蜃気楼4


風邪をひいた頭でふらつく脚を引きずって、俺は何かつまめるものを、と台所にたった。冷蔵庫にあったじゃがいもを輪切りにしてフライパンにのせる。
バターがじゅうじゅうと音を立てていい香りが立ち始めた頃、寝室の扉が開いてロイエンタールさまがナイトガウンをお召しになって出ていらした。普段の美しい肌色よりもくすんで青い頬をニ、三度掌で叩いて彼は、こちらへいらした。俺の身体を後ろから優しく抱き締めてくださる。
「熱があるな。」
「どうしてわかるんですか?」
「俺も熱があるから。」
言って俺の火照った頬に口付け。
「寝てらしてください、ロイエンタールさま。今日は休めても明日はそうはいきませんでしょう?」
「そうだな。」
彼はもう一度腕に力をこめて俺を抱きしめ、それからリビングのテーブルに置いてあった新聞を手におとりになった。広げて読む。俺は隣の鍋で用意してあったホットミルクにアルコールを溶かしたものをお持ちした。
コーヒーじゃないのか、と不満げな彼に俺は、だめですよ、と言う。
「熱を出しておいでなのにカフェイン摂取なんてだめです。朝ごはんをお召しになったら、またベッドにお戻りになって頂くんですから。」
「ほう、ベッドとは……ハルトは誘っているのか?」
「ち、違いますッ!!」
反論する俺に彼は優しく微笑んで、俺の髪を指先で撫でてくださった。その優しい手つきにうっとりしていて、向こうで焼いていたジャガイモを思い出して飛び跳ねた。
「あっ!じゃ、ジャガイモ!!」
叫んで走って台所へもどったが、そこにあったのは煙にまかれて黒く焦げたバター色の塊だった。

真っ黒い塊を苦笑しながらお召しになられたロイエンタールさまはベッドにお戻りになられることを渋ったが、俺が無理やり背中をおした。
「お前も寝ろ。」
言ってベッドに引き入れてくださる。たくましい腕を俺の金髪の下に敷かれて、彼は笑った。
「二人で風邪を引いて、その当人同士が一緒に顔を付き合わせて眠るとは……なんとも馬鹿げた話だ。」
「これでは一生治りませんよ。」
「キスでもするか?」
「俺の話聞いてないじゃないですか。」
それから熱いキスをして二人でげはげはむせ返って笑って、幸せだった。
すごく幸せだったのに。

翌日の早朝、家の電話がなった。俺は、電話に出ることを許されていないから、隣で眠るロイエンタールさまの肩をそっとゆすって起こした。
彼はニ三、受話器の向こうと言葉を交わしてから、コートを、と仰った。
俺は慌てて、彼の軍用コートをクローゼットから引っ張り出す。洗面台で顔を洗って髪をお梳きになりながらロイエンタールさまは留守を頼む、とおっしゃった。
「今夜は多分、帰らないから…」
「何かあったんですか…?」
風邪でお休みになった影響かと思って俺が聞くと、彼は俺の手からコートをお受け取りになりながら、
「皇帝陛下がお忍びでこちらへいらっしゃるそうだ。彼から電話があった、今…」
ロイエンタールさまはそうおっしゃりながら電話を見つめていらした。鋭い双眸に温かい灯がともったような瞳をしていらした。
俺は、よかったですね、と言った。ロイエンタールさまは頷いて、家から出るんじゃないぞ?と俺の頭を撫でた。

夜になっても、ロイエンタールさまからは電話一本なかった。電話があったとしても、俺は出られないから意味はないのだが。
俺は念のため、とロイエンタールさまの分の夕食も作ったが、結局それは無駄になってしまって、冷めてしまったシチューをタッパにいれて冷蔵庫へ保管した。テレビをつけても、皇帝陛下がこの地へ来たことなどは報道されていなかった。
今頃、ロイエンタールさまはどうなさっているんだろう、と俺はカーテンをめくって外を見た。高層マンションからの夜景は本当に綺麗で、たくさんの光が地上と空で瞬いている。
ロイエンタールさまがあれほど会いたがっていた皇帝陛下。俺と全く同じ外見と同じ声を持った皇帝陛下。テレビの中からでさえ、その存在の高貴さが滲み出てきたほどの、光り輝く獅子と称されるほどのヒト。ロイエンタールさまが、世界で唯一愛していらっしゃるヒト。
そんな、美しい方と今頃何をなさっているんだろう。
俺は自分の腕で自分を抱き締めた。昨日の夜は、俺のこの身体を抱いてくださったのに。浅はかな妄想。俺はカーテンを引いた。
ロイエンタールさまは今頃はきっと、あの綺麗な唇で、彼の愛しい人を愛撫なさっているに違いない。あの長い指で、乳首などを弄びになられて、鎖骨に噛み付いて痕を残して。
俺は、ロイエンタールさまの寝室に勝手に入って、薄暗い明かりだけをつけた。全身鏡の前に立って、身に着けているものを全て取り払っていく。露わになる、真っ白い裸体。消えかかった所有の痕。俺は指で撫でた。首筋、鎖骨、胸、腰そして、力なく垂れたそこにも残っている。俺は、最後にそこを指で包んだ。
鏡に写る俺の顔は、テレビで見る陛下の顔と同じ。ロイエンタールさまは、このお顔を愛していらっしゃる。けれど、これは俺じゃない。俺は頭を振った。嫌だ、考えたくない。
俺はそのまま、ロイエンタールさまのベッドに入った。彼の使っている香水と、昨日の彼のにおいが残っている布団と枕を引き寄せる。俺は、片手で乳首を愛撫して、片手を自分の口に咥えた。枕に顔を埋めて、ロイエンタールさまの名前を呼ぶ。唾液で濡れた指を、俺は肛門に宛てがった。触らずとも、ロイエンタールさまの声と愛撫を思い出しただけで俺の熱の中心は勝手に熱く硬くなっている。俺は、指の先端を尻の間に埋めた。じゅぶじゅぶ、と抵抗を生みながらもそれが腸壁を押し入っていく。これは、ロイエンタールさまの指。そう考えながら、その指を出し入れする。ロイエンタールさまの長い指が、俺の後ろを出入りなさる。淫乱な言葉をその唇から俺の耳に注ぎ込んでくださる。そして俺の名前を、呼んでくださる。
あぁ、と俺はティッシュに手を伸ばして慌てて自らの白濁をそこへ注ぎ込んだ。零れないように、大量のティッシュでカバーして、自らの雄を吸い取らせる。
そしてそれをベッドサイドのゴミ箱に放り込むと、俺はベッドの上で四肢を投げ出して射精後の疲労感に呼吸を荒くしていた。
ハルト、と気遣ってくれる彼の声が聞こえた気がしたけれど、すぐに空耳だと気づいた。セックスが終わると、ロイエンタールさまは俺の性器をとても丁寧に、濡れたタオルで拭って下さった。そして、その腕に掻き抱いて下さった。
でも、このベッドには俺しかいない。
耳元でのおやすみも、今日はない。何もない。
俺は、枕に顔を埋めた。今頃、ロイエンタールさまは愛しいヒトのもとで、愛しいヒトの耳もとでおやすみを言う頃だろうか。
それともまだ、熱い吐息を吹きかけていらっしゃるのだろうか。
目頭が熱くなって、胸の奥がえぐられるように痛かった。それはとても鈍い痛み。涙が零れて止まらなかった。
「ロイ…エンタールさま……。」
一人で、俺はその名前ばかりを繰り返しながら、朝が来るまで泣き続けた。