宇宙トンネル 前編
火星を出発して数時間。エドワードは図書館にこもっていたが、不意にラインハルトのところへ行って一言「暇」という宇宙ではある意味禁句である単語をひねりだしてその場にしゃがみこんだ。ラインハルトは古い雑誌をめくっている。めくりながらさして真剣に呼んでいないらしく、手だけを動かして視線は足元にしゃがみこんだエドワードの旋毛に注がれていた。蒼氷色の双眸の視線を感じたのかエドワードが顔を上げる。そしてまた同じ単語を繰り返した。多少のニュアンスを変更して。
「ひぃまぁ〜」
「さっき聞いた。」
ラインハルトが視線を雑誌に戻す。エドワードはむぅ、と喉の奥でもう一度暇だと呟いた。
「宇宙は退屈な空間だ、エドワード。いやまぁ面白い場所もたくさんあるが…」
「なぁラインハルト、機関室とか見れたりしねぇの?」
エドワードは小声で呟いた。無理なら無理でいいやと思っていたから、ラインハルトが何も返答してこなくてもなんとも思わなかった。そのまま流されたのかとすこし不満ではあったが。ラインハルトは古い雑誌を閉じて立ち上がった。元にあった場所へそれを戻すと、
「機関室に行きたいのか。」
「反応遅ッ!」
エドワードの声に臆した風もなくラインハルトはきょとんと目を丸めて首をかしげた。
「行かぬのか?」
「いやあの……いいの?そんな簡単に。」
「あぁ、私は車掌とは知り合いだ。」
戸惑ったままのエドワードを置いて、ラインハルトはさっさと図書室を後にした。
慌ててラインハルトの後を追って、車両を渡る。三等、二等、一等の車両、個室車、寝台車、そして食堂を抜けて、先頭車両まで来た。
レバーを慣れた手付きで下げるラインハルト。扉が音もなく四方に円を描きながら開いて、黒い帽子を片手で押さえながら、腰をかがめて入っていく。エドワードは左右を見渡してから、おどおどと頭をさげて足を踏み入れた。
瞬間、暗かった部屋が先頭からこちらへ光を放って順番に起動した。エドワードは見回した。思わず零れる感嘆の声。航路計算機と、速度メーター、宇宙航空法に基づく銀河系及び大アンドロメダ星系の地図。すげぇすげぇと言いながら、エドワードはそのパネルに触れた。瞬間走るぴりっという痛みに手を引く。
「いつッ…」
「大丈夫か、エドワード。」
ラインハルトがさして心配そうでもない声で言う。
「なんかぴりってきた…」
「ムヤミニ、サワラナイデ、クダサイ。」
「うわ、しゃ、しゃべ…」
「すまぬ、999号。こいつは素人なのだ。」
驚くエドワードを尻目にラインハルトは999号の心臓部に語りかける。懐かしいような淡い光に一瞬満たされた機関室がすぐに元の色彩に戻るのに一秒を要しなかった。エドワードは、ラインハルトに目を向ける。
「これは…人工知能?」
「そうだ、999号は人類の最先端技術をすら凌駕する。」
ラインハルトの言葉にエドワードがあんぐり口をあける。
「人類の技術よりもさらに上…じゃ、じゃあ誰がこれを作ったんだよ?」
「人類だ。」
「どうやって?」
「さぁ?私にはわからぬが。」
「そ、それじゃ…」
エドワードが何か言いかけたのを遮ったのは、機関室の扉が開く音だった。ぷしゅーっと入ってきた時と同じような音とともに現れたのは、銀河鉄道職員の青いスーツに身を包んだ若そうな青年だった。
「す、すみませんお取り込み中…あの…」
エドワードは何度か見たことのある顔に、何かあった?と聞き返した。銀河鉄道999号車掌であるナイトハルト・ミュラーは走ってきたのか頬を少しだけ上気させて言った。
「あ、あの……窓の外に不審物が発見されましたので除去しようといたしましたところ、ラインハルトさまとエドワードさまのお知り合いだと仰ったので如何対処すればよろしいのかと思いまして…」
「知り合い?」
ラインハルトが宝石のような瞳をすぅっと細めた。エドワードも腕を組んで考え込む。
ミュラーは双方を見やってから、控えめに言った。
「当列車はまもなく宇宙トンネル宙域に入ります…車外にいるとあまりに危険…」
「っつか今の時点で車外にいれること事態がおかしいと俺は思うけど。」
「宇宙人か何かか?」
エドワードとラインハルトの言葉にミュラーが首を振る。いえ、確かに人間ではあるのですが、と言葉を濁して視線を下げた。ラインハルトとエドワードは顔を見合わせた。
「しゃーねぇな、俺が見てきてやるよ。」
エドワードが笑って車掌に向きなおる。ミュラーははじかれたように顔をあげて掌をぶんぶんと顔の前で振った。
「いえそんな、お客様にそのようなことをお願いするわけには参りません!」
「でも俺らの知り合いかもしんねぇんだろ?」
「エドワード、私も手伝おうか?」
ラインハルトの言葉にエドワードは笑顔でやんわりと断る。
「俺はあんたを守ることを条件に999号に乗ったんだ。あんたを危険な目に合わせるわけいかねぇだろ?」
