「後悔したらいいんだ」
およそ昼下がりの平和な司令室に相応しくない不穏な呟きを聞いて、思わずハボックは書類をめくる手を止めた。
その物騒な独り言を吐いたロイマスタング若くして大佐、はそんなハボックの動揺もどこ吹く風、自分の吐いた呟きにすらもう興味がないようで、暇そうにくるくるとペンを弄んでいる、少なくとも机の上に積み上がった書類は全く減っている気配はない。
ハボックに言わせたら今一番後悔すればいいのはロイマスタングまさしく本人で、この仕事のペースだと次に中尉が帰ってきたときにどうなるか位、いい加減判っているだろうに。余りの学習能力の無さに、最近ではアレは真性ドMのロイマスタングが、ホークアイ中尉に叱られたくてわざとやっているんだろうと言う恐ろしい噂が、まことしやかに囁かれていたりする。
ハボックはそんな噂、歯牙にも掛けていなかったけれど、もしそれが本当だとしたら自分の首にかけてもこの人を更生させなければと覚悟している。やる気はないが、忠義心はそれなりにある。
しかしまぁ、後悔という感情を必要以上に切り捨てすぎてしまった、非常時以外は晴れてる日でも最近ちょっと無能大佐は、こんな穏やかで気持ちの良い過ごし易い日の何が気に入らないのか(強いて言えば少し湿度が高いか?)拗ねたような面持ちでアヒルのように口を尖らせている。
「ハボック」
「………なんすか」
不意にロイが顔を上げた。
名前を呼ばれて、なんとなく嫌な予感はしたけれど、今司令室に居るのは大佐とハボック、それからフュリーだけ。頼みのホークアイ中尉は、居ない。
フュリー曹長は見た目よりもはるかに要領が良いのか、大佐の不穏な独り言の前から、大き目のヘッドホンを耳にあて、何からガチャガチャと機械整備。
「さっきから熱い視線を感じるんだが、お前は私に惚れてるのか?」
「病院行ってください、頼むから。俺ちゃんと付き添いますから」
「お前に付き添われても嬉しくない」
むすっとロイは視線をはずす。軍大佐というよりは、童顔と相俟ってわがままな子供のように見える。
実際中身は子供かもしれない。
「だいたい、上司が物憂げにため息ついてるのに慰めにも来ないのか」
「その歳で何愛されたい発言してるんスか。もうかわいげもないんですから仕事してください。それに、昼になったら大将来るでしょ」
そう。
大佐は、昨日は至極上機嫌だった。
お気に入りのエドワードエルリック、駄目な大人のゆがんだ愛情を(小さい)身体いっぱいに受けている鋼の錬金術師は、昨日久しぶりに東方司令部に帰還してきゃっきゃっと大騒ぎした挙句、台風よろしく去っていった。
ただでさえエドワードの来訪で機嫌がよかった大佐が、「明日もまた来るからな大佐」のエドワードの帰り際の一言に、頭に花が咲いた状態になっていたのに。
「鋼のなんか、知らない」
「はぁ?」
「鋼のなんか嫌いだ」
不機嫌そうに、顔をしかめる大佐に(この人は不機嫌になればなるほど童顔になるなぁ)と意味のないことを思っていたハボックは一瞬遅れて、自分が地雷を踏んだことに気づいた。
この大人は!
