アルコールと蒼い玩具1


奨学金なんて便利な制度のおかげで俺は学校を飛び級でもって駆け抜けて、最後にロクでもない論文を書いて見事、エリート企業へ就職を果たした。昼間学校に行って深夜アルバイトをするという生活から脱却、朝日が昇ってから起きて昼働いて、そうして生活していけるということが俺は嬉しかった。
就業して最初の一週間はホント、情けないくらいにバテバテだった。予想外だったのが、マスコミという存在。今までこっそり日陰で生きてきたのに(飛び級しまくって一部では有名だったらしいけど)どでかい企業に就職したとたんこれかよ、と資本主義社会を垣間見つつ。就職した会社の名前は神羅カンパニー。そうあの、魔晄とかいうエネルギーを使って世界を豊かにするとかそういうことを謳い文句にやってる会社で、バイオ科学を専攻していた俺は史上最年少で世界最高峰レベルと名高い神羅科学研究所に就職を果たした。この、史上最年少ってのがどうやらマスコミはいたく気に入ったご様子で。勝手にやってくれよ、と最初ナメていたのが悪かったのか奴らは俺のことを好き勝手に報道しやがった。その内容のほとんどが仕事以外の話題で、例えば俺の家族構成、生い立ち、学校で親友だった奴のコメントって俺、こんな奴しらねーっつの。挙句、帰り道に買った缶ジュースの銘柄までチェックされた日にゃあ生きた心地が8割方吹っ飛ぶ。連日の無意味な取材のおかげで俺は今まで使ったことのない部分の脳味噌をごりごり削って過ごす毎日、夜遅く帰宅するなりベッドになだれこんで爆睡するという事態に陥った。病弱な弟が俺の体を揺り動かすのを意図的に無視する俺はなんて悪いにーちゃんなんだと思わなくはないが今はごめん、許してお願いという心境だった。
そうしてめくるめく早さで過ぎた一ヶ月。神羅の広報部がなんとか対策をうってくれたおかげで無秩序なマスコミの追っかけ(ってなんか俺アイドルみたいだなぁ)の被害はなくなって俺は心置きなくタバコが吸えるようになった。(カンパニー内の喫煙所でだぞ、あくまでも。)こんなところ見られたらやばいんじゃねーの、と同研究所の先輩が同じくタバコを吹かせて苦笑する。マスコミはお前をアイドル化してんだから、うんこにも行けなかったんだって?と。便所の中まではさすがに来た事ないですよ、と俺は答えた。
白衣を翻して歩くのが気持ちいいなどと思えたのは最初の三日間だけで、今はもううざったい。研究所での俺の扱いはまだまだ悪くて、そりゃそうだ、世の中で俺は天才だのなんだのって言われてるけど経験の差は研究所の先輩たちとは比較にならない。それに俺は今まで魔晄なんてエネルギーを扱ったことなんかなかったから、そこらへんの特殊技術については素人同然だった。
俺の最近の仕事は神羅カンパニーが有している最高の私兵たちの健康管理とそれのに伴うもろもろの雑務、資料整理含む。俺の受け持つ私兵たちは特殊な人間で、ソルジャーと呼ばれていた。存在くらいは知っている、あの魔晄を使って人工的に強化した人間。でも、ここに就職するまでは生で見たことはなかった。俺がはじめてソレをみたのはカンパニー内のトイレの中。立ちションしてたら隣にやたら背の高いにーちゃんが立って、うおデカっ…と思ってそおっと見上げたらそいつの両眼はビー玉みたいに真っ青だった。
ソルジャーはその戦闘能力に応じて1st、2nd、3rdとクラスわけされる。その下に普通の兵士がいてソルジャーをサポートする。上層階で見かけるやたら怪しい黒服も、明らかにサラリーマンって顔じゃなかったからここらに所属しているのだろうが詳しいことはわからない。神羅において、ソルジャーは優遇されてはいたが、それはどこか人間味に欠けていた。大事な精密機械を丁寧に扱っているだけのような方針に俺は非人道的だとか道徳性から逸脱しているとか、そういう感情を全く持たなかった。彼らは過酷な任務をこなすがそれ相応の給与は貰っている。ソルジャーになるのは強制じゃないらしいし、健康管理は万全を期していた。遊ぶ時間とか、自由な時間はほとんどないかもしれないけれどそれも承知の上でなったのだから文句は言えない。ギブ&テイクなんていうけど、俺はこれで正しいと思っていた。神羅の方針が正しいと思っていた18歳の俺は、タバコの味を覚えたてのガキに過ぎなかった。

