いいこにしてなさいエドワード。そうでないと

エドワードエルリック、目下栄えあるエリート最年少錬金術師の彼は、東方司令部内の静かな閲覧室の隅にいた。と言うより、机に突っ伏して眠っていた。
貴重な(貴重云々以前に公共の)文献に涎をつけないよう、微妙に本が口元からずれているのは無意識のなせる技。陽は既に傾いて、俯せるエドワードの髪と肌は月明かりで青白く反射している。
この閲覧室、置いてある資料の性質上利用者はそこそこ少なく、建物自体は年季が入ってそれでいて空調設備も整っているから、本を読むにはこれ以上ない快適な部屋。
もっとも、快適すぎて睡魔に誘われることも度々あったが。

――早く、早く帰ってきなさい!
夢の中で、エドワードは怒鳴られた。
本能的に恐怖を感じて振り返る……仁王立ちしていたのは、世にも恐ろしい形相の師匠!
日が暮れる前に帰ってこいと言っただろう。
怒気をはらんだ声にエドワードは肩をすくませる。鉄拳が来る…衝撃を覚悟してエドワードはぎゅっと目を瞑った。師匠ごめんなさい!――

「……ど、エドワード?」
来ると思った衝撃より先に肩に何かが当たった。
それから、悪夢とはそぐわない優しい声。ばっとエドワードは身体を起こした。
いつの間にか部屋の中は暗闇で満たされていて、所々、光に照らされた資料の背表紙が、闇に浮かび上がっている。
「……大佐?」
「よく寝ていたね、もうここの利用時間はとっくに過ぎているよ。」
「あー…」
ぽりぽり、と頭を掻く。急に身体を動かしたせいで、一瞬ふらっとなったが、すぐ持ち直した。
「まるで眠り姫だね」
「起きないからキスしてみたとか言ったら殴るぞいくら俺が覚えてなくても」
「そんなことはしていないよ、でも私が来たら起きたじゃないか」
そういって、この喰えない大人はにっこり微笑む。
閲覧室に籠もる紙の匂いに混じって、香水のやらしい匂い。くさい、とエドワードは悪態を吐いてやろうとして、ほのかな匂いに気付くほど彼に神経を向けていた自分に気付いて、恥じる。
自己嫌悪に陥って、それこそ唾でも吐きたくなったが、さすがにそんなことはしない。
あー、と呻くエドワードを不思議そうにロイは見つめている。エドワードが不機嫌にロイを睨み返したから、彼は躊躇いもせず(女を落とすときに使う)極上の笑みを浮かべてやった。
不意打ちの笑顔に、何その気持ち悪い顔、と言う毒も吐き損ねた。エドワードは頬が熱いのを感じて、視線を外して頬に手をやった。鋼の右腕は、ひんやりしていて気持ちが良かった。
「どうしたのかね、惚れ直したかい」
「いっぺん頭打って人生やり直せ」
「そんな言い方はないんじゃないか。約束の時間になっても君は来ないし、アルフォンスくんに聞いたら閲覧室に行ってからまだ帰ってこないと言うし。」
「はいはいすみませんよー…」
変な体勢で寝ていたために、体中がぎしぎし言うのが忌々しい。
そう、今日こそ仕事が早く終わるから、終わったら食事に行こうと昨日そう言っていた。
自分たちがイーストシティに帰ってきて、今日で三日目。仕事を溜め込んでいた(自業自得)ロイマスタング司令官はこの二日間、久しぶりの恋人の帰還にもかかわらず、定時に仕事を終えることを許されなかった。
「頬に跡が付いてる。」
後ろからロイマスタングが腕を回す。エドワードは身体を反って、ロイを見た。
「え?ほんとに?」
「うん。見事に本の形が」
「うわまぬけー…」
念のため左手で確認したら、指先にでこぼこした感触。確かに結構くっきり跡が付いているようだ。
「だいぶ長い時間寝ていたようだね?」
「かなー…そういや外はもっと明るかった気がする…」
寝不足かな、とエドワードは思ったが、口に出せば日頃の不摂生をここぞとばかり突っ込まれそうなので止めておいた。小言はアルフォンスので十分だ。
「何か悪い夢でも見ていた?うなされてたよ。」
その指摘には、心当たりがありすぎた。
「……せ…師匠の夢…かな…」
「あの怖いと言っていた?」
「怖いなんてもんじゃねー…」
ぶるる、と身震いをする。夢の中の師匠は、もう何年も会ってていないに関わらず迫力は全く衰えていなかった。
「君がそこまで言う女性なら、一度は会ってみたいけどね。」
「やめとけって、大佐なんか秒殺だって。」
「そんなことはない。それにほら、君を下さいと挨拶しないといけないし」
「瞬殺だな」
口が減らないね、とロイは苦笑して口付けた。エドワードは素直にそれに従う。柔らかい唇、生温い舌が入ってきて、歯列をなぞられ奥に――
「アンタエロい」
「褒め言葉だよ」
嘘くさい笑顔を貼り付けたまま、服の下に手を侵入させてくるのを、叩いて阻止する。
「馬鹿かアンタ。仮にも職場だろ、ここ。」
「まぁそうなんだが。君の寝顔を見ているうちにほら。むらむらと」
「むらむらってなんだその形容は……!」
腕をほどいて、立ち上がる。机の上に広げていた資料をかき集めて、持ち上げる。幸い(?)今日はよく寝ていたために、いつもより片づける量は少ない。
「つれないね」
「アホなことばっか言ってる暇があるなら手伝え…飯喰う時間ないからな!早く帰らなきゃアルが心配すんだよ。」
「……わかった」
さすがにこれだけ待って食事までお預けになるのは嫌なのか、素直に半分押しつけられた文献を素直に受け取って棚に戻す。それから気付いたように顔を上げた。
「泊まって行かないのか?」
「あー……どーしよっかな…」
歯切れが悪いエドワードに、ロイは眉をひそめた。
「そんなに嫌かい?」
「いやっつーか…さっきの夢がさ、師匠に早く帰ってこいって怒られる夢だったんだよな」
エドワードは少し背伸びをして、最後の一冊を棚に戻した。無意識かそれともわざとなのか、手の届きそうにない場所の本は、すべてロイに押しつけている。
「……この場にいない女性に負けるとは。」
「あはは」
笑ってエドワードはロイの背中をぽんぽんと叩く。
「そーいや、夢ん中で叱られてて思い出したんだけどさ、母さんに聞いた昔話」
「ん?」
「悪いことをしたら、袋の中に閉じこめられちゃうって。そんな話聞いた事ねぇ?」
「さぁ、どうだろうね」
「俺は母さんに聞いたんだけどさ、師匠もこの話知ってて―じゃあ南部の人は知ってんのかな、大佐は良かったなー、南部じゃなくて」
「なぜ?」
最後の一冊を棚に戻して、ロイは首をかしげた。エドワードはにしし、と子供特有の意地悪な顔で笑う。
「だって大佐、一生袋に閉じこめられっぱなしじゃん」
ロイは破顔した。

