不穏な噂が町で流れていると知ったのは、エドワードが城にやってきて一ヶ月ほど経っていた、月一だか、2ヶ月に一回だかの定期報告の書類提出の折。アルフォンス・ハイデリヒの代わりに全ての政治職務をこなす「優秀な」補佐官には珍しい、口頭でのオリジナリティー溢れた報告だった。
「この3週間で、子供の行方不明者が2人、出ています」
予算やら援助金やらの、紙の上に羅列された数字に目を通していたアルフォンスは、視線はそのままでへぇ、と応えた。本国からの自分への援助金が目減りしているのを見付けて、しかしアルフォンスはまるで自分とは関係ないもののように流した。それはただの変化であって、不快の原因とか要因にはならなかった。その代わりに軍事費が飛躍的に伸びているのに気付いて、溜息を吐いた。
「市民の要請で、警備を増やして厳戒態勢を敷いてはいるのですが」
そう、と応えて今度は視線をあげて、自分の前で床を見つめたまま報告をしている初老の男を見た。
不手際、だ。こんな小さな町で、短期間に行方不明者が2人。いくら市井の情勢に興味がないアルフォンスでも異常事態だと思うし、このまま王家お膝元の直属地でそんなことが続けば、いつかは国王の耳にはいるかも知れない。……アルフォンスに興味はないけれど。
「わかりました。僕も協力できることが有れば、微力ながら尽力しますので」
最後に付け加えた微笑みに、「早く出て行け」と、その日初めて自分の本音を潜ませた。
重々しい扉を開けると、その気配を敏感に察した金色の頭が、きゃっと声を上げてカーテンの後ろに隠れた。そのすばしっこさは、アルフォンスに何となくネズミを思わせた。
「………エドワードさん。スポンサーに対してなんたる態度ですか、それは」
最近アルフォンスは、このすばしっこく意外と小狡いエドワードに対抗する術を心得た。ある程度汚くならないと対抗できないと判って、自分の金と権力を少しばかり活用することにした。
「だっておまえまたセクハラとかするだろ!!」
カーテンが揺れて、エドワードの裏返った声が返ってくる。セクハラって、とアルフォンスは不本意だばかり眉をしかめた。
あの夜から、まともに触らせてもくれてないじゃないか。
「セクハラはしませんけど」
黴臭さを孕んだカーテンに近づく。あれほど吐き気を催していたこの部屋の臭気にも、最近やっと慣れてきた。それも甚だ不本意異な事の一つではあったが。
カーテン越しに、エドワードの身体を抱きしめて、その凹凸を撫でる。カーテンにくるまったエドワードの身体があからさまに硬直した。
「食べちゃいますよ」
多分耳はここら辺、と見当を付けた場所で囁く。
「ぎゃ!!」
色気もクソもない声が上がって、カーテン(の中身)がアルフォンスの腕をすり抜けた。しゃっと手応えのなくなったカーテンを開けると、耳を押さえてエドワードが丸まっていた。
「エドワードさん、耳まで真っ赤」
「せ…クハラアカハラパワハラ!!」
「なんでそう言う言葉ばっか、ぽんぽんでて来るんですか」
はぁ、とこれ見よがしに溜息を吐いたが、幾分か心は浮上していた。朝から陰気な補佐官の顔を見せられて、すっかり辟易していたのだ。
「な、んのようだよ!俺研究中なんだぞ」
小さく丸まって、真っ赤な顔で上目遣い・鼻息荒く威嚇されても全然怖くない。子猫みたい、とアルフォンス。評価が、先程のネズミから幾分か格上げされた。座り込んだエドワードに手を伸ばして、立ち上がるよう促す。
「一息ついたらお昼、一緒に食べませんか?」
「昼飯?」
エドワードは少し考えて、うん、わかった、と頷いた。アルフォンスもそれに応えて嬉しそうに笑った。
「なあ、ごめんって。悪気はなかったんだってほんと」
「……………………」
「あーるー。ごめんって、おねがいだから黙りはやめてって・おまえ黙ってたら怖いから」
「…………………」
「ほんとにごめんって、反省してるから、ちょっとアルフォンス怒ってるなら怒ってるって言って」
「怒ってます」
「うわ、直球。だからごめんって」
「もういいです聞き飽きました」
すっかり太陽も傾いた頃、中庭で2人、昼食になるはずだったサンドウィッチは手も付けられずそのまま、アルフォンスは不機嫌を隠そうともせずに顔も見ようとしない、エドワードはそんなアルフォンスに諸手を挙げて降参。
キリが付くまでちょっと待っててな、といったエドワードの「キリ」が付くのに、それから優に3時間は掛かって、すっかり昼食時を逃した2人は、まかない婦がわざわざバスケットに詰めてくれたサンドウィッチを持って仕方なしに中庭で夕食までの時間を潰していた。見事今夜のエドワードの夜食に変身したサンドウィッチは、エドワードの腕の中に。
「良いんです、多分こんなオチだろうなって判ってましたから」
「おまえ、案外ねちっこいよな…」
「エドワードさんが拘らなすぎなんです」
そう言ってアルフォンスはやっと顔をあげた。青い目が夕陽に照らされて朱色を帯びる。
「エドワードさんは、どうしてそんな錬金術を研究してるんですか?」
そして、色素の薄いエドワードの瞳は、アルフォンスよりもっと太陽の影響を受けて、きつい朱色だった。
初めてあった日、アルフォンスが彼から聞いたのは、彼の父親が有名な錬金術師であったことと、とにかく彼が残した施設を使わせて欲しいと言うことだけだった。
エドワードは少し考えて、視線を少し下に落とした。エドワードさんは判りやすいなぁ、とアルフォンスは思った。きっとあんまり話したくないことなんだ、とアルフォンスは察したけれど、だからといって質問を撤回したりしなかった。
「……弟が病気で、死んだ母さんも同じ病気だったんだけど、不治の病ってやつで」
エドワードはどこから話して良いか迷って居るみたいだった。話したくないなら適当に話せばいいのに、やっぱり変なところで生真面目だなぁとアルフォンスは思った。
「医者ももうどうしようもないって。だから親父は、錬金術の研究を急いで、あ、エリキシルってわかる?」
「賢者の石」
地下書庫で読んだ本の知識を掘り起こす。その言葉は随所に様々な表現で直喩的にも隠喩的にも多用されていた。
「そう、それ。原理が結合してルベドしたプネウマの凝固体、つまりはまぁ触媒なんだけど」
よくわからないから、この辺りはアルフォンスは適当に聞き流した。
「つまりは、万物を最高の状態に昇華される物体なんだ」
アルフォンスが本で読んだとき、それは確かにおとぎ話の中のアイテムだった。それを、目の前のエドワードは現実にあるかの様に語っている。やっぱり変な人だなぁ、とアルフォンスは思った。
「それがあれば、アルの病気も治るんだ」
でもまさかこの話の流れで、それって眉唾じゃないの、なんて言う勇気はアルフォンスにはなかった。