蜃気楼2


ロイエンタールさまが俺の向こうに誰かを見ているのには薄々気づいていたけれど、俺はそれでもよかった。もともと俺は誰かの代わりに作られた存在だったんだって気づいた瞬間俺に訪れたのは絶望ではなく納得だった。
この名前もきっと、その誰かと関連があるのだろう。誰か――いつも俺の名前を呼びながら、俺に微笑みかけながら影を重ねている誰か。俺は鏡を見るたびに、その人のことを想像した。なんて、綺麗な人なんだろう。俺の、この顔を持った、ロイエンタールさまが愛して止まないヒト。俺はそのヒトの代わりなんだ。代わりに愛されて、生きる意味を頂いている。それだけでも光栄なことじゃないか。ハルト、お前は身に余る光栄をいただいているんだ。そう、言い聞かせ続けた。

唱え続けていると、なぜだか涙が止まらなかった。

広い家に二人だけの生活だった。
俺が来る前は一体誰が家事をしていたのかそれはわからないけれど、とにかく俺が来てからは家の仕事はすべて俺の管轄になった。
台所にたって汚れた食器を手際よく洗っていると、隣にたっていたロイエンタールさまがほう、と声をあげられた。
「手馴れたものだな。」
「これくらい誰でも出来ます。」
なんだかいちいち褒められているのもわざとらしくて楽しくなくて、俺は口をとがらせた。とがらせながらも手は止めない。手早く作業をしていると突然ロイエンタールさまが突然吹き出されて、そのまま口元を抑えて台所を出て行かれた。
「な…何を笑っておいでです!?」
「いや、すまんな。気にせんでくれ…」
「気になります。突然ヒトの顔みて笑い出して。」
俺は洗い物を終えて後を追いかける。今のソファに座っておられた彼の隣に腰を下ろす。
「理由をお聞かせください。」
「理由か…そうだな。お前が台所仕事をしているのがその……あまりにもあまりだから…」
彼はそう言って俺の頭を撫でてくださった。優しそうな、いとおしげな表情は俺を透明人間にする。黒い瞳も、蒼い瞳も、俺を通過してどこか遠くを見据えていらした。
それでも、俺は唇から笑みを零した。
俺は、誰かの代わりでもいい。この人と一緒にいたいと思った。
俺はロイエンタールさまを、愛していた。

ロイエンタールさまは、最近お仕事がお忙しいらしく、帰宅時間は大幅に遅くなったのに、出勤時間は早まる一方だった。仕事についての詳しいことは俺には語っては下さらないが、それでも毎晩帰ってきたときのあの険しい表情からその疲労の度合いくらいはわかる。
しばらくして、彼は俺にテレビを買い与えてくださった。彼がいない昼間、ずっと一人で家にいる俺を不憫に思ったのかもしれない。俺は家に一人でいるときは彼の部屋にある本を読み漁っていた。難しい本の内容からなんとなく彼の職業種は想像できたけれど、まさか彼がテレビに出るほどの有名人だなんて思っていなかったから、初めてテレビを一人で見たときにたまたま最初に映った政治のニュースでロイエンタールさまのお名前が出てきたときは持っていたマグカップを取り落としそうになるほど驚いた。
他のチャンネルではご本人がテレビに出演なさったりして、それで彼がこの旧自由同盟国に赴任している帝国側の代表者だということを知った。
それからさらに驚いたことは、帝国からの衛星放送で俺が―――いや、俺とまるっきり同じ顔をした男性が俺と同じ声で勅命文を読み上げていることだった。俺はテレビにはりついて、彼の顔とともに映し出されたテロップを声を上げて何度も何度も読み上げた。
銀河帝国皇帝ラインハルト一世、銀河帝国皇帝ラインハルト一世、銀河帝国皇帝、皇帝…皇帝…皇帝……
俺は、俺は皇帝の代わりだったんだ。
皇帝を、ロイエンタールさまは皇帝陛下を愛していらしたんだ。俺は笑った。どこまでも乾いた笑いが、広い部屋に木霊して消えた。

ロイエンタールさまのお忙しさは日に日に苛烈を極めた。
お疲れが溜まっているのか、玄関での挨拶もそこそこに、彼は俺の身体を掻き抱いた。夕食はその後、俺が食卓から寝室まで運んできたものを少し召し上がるだけ。俺はロイエンタールさまのお体がすごく心配で、でも彼は大丈夫だ、とだけおっしゃった。
一緒に風呂に入って汗を流したあと、ベッドの中で彼は穏やかな表情で言った。
「今日、久しぶりにあの方から通信文が届いたんだよ。」
「あの方…」
彼があの方、とおっしゃるのはただ一人。俺と同じ顔を持つ、彼の上官。彼を、こんな辺境へ赴任させた張本人。こんな、最前線に追いやってしまった、それはそれはとても美しいヒト。
俺は、この前のテレビのことを言った。彼はそうか、とだけ。でもそれから、彼は彼の仕事の話も少しだけ俺にしてくれるようになったから俺は嬉しかった。
「そう、あの方から。前に言っただろう?俺はこの地にて彼に反旗を翻すとの噂があるらしい。だから、俺はあの方にこの地まで御行幸いただくようにお願い申し上げたのだ。それがどうやら叶うらしい。」
嬉しそうな顔。少し前までは俺にいつも向けていた顔なのに、もう俺にそれが向けられることは一生ないんだろうなと考えて俺は俺の中で否定した。
違う違う。彼は俺に一度だってこんな顔を向けられたことはないんだ。俺はあの方のダミーだ。ロイエンタールさまの視線の先にいるのは俺ではなくて、本当の俺だ。
俺は、ニセモノにすぎないんだ。
「…おめでとうございます。」
ただ一言、そう言うのが俺の精一杯だった。