「…わかった。だがくれぐれも気をつけろよ。車掌の言ったようにもうすぐ999号は宇宙トンネルに入る。そうなれば、窓の外の不審物など自然と消え失せよう…」
「顔見てくるだけだから。っと、ごめん、車掌さん。」
ミュラーの横をするりと抜けてエドワードは車両を走り出した。
座席に戻っていたラインハルトの下へ、げんなり顔でエドワードが帰ってきた。さっきから時間は5分とたっていない。片手にはなぜかデッキブラシを持っていた。
「だ、大丈夫か?しばらく会わぬうちにその…やつれた?」
「なんか二時間ほど宇宙人と戦ったような気がする。」
エドワードは車両の時計を見やって、まだ五分たってねぇよと泣きそうな声で呟いた。
「そんなに大変だったのか?っていうか実際誰だったんだ?」
ラインハルトが席から立ち上がろうとするのを、エドワードは必死の形相で抑えた。
「いや、見ないほうがいい。」
「???」
両肩を力の強いエドワードに抑えられてラインハルトは疑問符をうかべながらも一応素直に従った。
「そうだ、エドワード、何か食べたくはないか?」
「へ?あ、そうだな…食堂車行く?」
「ああ、行こう。」
ラインハルトが立ち上がった時、丁度車両が開いた。
「お客様、どちらへ行かれるのですか?」
先ほどのミュラーと同じ制服を着た、彼よりもさらに若いかんじのする青年は人のいい笑顔で言った。座席の側まで来て、
「当列車はまもなく宇宙トンネルにさしかかります。お座席を離れると危険ですよ?」
「食堂車に行きたいのだ、アルフォンス。」
ラインハルトの立ち上がりかけた肩を白い手袋に包まれたアルフォンスの手がやんわりと座席に押し戻す。すとん、と座るラインハルト。上手いな、と妙な気持ちでエドワードはいつもの場所、ラインハルトの向かいに座る。
アルフォンスは上品に着こなした青い制服の内に手を差し込むと電子手帳を取り出した。
「しかしいつ電気系統が落ちるやもしれません。お食事はわたくしが座席までお運びいたしましょう。」
ご注文は?とにっこり笑うアルフォンスにラインハルトは頬を染めて顔を背けた。やるな、アルフォンス、とエドワードはその様を複雑な心境で見つめていた。瞬間、
がすっ!
「な、なんの音だ…?」
エドワードとラインハルトが派手な音のした方向を探して視線を泳がせる。999号をかすかに揺らすほどの衝撃に、しかしアルフォンスは笑顔のままだった。
「大丈夫ですよ、気になさらないで下さい。虫です。」
彼の言葉にエドワードが首をかしげる。
「虫?」
「嫉妬に狂った害虫です。」
「………あぁ、窓の外の…。」
げんなりした顔のエドワードにラインハルトが視線を向ける。
「それほどの力を持った奴なのか?」
「いやなんていうか……あ、注文しようぜ!えっと俺はエビフライ!」
「………赤。あとサーモンが食べたい。」
少しだけ不満を残した表情でラインハルトは言った。アルフォンスが電子手帳にメモりながら、じゃあサーモンのムニエルをお持ちしましょうか、と言う。
「ああ、頼んだ。」
ラインハルトが言うとアルフォンスは丁寧に一礼して、車両を去った。去り間際にエドワードの鼻をくすぐったい匂いが通り抜けた気がした。
「香水……」
「なんだ?」
「あ、いやなんでも…」
エドワードは咳払いして誤魔化して、窓の外を眺めた。きらきら光る星々を眺めるのはエドワードは嫌いではなかった。その時、耳のいいエドワードは宇宙空間にはありえない声を聞いて顔を青くした。
がたがたという999号とは別の音も聞こえる。
彼はちらりと前を盗み見た。ラインハルトは蒼氷色の瞳を星々の大海に向けているが、異変にはまだ気づいていないようだ。
その間にもエドワードの耳には、やっぱり可愛いだの、さっきの車掌は銃殺だなどと意味のわからない会話が聞こえてくる。
ラインハルトが気づきませんように、とエドワードは祈るばかりだ。
その時、ふと遠くを見た視線の先に移った、ラインハルトの後ろの座席の窓に黒い影を見て、彼の頭の中で激しく警鐘が鳴り響いた。
やばい、もうこっちまできてるのか奴ら…!!!
「どうかしたのか?」
窓枠に肘をついて、ラインハルトが不思議そうにエドワードに尋ねた。慌ててエドワードがピントを目の前に移す。視界の端に、あちらの窓をいれつつ。
「あ、いや…なんでも…」
「こちらに何かあるのか?」
「なんでもねぇなんでもねぇよマジでほら流れ星がほら!!」
振り返りかけたラインハルトの頬を両手で掴んで強引に窓の外を向かす。不快そうに眉をひそめてエドワードを睨むラインハルト。
「流れ星などないではないか。」
それでも真剣に窓の外を眺める彼の姿にエドワードは安堵して手を放した。
「よく探せばあるって。」
「…ない…。」
窓の外に張り付いてラインハルトは目を凝らした。エドワードは向こうの窓を睨みつける。
黒い影はすでに人影をしていて、片方がへらへらと手を振っているのはスルーする。
その時。
「あ、」
「トンネルか…」
999号内の明かりがいっきに消灯した。