アルフォンス・エルリックはその時ちょうどリビングで音楽を聴きながらファッション誌をめくっていた。開け放たれた家のドア、どかどかとフローリングを踏みしめて兄、エドワード・エルリックは、通常よりも三倍ほど目つきを悪くして帰ってきた。唇から間断なくこぼれるちいさい呟きに耳を澄ませば、それは誰かを罵倒する言葉のようで。
「もう俺ほんと知らないッ!!」
「兄さん、おかえり。おせんべいあるよ。」
リビングの中心で愛ではない何かを叫んだエドワードに対するアルフォンスの声は冷静だった。エドワードは目じりを鋭くあげたまま、背負っていた大きなリュックサックをその場に落とすと、テーブルの上にあった大きなアルミ缶ふたを開いて無造作に煎餅をつかむとばりっとかじる。アルフォンスはエドワードがさっきまで背負っていたリュックに一瞥を投げた。たくさん詰め込むのはオタクの習性だよと昔兄に言ったのに聞いちゃいない、エドワードの鞄は何が入っているのかわからないくらいにぱんぱんだった。エドワードはさらにもう一枚、煎餅を手にとりながらアルフォンスの目の前に座ると大きな声で言った。
「なぁ、アル付き合えよ明日の日曜日!」
「ヤだよ。」
「なんで!?」
弟に即答された兄は、びっくりしたようにその金色の瞳を大きく見開いた。アルフォンスは頬杖をついたまま、アルミ缶の煎餅に無言で手を伸ばす。エドワードが素早く手前に缶を引く。空をきったアルフォンスの手。
弟が、やっと兄を正面から見据えた。してやったりなエドワードは口角をあげてにやつく。
「へへー。」
「へへじゃないよばか兄。」
「ばかゆーな!」
どこまでも大人なアルフォンスは半眼のまま、出した手をおとなしくひっこめた。
「要するにあれでしょ。またマスタングさんと痴話喧嘩したってことでしょ?」
「うッ……だってあいつが…!」
「はいはい、わかってるよ。兄さんは何も悪くないんでしょ?」
いつものことじゃない、と付け加えるアルフォンスの言葉に棘を感じながらエドワードは取り上げていたアルミ缶をテーブルに戻した。すかさずアルフォンスが手を伸ばして煎餅を取るが、気づかない。
「だって……」
「マスタングさんと喧嘩したからってボクで代用しないでよ。代用するなら他の人誘って。」
「そ、そんな代用とかゆうつもりじゃ…」
アルフォンスはもうエドワードを見てはいなかった。ぱりっと乾いた音を口元でひびかせながら、視線は手元の雑誌に注がれている。エドワードは眉間に皺を寄せながらうううと呻いた。そんなつもりはないのに、そう言いたいのに言えないのは、そのセリフが100パーセント真実ではないと知っているから。
それにしてもいつからうちの弟はこんなに俺に厳しくなったんだろう?
一瞬前まで騒がしかったエドワードは、悲痛そうな表情で机に突っ伏した。下からじっとアルフォンスを見上げながら、言葉にもならない言葉を涎のように垂れ流している。騒がしかったりじめじめしたり極端な人だな相変わらず、アルフォンスは心で苦笑した。
実際、アルフォンスは大人だったから、兄の誘いに付き合ってあげてもかまわないのだけれど、たまにはこうやって反抗してみたくもなるのだ。どんなに激しく喧嘩しても兄とその恋人は結局また仲直りすることが弟にはわかっていたから。
一番何もわかっていないのは、アルフォンスの目の前で平べったくなっているエドワード。
「あ!」
エドワードは突然声をあげると、席をたった。放置していた重たいリュックを持ち上げて、足早に自室へ向かう。アルフォンスはそんな兄の背中に軽く視線を送ったが、特に何も言わなかった。


翌日、つまりは日曜日の朝。平日よりも遅めの起床をしたアルフォンスがリビングに行けば、休日は昼を過ぎないと起きてこないエドワードが、焦げたトーストを食べていた。
「兄さん、でかけるの?」
コーヒーマシンをセットしながら、アルフォンスは兄に尋ねた。頷く兄。アルフォンスは手早く野菜を切って皿に盛り付けると兄の目の前に差し出した。朝ごはん、それだけじゃだめだよと言いながら自分は淹れたてのコーヒーをすすった。
「っていうか兄さん、またトースト焦がしてる。しかもなんも塗ってないし。」
「うるさいなぁ…」
低血圧なエドワードは少し不機嫌に言うが、アルフォンスは気にしない。口元に笑みをうかべながらも冷静に、兄の珍しい姿を観察していた。
まず、服がすでにパジャマではない。アルフォンスがアルバイトしている店(セレクトショップ)で、彼が兄のためにと選んであげた細身のブロークンジーンズに黒の長シャツ。髪は三つ編みでなく一つにまとめて寝癖もない。少し離れたソファの上に目を向けると、ファーの着いた赤いダウンが放置してあった。羽織って行く気なのだろう。カフェインで冴えてくる頭で、アルフォンスは考えた。
「ハイデリヒさんだね。」
「え、俺言ったっけ?」
「見ればわかるよ。」
夕食までには帰って来るんでしょ?玄関まで見送ったアルフォンスに、エドワードは後姿で頷いた。機嫌良く出て行った兄の真っ赤な後姿を見ながら、アルフォンスは嘆息した。エドワードの鈍感さは、今にはじまったことではないけれど。
(ハイデリヒさんも、災難だなぁ。)
人の悪い笑みを浮かべて、アルフォンスは胸中でほんの少しだけ、エドワードの友人に同情した。


その三日後。結局兄とマスタングは、マスタングが折れる形で仲直りをしたらしい。それを聞いてもアルフォンスは特に感動も感想もなく、ただただ期待をもたされたであろうハイデイリヒにほんの少しの哀れみを覚えただけだった。


否、そういうフリをしてみただけだったり。