横恋慕2
カイザー・ラインハルトの発言はいつも唐突で、しかも少々ぶっ飛んでいるというのは彼の直属の提督達の、ほぼ共通の認識と言っても良い。戦争というある分野に(のみ)突出したラインハルトの感性は、他の分野でもある意味他の追随を許さない――とは、真実を述べてはいるが核心を突いてはいない。ラインハルトを知るもの達は、そんな生易しい物ではないと口を揃えて言うだろう。
つまりまさに今、端的な例で示すとすれば、ラインハルトが、普段プライベートな話を交わす事などないに等しいミュラーを前に、卿らはいつもどんなところで呑んでいるのだ?予も行ってみたい、等と言い出しても、言われた方は決して慌てず騒がず冷静に、「何を馬鹿な事を言っておられるのですかカイザー」、くらいあっさり受け流すのが正しい対応なのである。
しかし今回、不幸というか何というか(おそらくミュラー提督にすれば光栄きわまりないだろうが)、ラインハルトの気まぐれの相手として白羽の矢が当たったのがお人好しでしかもカイザーラブを自認するミュラー提督、まさかそんな対応をラインハルト相手に取れるはずがなく。
「はぁ、そうですね…やはり諸提督が多く集まられる場所としては、海鷲あたりでしょうか、小官もよく利用しておりますが…」
と、模範的な対応とは180度違う反応をしてしまったのがまずそもそもの間違い。更に普段ロイエンタール元帥やミッターマイヤー元帥など、対ラインハルトに手慣れた元帥達とは違った、ミュラー提督の純な反応にラインハルトが喜んだ事で、間違いに拍車が掛かった。
「ならば予も連れて行ってくれないか?一度くらいそんな場所で、卿らと酒を酌み交わすのも悪くない」
そんな事を、その造形は神の奇跡と全宇宙で賛美される微笑み付きで言われてしまえば、まさかミュラーに抵抗出来るはずもなく、かくして余りの手並みの良さに、隣に起立していたキスリングが止める間もなくラインハルトの海鷲行きが決定した。
海鷲はさほど混雑している様子はなかった。まだ酒を飲むには早すぎる時間帯、それでも突然の皇帝の出現に、歴戦の武人達も思わず動揺し店内がどよめいた。しかしいきなりヒステリックになる事もなく、どよめきの後の妙な静けさを経て、店内は平穏を取り戻した。
「ふむ、良い店だな」
店の奥まったテーブルに落ち着くとラインハルトは満足げに、まさか自分の存在が、その良い店の雰囲気を潰しかねないとは思いもしないで呟く。キスリングが何か言いたげに同期の顔を睨んだが、ミュラーはそんな事に構っていられなかった。カイザーとプライベートな時間を過ごす!(この場合、護衛は数に入らない)という、思っても見ない幸運に少し舞い上がっていると言っても過言ではない。
こんな所であまり飲んだ事がないのだ、と嬉しそうにグラスを傾けるラインハルトと、嬉しそうにそれに応えるミュラー、対照的に周囲に緊張の糸を張り巡らせるキスリング、三者三様の面持ちで雰囲気は奇妙な均衡の中穏やかに停滞、少なくともその中の1人はこの上なく幸せだった。
「マインカイザー、ここで何を」
その問いは、百戦錬磨と謳われる元帥の駆け引きの契機としてはあまりに凡だったが、ラインハルトを動揺させるには充分だったらしい。必要以上の力が加えられたグラスが、テーブルに当たって音を立てる。
「ロイエンタール元帥…」
ミュラーが呟く向こう、キスリングが敬礼をする。彼にしてみれば、皇帝を守っている時間はすべて公務内という認識だろう。つられて立ち上がり掛けたミュラーを手で制し、ロイエンタールはラインハルトに微笑む。
「マインカイザー?」
その声音は、悪戯をした子供をたしなめる様でもあったし、もっと別の含みがあるともミュラーには思われた。
当のラインハルトは、グラスを置いて、両手はテーブルの上で拳をつくって並べ、綺麗な顔が日が沈んだかのように俯いて。
「……キスリング!」
「はっ」
「ワインを」
「御意」
上気してほてった頬、目元を少し潤ませて、ラインハルトは顔を上げた。彼はロイエンタールを完全に無視していたが、無視された本人は気にした様子もなく、堂々と(図太いとも言う)ラインハルトの前の椅子に着席する。
「……予は着席を許可した覚えはない」
「おや、そうですか?小官を待っていらしたと思ったのですが」
「うぬっ…ぼれるな…!」
「ミュラー提督も災難だったな、大方、カイザーの我が儘に押し切られたのだろう?」
突然話を振られて、ミュラーは曖昧な返事を返した。ロイエンタールが現れるまでは上機嫌で饒舌だったラインハルトは、今や拗ねた子供のように喚いて、顔を紅潮させたまま唇をかんで――ミュラーはその様子に気を取られていたから、ロイエンタールの方に意識を向けていなかった。上の空で返事をするミュラーに、ロイエンタールは低く笑う。
ああ、とミュラーは思った。突然カイザーがこんな所に来たいと言いだした理由、ロイエンタール元帥の登場で傍目にも明らかなくらい動揺して。
ちらりとロイエンタールの目を盗んで、ラインハルトが顔を上げた。助けを求めるようにミュラーに潤んだ視線を向ける。わずかに充血した瞳、一瞬ミュラーに投げかけた視線を、迷うように今度はテーブルの上に落とし、睫毛が影を作る。絡むと言うにはあっさりし過ぎた視線の交錯、見るものを威圧する氷点下の蒼氷石が、自分の熱で溶け出しているかのような…何食わぬ顔でワインを口にするロイエンタール、キスリングは直立し店内を油断なく睨んでいる。
もしここで――ミュラーは不意に誘惑に駆られる。
もしここで自分が急に立ち上がって、カイザーの手を取り店を飛び出したら。元帥は驚くだろうか、ギュンターは慌てるだろうか、あの2人の歪んだ表情を見られるだろうか、カイザーご自身は笑うだろうか、破壊衝動なんて元々持ち合わせていない、温厚と目される自分が、カイザーを――攫うなんて。これが映画の一場面ならどんなに劇的だろう!
つまらない、三流以下のシナリオだと思いつつ、滑の奥からわき上がる欲求がどくどくと全身を巡る。アルコールが入っているはずなのに指先はなぜか冷たくて、視界に靄が掛かるかわりに、頭の中は妙にクリアで――酔っているんだ、とミュラーは言い聞かせる。ここにいたくないと身体が叫ぶ、だからってそれにカイザー巻き込むのは筋が違うだろう?
「……小官は」
喉から絞り出した声は、アルコールの熱に水分を全部取られてからからに乾いていた。ラインハルトが顔を上げる、ロイエンタールは視線も上げない。伏せられた金銀妖瞳がわずかに揺れたのが唯一の反応だった。多分彼は、自分が何を言うかくらい予想が付いて居るんだろうと、ミュラーは思う。
「小官はそろそろおいとまさせて頂きます。カイザー、楽しい時間を。」
行くな、とラインハルトの瞳が言う。私が居ても無意味ですよ、と言う意味でミュラーは笑顔を返したが、それがラインハルトに伝わったかどうか。
……勝ち目のない横恋慕なんてするもんじゃない。