彼のスケジュールはかなりハード。でも任務に費やす期間は短くて、長くても一ヶ月で帰ってきた。それからだいたい三日から一週間の静養期間が与えられるが、任務の報告書の作成、健康管理局での診断と科学研究所での身体能力テストを義務付けられている彼らにはほとんど休みはなかった。ロイは任務から帰ってくると上司からの呼び出しすら無視して真っ先に健康管理局に来るようになった。そして彼がここへ来た日は決まって外食。三度目に誘われた時、家で待たせてある弟が可哀想だからと俺が断ると彼は、じゃあ弟も一緒に行けばいいじゃないかと言ってくれた。
そうして一年が過ぎた。弟は人とのかかわりに飢えていたから家族以外の人間であるロイと三人で外食するのがものすごく楽しいらしく、その時ばかりは不思議と体調も安定した。彼が任務に行ったことを話すたびに、いつ帰ってくるの、と俺に尋ねてくる。俺はさぁ?とだけ言った。俺はいつも帰還予定日を聞かなかった。

その日、ロイが無事に帰還してきて健康管理局に向かう背中を見つけた俺は走っていってその背中を蹴飛ばしてやった。派手に前のめりになる彼は振り返って、
「君か…」
「気付いてたくせによくいう。」
俺は言った。避けようと思えばいくらでも避けれたはずだ。背中に目があるくらいじゃなきゃソルジャー1stは務まらない。ロイの身体能力を間近で見たことはなかったが、これだけ頻繁に任務が回ってくるくらいだからそこそこ腕は立つのだろう。けれど俺が知っているロイは役に立ちそうもない雑談をして、優しそうに笑って、俺のタバコを取り上げて、何かにつけて俺の髪に触れたがる。そういう穏やかな人だった。
「っていうか俺、部署変わったから。」
「異動かね。」
「昇進!」
俺はVサインをして仁王立ち。その姿を見てロイが思いっきり吹き出した。
「それはめでたいね。」
「めでたいだろ?だからまぁ残念なことにマスタングさんの健康カルテをチェックするのは俺じゃなくなっちゃったわけだご愁傷様。」
俺がへへん、と笑ってやるとロイはその黒い眉根を寄せた。
「つまらんな。」
「今度からは本格的に研究所で仕事できるんだってさ。」
昇進の発表があったのは昨日で、今日の俺は異動に関わるもろもろの資料整理をしていた。研究所の仕事は明日から本格的に始まる。俺は楽しみだった。今までの研究所での仕事は資料整理と実験結果の数値をまとめること。内容なんて全然教えてもらえないし、魔晄を扱わせてなんて貰った事は一度もなかった。俺は食うために勉強して就職したけど、でもこちらの方面に関して興味がないはずがない。
ロイは少しだけ複雑そうな顔をして、俺はてっきり俺に会えないのが嫌なんだろうなと考えた。
「よかったじゃないか。」
「なぁロイ。今日もまた晩飯食いにくんだろ?」
健康管理局まで並んで歩く。ロイは頷いてから少し低い声で、
「今日は、二人だけで行かないかい?」
「…なんで?」
「ちょっと、君に伝えたいことがあるから。」
でも、と俺は立ち止まった。でも、家であれだけアルが楽しみにしてるのに置いてけねぇよ。
ロイも半歩遅れて立ち止まった。なんとなく、ロイの意図する事がそのちょっと苦しそうな表情から窺うことが出来て俺は俯いた。
とっくに気付いちゃいるんだけどさ、コイツが俺に惚れてんだろうなってことは。いくら鈍感な俺でも。これだけアピールされたら、誰だって。
でも俺はちょっと恐かった。ロイのことは好きだけど、コイツはソルジャーだし、なんだかわからないけれどその青い瞳とかがなんとなく。
恐い。
それは明らかな偏見だった。
ロイは優しく笑って、それはそうだね、と言った。それで今日も俺たちは三人で食事に行く事になった。
ロイの車に乗り込んでアルフォンスを迎えに行く。俺が消臭剤を車じゅうにふきつけてロイは嘆息。アルフォンスはタバコのにおいが大嫌いだった。