研究員という肩書きとか、この白衣の成せる先入観というものは結構あるみたいで、俺が長い白衣の裾を両手でつかんでぱたぱたと扇ぎながらカンパニー内のジムに姿を見せた時、更衣室で着替えていた体格のいい男性がこっちを見てあからさまに驚いた顔。それがすぐに嘲りに変わっても俺は気にも留めない。受付で指紋センサーに掌を乗せると、隣の小さいなディスプレイに俺の写真、所属、名前が映し出された。受付の女性も内側からそれを確認して、どうぞご利用ください、とロッカーのキーを渡してくれた。
ロッカーでジャージに着替えて軽く四肢を伸ばす。運動は嫌いじゃない、むしろ好きだった。ここ最近身体を動かす機会なんてなかったから、カンパニー社員なら誰でもジムを使えることを先輩から聞いたときは喜んだ。ここは兵士とソルジャーのみ使用可能だと思い込んでいたから。でも実際ここを利用しているのは神羅兵か任務前のソルジャーくらいらしい。いくつかの青い瞳が俺の行き先を目で追いかけているのを背中に感じた。
「久しぶり。」
そうやって突然声をかけられたのは、俺が丁度ランニングマシンで走っている最中だった。声のした右隣を見ればいつのまにそこで走っていたのか黒い髪の男がいた。黒い髪に、真っ青な両眼。ソルジャーだ。
「誰?」
俺は睨んだ。健康診断なんて流れ作業だし、ソルジャー一人一人をいちいち覚えちゃいない。彼は苦笑して、ああ覚えていないのかと言った。
「悪ぃ。」
「かまわないよ、エドワードくん」
「……。」
こいつ俺の名前まで覚えてやがんのか、と俺は不審気に奴を睨んだ。うさんくさい。さっきから鼻につく香水の匂いも、俺よりも速い速度で走っているのに乱れない呼吸も、すべてがムカつく。俺絶対コイツとは合わねぇ。
「君みたいな有名人がこんなところにいて大丈夫なのかね?」
「有名人?」
「マスコミに随分持てはやされていたじゃないか。史上最年少の天才科学者って。」
「その話は聞きたくない。」
俺は視線を自分のメーターに向けた。速度を少し上げる。
「つれないね。」
「あんた、クラスは?」
突然の質問に訪れた沈黙。俺はちらりと相手を見た。彼はその宝石みたいな目を少し伏せたまま、肌にうっすらと浮かべた汗が見えた。ソルジャーも普通の人間と同じ成分の汗をかくのだろうか。
「当ててみて。」
「はぁ?」
「クラス。私は何にみえる?」
にこにこ笑って、男は自分を指差していた。俺はもう一度、はぁ?と声を裏返す。
なんだコイツ……ほんとにソルジャーかよ?俺が今まで関わってきたヤツらはそんなに話さなかったし、第一自分をエリートだと思っているのか俺たち研究員をどこか冷めた目で見る傾向があったからこんな馴れ馴れしく話しかけてくるヤツなんかいなかった。俺は本気で、青いカラコンつけたただの神羅社員なんじゃねぇの、と思った。だから、考えた末に出た返答は、
「係長?」
「ソルジャーにそんなクラスはないよ。」
「あんたほんとにソルジャー?」
「見えないかい?」
俺が大きく頷くとヤツはなぜか嬉しそうに笑っていた。