「喧嘩したんすか?」
「喧嘩?私があのクソ生意気なガキとか?は、冗談じゃない、私が本気であの小僧の相手をするとでも」
思ってるから聞いたんじゃないですか!と応酬したいのをハボックは飲み込んだ。ここで関わってしまったら、とことんまで引きずられてしまいそうな気がする。
触らぬ神に何とやら。
「じゃあ良いじゃないっすか。俺、通常業務に戻ります」
よ、と視線を机に戻したとたん、頭に紙飛行機が飛んできた。考えるまでもなく、飛んできた先には一人しか居ない、広げるとそれは結構な重要通達の書類で、こんなに折り目をつけては中尉もさぞ怒りがいがあるだろう。
「……大佐」
「…………」
幼稚園レベルのいたずらを事も無げにやってのけた奇跡の29歳は、相変わらず拗ねたまま視線は窓の外、向こうがしゃべる気がないのならこれ以上構う義理もないと判断して、ハボックはとりあえず、見捨てた。
「へぇー、んな事があったんだ」
はぐはぐとハボック奢りのホットドッグを頬張りながら、まったく興味がなさそうにエドワードは言う。
ちょうど昼休みに入ってすぐ、司令部の入り口で顔見知りの軍人と雑談していたエドワードを見つけたハボックは、とりあえずご飯を餌に食堂までエドワードを引っ張ってきた。
「かんっぜんに他人事だなぁ、大将なんかしたんじゃねぇの?」
「したというかしてないというか、してないから怒ってんじゃねぇ?」
「はぁ?」
「大佐って意外と子供…」
「意外か?」
話の筋はよくわからなかったが、特に詮索する気はないので突っ込める部分にだけ突っ込む。
「あ、意外でもねぇか、大佐だもんな。ごめんなー迷惑掛けて」
もぐっと最後の一口を頬ばると、エドワードは立ち上がってにっこり笑った。
「心配すんなよ、明日には大佐も元に戻ってるからさ。」
「元に戻った程度じゃ駄目なんだけどな…」
「あー、そういやそうか」
ぽりぽりと頭をかいて、エドワードはどうするかなーとつぶやいた。
「じゃあハボック少尉、ちょっと手伝ってよ」
そんな趣味のないハボックでさえ思わず可愛いと形容したくなるその笑顔に逆らえるはずもなく。
「大佐おはよー!」
もうおはようという時間でもないよな、と思いながらハボックはため息をついた。
エドワードのテンションはやたら高い。あの後すぐ、手伝ってという割に事情も説明せずエドワードがハボックを引きずって向かった先は、まさに司令室、ロイマスタングのもと。
何を考えているのかよくわからないが、とりあえずボーっとしててくれりゃ良いから、というエドワードの言葉に従ってみる。
「はがっ……ねの」
突然の来訪者に、書類に埋れたロイは一瞬ぱぁっと顔を輝かせたが、途中できっとその緩んだ顔を引き締めた。
その妙に素直な反応に、思わずハボックは笑いそうになって、吹き出さないように口の内側を軽く噛む。
司令部の中はさっきより人が増えていて、外回りから帰ってきたブレダとファルマンが、エドワードとハボックという意外といえば意外な組み合わせに目を丸くしている。いつもなら、エドワードがこんなロイ以外の男と二人で(しかも腕を組んで!)いるなんて、ロイが許しそうにないのに。
「……来ていたのかね」
「うん、途中でハボック少尉と会ってさー昼飯奢ってもらっちゃった」
ね?と軽く頬を赤くして微笑むエドワードは確かに、可愛い。
「なっ……わ、私には関係ないことじゃないか」
仲睦まじい二人に、ロイは動揺してがたんと立ち上がったが、司令室内の視線が自分に集まったのを感じると、やや冷静さを取り戻して、言った。
「うん、大佐には関係ないよ。俺とハボックの問題だもん。な」
最後のな・は自分に向けられたものだったから、ハボックもそれに合わせて、あわてて笑う。
引きつっていたけれど。
「は、はがね、の」
「あんたが言ったんじゃん、距離を置こうって。だから俺はハボック少尉と仲よくしてんの」
「そ、それはっ……」
「アンタ、そんな事いったんすか…」
「だ、だって鋼のが、あんまりにも私に冷たいから……」
「それとこれとは関係ないだろ。そんな台詞切り札に遣うなんて、アンタ最低」
ぷいっとそっぽを向いたエドワードの顔は、そんな本気で怒っているようには見えなかったからハボックは安心したものの、ロイの嫉妬と独占欲に塗れた視線が、さっきから自分に刺さるように注がれているのを感じて、寒気がした。
ちょっとまて、と思う。
もしこのままこの二人が仲直りした場合、大佐に恨みが向けられる先はもしかして――。
「……これでも距離置くって言う?」
「………」
エドの冷たい目にロイが観念したようにつばを飲んだ。所詮勝てないのなんて、最初からわかっているだろうに。
結局この日一番後悔をしたのは、ハボックの希望どうりロイマスタング本人。
そうして周りの評価以上に人の好い彼自身も、巻き添えを食らったわけだけれど。