイの顔に買っておいたサングラスをつけさせる。俺は、大きなコートを羽織ってフードをかぶった。
そうして、まず俺たちは家を探す事からはじめた。

故郷へ、最終的には落ち延びる。警備が強化された今、ミッドガルを出る事は不可能だろうから、俺たちはプレートの下でしばらく暮らす事にした。
家は簡単に買えた。土地ごとかって、面倒ごとを避けるくらいの現金を二人とも持っていた。
俺は、医者をはじめた。設備を適当に見繕って、いわゆる闇医者。絶対的に不足していた職業だから、俺はすぐにこの土地に受け入れられた。ヤクザ者も病気は恐いのか、俺には幾分か大人しくしていた。
ロイは、最初その瞳のせいで周りから距離をおかれたようだった。が、穏やかな性格が幸いしてか、すぐに馴染んだようだ。昼間勝手に家を出かけては、色々な家から色々なものを貰って帰ってくる。職業をあえていうならぷー太郎。物乞い、って言うのはさすがに可哀想だし実際頼み込んでもらったわけではなくて彼の人柄がそれらを集めてくるのだろう。たとえば、隣の奥さんからお惣菜、たとえばお向かいの奥さんの焼いたクッキー。
あれ、人妻ばっかじゃねぇか。
「何かね?エド。」
今まさに貰ってきたクッキーを皿に載せたロイが、俺に言う。紅茶の湯気が立ち上っている。
「人妻キラー。」
「何だね、それは。新しい冗談?」
「もてもてざますねーロイマスタングさんは。」
俺はふて腐れながらクッキーを口へ運ぶ。昼下がり。空調設備などのないプレートの下。金があっても、買える場所がないのだ。いや、買える場所ならある。プレートの下の中心部は少々開けていて、そこはプレートの下とも上とも違った、異様な雰囲気をかもし出していた。公然と犯罪が肯定される場所。明るい闇色の安物のネオンが光る街。
俺たちは決してそこへは近づかないように、プレートの端っこに住んでいた。神羅と繋がっている、そういう噂があったから。なんしか、胡散臭い金持ちが住んでいるのだ。関わらない方がいいに決まっている。
俺はジャンクショップで壊れかけの扇風機を買った。ここらへんではそれが最大の贅沢。壊れかけてかたかた音を立てて回るそれを、ロイは最初ずっと見ていた。そんなに珍しい?と聞くと首を振って、俺を振り返った。真っ青な瞳が、一瞬、違う色に見えた。
「違うんだ、懐かしいんだよ。」
クッキーをほお張りながら、俺はあの時の色を思い出そうとしたけれど、思い出せなくてやめた。
ロイが、目の前に座って、紅茶をすする。
「美味しい?」
首をかしげて、クッキーの味を聞く。俺は頷いた。美味しい、市販じゃない手作りの味がする。俺はロイの煎れてくれた苦い紅茶をすすりながら、
「で、モテモテなんだろって話だよ。」
「その話題は終ったんじゃなかったのかね?」
「終ってない!」
俺の声にロイは笑った。最近、彼は笑うことが多くなったと思う。少しだけ声をたてて、笑う。無邪気だと思う。この人は無邪気で繊細だと思う。とてもとてもソルジャーになんて、見えないと思う。
「嫉妬かね、エド。」
「違う!けど……」
「君だって、モテモテじゃないか。君の診療所はいつも盛況だ…」
ロイが、俺の隣に座りなおして、俺の前髪を指先に挟んだ。くるくると、その金色を弄ぶ。気持ちがよかった。ロイに触られるのは嫌いじゃない。
気持ちいいし、すごく安心する。
「そりゃ、医者の数が不足しているから当然の結果であって、別に俺個人を目的に来ているわけじゃない。」
「当たり前だ。」
ロイが口を尖らせるから俺は首をかしげた。ロイが続ける。
「そんな、君個人に会いに来るなんて、私が許さないよ。」
真剣な顔をしてそんなことを言うものだから、俺はふき出してしまった。

扇風機の音が響く、ベッドの軋む音がする。
毎晩のように身体を重ねて、彼は何度も何度も愛していると言ってくれる。優しいキスと、優しい愛撫とで俺の身体は彼の肌に溶けそうになる。溶けてなくなって一つになれる気がする。
っていうのはちょっとオーバーだけど。まぁとにかくほんとに気持ちいい。
愛しているといわれるのは、俺の自尊心を刺激した。俺は、それを返す必要がなかったから気持ちが軽い。身勝手だった、と思う。ガキの高慢だとも思う。自分は、彼に愛されているという根拠のない確信がそれを作り出していた。
永遠に続くと、信じて止まなかった。
扇風機の音。窓から見える月。俺は背中からロイに抱かれながら、満月だと言った。
「綺麗な夜空だね…」
彼の言葉に俺は腕の中で半回転した。彼の頬を撫でる。綺麗な瞳に案外長い睫毛がかかっている。綺麗な、長くて黒い睫毛。
俺は、その瞳の異変に初めて気がついた。
ロイの青い目が、今日はなんだか青くない。
「蒼い…」
「え?」
「色が、濃い…」
俺は、彼の瞼に手を伸ばした。すぅっと瞳を閉じるロイ。薄い皮膚の上から感じる眼球運動。彼が生きている証。俺は指の腹で撫でてから、そっと離した。
「そうかい?」
「うん、毎日会ってたから気付かなかったけど…あ、もしかして…」
俺は彼の頬を両手で挟んだ。
「もしかして、魔晄の影響から解放されてるんじゃ…?」
「そんなことがあるのかい?」
「いや、全然わかんねぇけど…でも、そうだとしたら………」

普通の人間に戻れる――
そういう言葉を、俺はぎりぎりのところで飲み込んだ。

診療所は毎朝早くからあけていた。お年寄りの起床時間に合わせた訳じゃないが、朝早くはどうしても年配の人がいっぱいくる。俺は常連のおばーちゃんに慣れた手付きで喘息薬を調合していた。
「熱は出る?」
「最近はおかげさまで、大分マシではあるんよねぇ。」
話をしていると、奥からロイが顔を出した。おばーちゃんの方を見て軽く挨拶して、俺の方へ向き直る。
「エド、電話だよ。」
「後にしろよ。」
すり鉢でぐりぐりと大きな薬品を潰している俺の腕を、彼が掴んだ。顔を上げる。
「な、に…?」
「アルフォンスのことだ。」
「え………?」
彼の眉間に深い皺が刻まれていた。