俺の自宅に行くと、弟はすでに家の前に出てきていた。会社を出る時に電話を入れると彼は嬉しそうな声で喜んで、俺まで嬉しくなった。
助手席から降りて、弟と一緒に後部座席に乗る。いつもそうだ。三人で車に乗るときは俺とアルが一緒に座る。ロイは、一度も文句を言わなかった。俺とアルの話を楽しそうに聞いている彼は、すごく大人だった。
アルが不意に、ロイさんてお父さんみたい、と言うと彼は、そんなに年を食ってはいないよ、と苦笑した。

アルが加わってから、俺たちが座る席は決まって禁煙席になった。
今日は俺とロイが一番初めに来たホテルの最上階のレストランだった。そしてそこはロイの住まい。彼はホテル暮らしだった。
アルは厚切りの肉を嬉しそうに食べて、久しぶりに外出に興奮したのか少し発熱してしまった。頬を上気させたアルを抱えた俺に、少し私の部屋で休ませればと勧められて俺は素直に従った。それが何を意味するのかわからないフリをした。
ロイの部屋はものすごく広かった。ベッドルームはタバコの臭いが酷いらしいから、アルは比較的マシな簡易ベッドのおかれた部屋に寝かせた。布団を胸まで引き上げて、汗に濡れた頬を濡れタオルでぬぐってやる。彼はついさっき眠った。規則正しい寝息をたててはいるが、まだ額が熱い。
「アル……」
「まだ熱があるのかい?」
後ろから声をかけられて俺は振り返った。
「うん、もうしばらくはひきそうにないけど……特に何をしてもあんま意味ねぇんだ。だからそっとしとくのが一番いい。」
俺は立ち上がった。立ち上がった途端に後ろにいたロイが俺の体を抱きしめて俺は慌てたけれど抗議の言葉はのど喉の奥で引っ込めた。このまま出すと怒鳴りそうだったから。俺はアルを見て、眠っているのを確認してから小声で抗議した。
「や、めろよバカ…」
「会いたかったんだ。」
ロイの声が耳のすぐ裏側で響いて俺は不覚にもどきっとした。低くて、太くて、艶のある声。大人の男の声。俺は身をくねらせて逃げようとこころみたけれど、相手はソルジャーでそんなこと叶うはずがない。
「聞きたくない。」
「エド、聞いて。」
「やだ、アルが……おきちゃう…」
「エド、私は君が…」
「聞きたく、ない…」
俺がいうのに、ロイはその腕を放さない。ぎゅっと力を込められて身体を締め付けられてロイの体温を感じた。
ロイのワインにのぼせた吐息が耳をくすぐって、俺は目をつぶった。いやだ、アルが起きちゃう。俺は声はださないで暴れた。思い切り手足をばたつかせて本気でロイを蹴飛ばすと、ロイはびっくりして少し身体を引いた。その期を逃さず俺は彼の腕から逃げた。振り返ると、ロイはその両眼を真っ直ぐに俺に向けていた。深く沈んだ青色をしていた。
「すまない……すこし酔っているんだ…」
この部屋に誘ったのはロイ。でも承諾したのは俺だ。悪いのは彼じゃない。俺はそれに、
それに、ここまで本気でロイを嫌がる理由なんて持ち合わせてないんだ。けれど、この部屋には弟がいる。弟に、こんなとこ見られたくなかった。
俺はロイに、ごめん、と謝った。もう一度、小さい声で、
「ごめん…」
「君は悪くないよ。」
ロイの笑った顔がちっとも笑ってなかった。俺は、すごくロイが弱ってしまったような気がして、しかもその要因が俺にあるんだとわかっていたから罪悪感が湧いた。俺は考えて、嘆息した。そう、俺がここまでロイを拒否する理由なんて、ないんだ。ちょっとだけ、その目が恐いだけ。
「エド…?」
黙り込んだ俺を心配そうに覗き込んだロイに、俺はこっち、と声を出した。
こっち、と言いながら、ロイの袖を引っ張って連れて行く。ドアを一枚潜り抜けて、アルのいない部屋へ逃げた。
さっき通過したロイの大きな寝室は人の気配を感じて自動で照明をつけた。薄暗い明かりに部屋が照らされる。鼻につく、彼の香水とタバコのにおい。
俺は袖から手を放して、ロイを見上げた。ロイの蒼い瞳が揺れていた。蒼い瞳が玩具みたいだと感じた。