横恋慕
ロイエンタールがその夜、皇帝に相見えたのは玉座ではなく庭の隅、ちょうど陰になって表から見えない茂みの中に、皇帝ラインハルトは長い足を投げ出して座っていた。
闇に飲まれることなく光輝を放つきらきらしい金髪。キスリングは敷地中探しても見つからないと嘆いていたが、なにを言っているのか、ここまで目立つ方も居られぬだろうに親衛隊長も意外と間が抜けている、と思う。
「我が皇帝」
豪奢な金髪の下埋め込まれた蒼氷の瞳、いつも冷たく輝くそれが、今は充血して転げ落ちそうなくらい不安定に揺れて――それでも突然1人だった空間に入り込んできた金銀妖瞳の元帥に向けられた瞳は、いくらか理性を取り戻していて、鋭いとは言わないまでも、錆び付いた刃物のような眼光――追い返すには迫力不足、手を出すには少し危険な。
「……キスリングはどうした、あの馬鹿、予は1人で飲んでいたかったのに、親衛隊長のくせに邪魔者の排除もできんのか」
「あなたが撒いたんでしょう。当のキスリングはあなたを血眼になって探していましたよ」
「…ふん、簡単に撒かれる方が悪いんだ」
言う事は既に支離滅裂、潤んだ瞳は彼の酩酊状態をよく表していて、右手にはワイン瓶左手にはグラスの勝手気ままでハイペースな手酌、帝国元帥たるロイエンタールでさえ、その飲み方は勿体ないだろうと思わず吝嗇な事を思ってしまう。
「……身体に悪いですよ」
むしろワインに悪いと言うのが本音、それを隠そうともしない上っ滑りな気遣いの言葉に、いくら他人の心に機微に疎いとはいえラインハルトも、さすがに可笑しくなって笑う。
「卿はもうちょっと…あれだな、せめて上辺だけでも取り繕うとか、そういう事も覚えた方が良いんじゃないか?」
「陛下に言われたくありませんよ」
やんわりとラインハルトの手からワインを取り上げようと手を伸ばし、中に入りましょうと言うと、気分を害したのか眉を寄せて声のトーンを一段階下げて(声を荒げなかったのは、親衛隊長に見つかる事を恐れてだろう、親衛隊長は皇帝の我が侭にはロイエンタール程優しくない)、身体の陰にワインを庇う。
「…だから隠れてたんだ。みんな予の飲み方に文句を付ける。」
「付けられて当然な飲み方をされているからでしょう。」
「おまえまで自分は良識派みたいな物言いをするのか!」
「良識派…」
誰に聞いても当てはまらないと言われそうなそのレッテルに、ロイエンタールは苦笑する。ラインハルトはぶつぶつと1人呂律の回らないままで、今まで誰にどんな風に(アルコールの摂取方法からから生活習慣全般について)文句を付けられたとか、それに対してどう反論したとか、ロイエンタールが聞いていないのにもお構いなしで呟き続ける。
延々、と言っても3分程、彼の戦争屋としての才覚からは想像も付かない程稚拙な単語が並んだぼやきは早々に底を尽き、ラインハルトは「忠臣」ミッターマイヤーの忠言への3回目の反論を不満たっぷりに述べた後、相槌を求めてロイエンタールを見上げた。
話を9割方聞き流していた彼は、話が途切れたのをこれ幸いに、そろそろ潮時かとラインハルトに起立を求める。
「判りました、文句は付けませんからとりあえず中に入りましょう」
風邪を引きますから、と言う言葉にラインハルトがまた笑った。
「本気で言ってるのか?」
「カイザーのお体を気に掛けるのは臣下として当然だと思いますが」
「うわ、白々しいー」
きゃっきゃと笑う。
酔っぱらいに何を言っても無駄かとロイエンタール、酒のおかげで明らかになったあまりにも不本意な皇帝の自分に対する認識に頭を抱えつつ、失礼、と言ってラインハルトの腕をとった。
「なっ…………」
「あまり我が儘を言って頂いては困ります。」
至って普通、些か事務的ではあったが、それの平素通りのこと、ロイエンタールが何の気なしに言った諫言に、ラインハルトは突然先程までの酩酊状態から目覚めたかのように、力一杯ロイエンタールの腕を振り払った。
「陛下、ですから」
「うるさい」
「へいか」
「うるさいうるさい」
あーもう何も聞こえない、とラインハルトが両耳を塞いで立ち上がりロイエンタールに背を向ける。駄々っ子のような皇帝の姿に、ロイエンタールは苦笑して、小さく呟く。
「……あまり、求められても困りますよ」
私はキルヒアイスではありませんから、という自嘲気味の呟きも耳を塞いだラインハルトには勿論届いていなくて、未だ拗ね続けるラインハルトに、機会が有れば一緒に飲みに行きますかと、今度は聞こえるように声を掛けると、ラインハルトは嬉しそうに笑った。