次にその奇妙なリーマンソルジャーと話したのは翌日だった。
ジムのある階に設置された喫煙スペースで俺は白衣のままタバコを咥えていた。大きな窓から見える雲。目の前に広がる大都会。この街はプレートの上にある。プレートの下は見えない。俺はそこへ行ったことがなかった。俺の故郷はミッドガルではない。東の田舎の、地図にも載らないくらい小さな村だ。母親はそこで花を栽培していた。父親は気付いた時にはいなかった。
母親が死んで、俺は学校へタダで行くためにミッドガルヘ出てきた。病弱な弟をつれてあるいた俺に最初、この街の風はどこまでも冷たかったけれど、俺には弟がいたから平気だった。可愛い弟、俺と一つ違いの弟。けれど彼は母親を亡くしたショックで脳の成長が停止してしまった。そのため、肉体的な年齢は17歳でも脳の発達はまだ10歳程度。彼は俺の全てだった。母親に似た容姿をした弟はいつも大人しく俺の帰りを待っていた。
「アル……。」
呟いて背もたれに体重をかけて天井を仰いだ瞬間、その顔は突然眼前に現れた。
「やぁ、エドワードくん。」
「ッ!!!」
俺は驚いて煙を下手に吸い込んでむせ返った。かっこわりぃ、と胸中で吐き捨てながら、背中を丸めていると、誰かの大きな手が背中をぽんぽんと叩いてきた。
「あーあ、だからチビッコの喫煙は…」
「だぁれがチビッコかぁ!?」
俺は唾を吐くほどに叫んだ。相手は少し驚いたようにその両眼を開く。
「ああ、気にしていた?そういえば君、背が低い…」
「低くねぇよ。」
けっと唾を吐いて俺はタバコを指に挟んだ。
見れば、やつの手にも煙のたちのぼるタバコ。ソルジャーでもタバコ吸うんだ、と俺が見ているとヤツは見透かしたように、
「そりゃあ、ソルジャーでもタバコくらい吸うさ。」
「筋力落ちるぜ。」
「脳の働きも低下するしね。」
俺は睨んだ。ヤツは機嫌がいいのか口元に笑みを浮かべてこちらをみていた。何が楽しいのやら…ソルジャーの考えることなんててんでわからない。
「で、なんの用ですか、ソルジャー1stのロイ・マスタングさん?」
「………あぁ………誰かに聞いたのかね?」
ロイはふらりと不自然な動きで視線を外した。本来1stなんてエリート中のエリート。誇示したがるかなと思ったんだけどどうやら逆らしい。ロイの声音はさっきとは違って沈んでいた。俺は、健康管理局で、とだけ言った。ロイはただ、そうか、とだけ。俺はなぜだか少し罪悪感がわいた。理由は全くわからない。
「でもあんたってさ、ソルジャーっぽくないよな…」
俺は自分でも思いもしなかったことをぽつりと呟いて、慌ててタバコを咥えなおした。肺胞の奥へ、ニコチンという粘着質な毒素を送り込む。自分で自分の首を絞めてまで求める悦楽。こんなこと、人間以外の動物は絶対にしない。
俺はロイの方をみた。ヤツはさっき視線を外したままの状態で窓の外を眺めている。何度も任務に行ったであろうその肌に日焼けの痕跡はなく、瞳は切れ長で鼻筋は通っていた。薄い色の唇と、でっぱった喉仏。なんだ、こいつ結構男前じゃん、と俺が見つめているとロイはタバコの煙を吐き出して、呟いた。
「ソルジャーらしい人間なんていないよ。人間はソルジャーにはなれるけれど、ソルジャーらしくはなれない。」
「……へ?それってどう…」
「ああ、時間だな。」
俺の言葉をわざとらしくさえぎったロイは立ち上がって灰皿にタバコを擦り付けた。
「ちょ、さっきの言葉!」
「すまないね、説明している暇がないよ。」
任務に行く時間だから、と言う彼は喫煙スペースを出る間際に、振り返った。
「エドワードくん。」
「時間ねぇんだろさっさと行けよ。」
彼はそれに対しては小さく肩をすくめるだけで続けた。
「私が任務から帰還したら、一緒に食事でもいかないかい?」
「……全額あんたのおごりならな。」
俺が言うと、ロイはこちらが驚くほどの童顔な笑顔で笑って出て行った。

ヤツの任務は一ヶ月ほどで完了した。
任務完了の報告をしてソルジャーが次に向かう先は健康管理局、つまりは俺の職場。俺はそこでロイ・マスタングと三度目の再会を果たした。流れ作業のように健康調査の紙を帰還してきたソルジャーに渡していた時、ふいにその手を握られて俺はびくっと体に力をいれた。
「小さい手だな。」
その聞き覚えのある低い声に俺は眉をぴくっと動かす。
「マスタング……」
「違うよエドワードくん、こういうときはお帰りなさいだろう?」
握られた手を俺は思い切り振りほどいた。
「きもちわるいことすんな、馬鹿。」
「酷いなそれは…」
苦笑する顔は出発前と変わらず、日に焼けていなかった。
その後、回収したロイの健康調査書の一番下に走り書きで食事のお誘いが書いてあった。

その日の夜、帰りが遅くなるから冷凍してあるシチューを温めて食うように弟に電話をいれたのはロイ・マスタングの運転する車内からだった。
「今のは…?」
「ああ、弟。俺、弟と二人暮しだから。」
親しくもない男の車になんで乗ってんだ、と俺は自嘲を浮かべる。後ろへ加速して流れているテールランプが警告灯に見えるのは気のせいだと信じたい。
「エドワードくんには弟がいるのか。」
「エドワードでいいよ、めんどいから。」
「……エド。」
「エドワード。」
俺が強く強調すると彼はつれないな、と答えた。
食事はホテルの上にある高級レストランってやつで、俺は正装してねぇのにいいのかな、とロイに聞いた。
「かまわないよ、どうせ個室だし。」
ロイは慣れたように入り口のウエイターと話をして、店の入り口とは別の小さい入り口から中へ通された。そこはすでに個室だった。
「好きなものを好きなだけ頼んでいいよ。」
といわれたので片っ端から注注文して片っ端から食べた。
食事を終えて、ロイは俺の家の住所を尋ねた。ヤツはそのままどこへも行かずに真っ直ぐ家まで送ってくれた。
「楽しかったよ、エド。」
さっきからこう呼んで矯正しない男に俺はすでに妥協していた。
「飯食っただけなのに?」
「ああ、すごく楽しかった。また、誘ったら来てくれる?」
俺は空を仰いだ。月が雲に隠れて見えない。嘆息して、ロイを見る。
「考えとくよ。」
笑って言ってやると、ロイは期待しているよ、と言って車に乗り込んでいった。