結局帰れる筈なんてなくて、エドワードはアルフォンスごめんと電話を入れる。心の中で土下座する。
飯喰ったら帰るなんて嘘吐いてごめん、にーちゃんロイマスタングが好きなんだちょっと一発やってきます、と告白する気にはさすがになれず、大佐の家で面白い文献を見せて貰うことになったから、とか適当に何とかかんとか並べ立てて、アルフォンスの不信を招く前に電話を切った。
「アルフォンスに随分気を遣うんだね」
「当たり前だろ」
エドワードは半眼で睨む。睨んでから、すぐ、ああ、と息を吐く。ロイの手が下に下りてきてエドワードの中心を優しく擦って、もう片方の手では乳首を弄って、エドワードの身体はそれに直ぐに反応する。顔を上気させて、指の侵入にもエドワードは抵抗しなかった。耳を舐められて、はしたなく嬌声をあげて、それと同時に後ろもひくひくとロイを――刺激を求めて蠢く。

快楽を求めて腰を振りながら、やっぱりどこか冷静な部分でアルフォンスごめん、とエドワードは呟いた。


早く、早く帰って来なさい。夢見心地、声が聞こえる。それは誰だったか、こんな時間、夕方、空の色、少し冷たくなった風。それは今より少し幼くて、舌っ足らずで、それで居て少し偉そうな兄としての、自分の声。夕陽を背にして、自分が立っている。今より短い金髪、見たことのある服、そして光景。アル、もう帰らないと母さんが心配するだろ、ウィンリィと地面にうずくまって、何か見つめている弟、それから幼なじみの犬。アル、なにしてんだ?もう夕方だぞ、早く帰らないと母さん心配かけちゃいけないだろ?のぞき込む。アル、何か見付けたのか?アルフォンスが顔を上げる。顔を上げて、袋を掲げた。土の付いた大きな白い袋。いびつな形。そして右腕と左足に激痛。薄れていく意識の中唐突に思い出す、あの昔話。悪い子共は聖人に、袋に閉じこめられるという。視界が真っ暗にフェードアウトしていくのを、エドワードは何とか食い止めようとした。かすれる喉から必死で問いを絞り出す。――なぁアルフォンス、お前は何を閉じこめたんだ?――