前編
「ミュラーは可愛いな」
砂色の提督が、自分の言葉でくるくるとその優しい顔を変えるのが愉しくて堪らないらしい。前王朝を打倒し、時代を動かしたその天才は、そうとは感じさせない程屈託のない笑顔を見せた。
気まぐれな言葉と笑顔に、彼の思惑通りミュラーは翻弄されて、とえりあえず曖昧に笑うしかない。
「からかわないでください、陛下」
「本当だぞ、ミュラーは反応が素直だ。」
それはあなたが相手だからですよ、とミュラーは思う。こんな絶世の美貌に見つめられて、その滑らかな旋律に囁かれて、一体誰が動揺せずにいられるというのか!
ミュラーは観念して、隣にいる蜂蜜色の髪をした提督に視線をやった。
「陛下、あまり部下をからかうのはおやめ下さい。ミュラーが困っていますよ」
そう言って、ミュラーよりはいくらか皇帝の扱いに手慣れた元帥が、同情して助け船を出す。
この皇帝は、自分の言葉の持つ影響力とか、そう言うのを全然考慮しない。可哀想に、慣れていない人間は大抵ミュラーのような反応をするのをミッターマイヤーはよく知っていたし、そんな場面には何度も出くわしていたから、ある程度手慣れた諭し方で。
皇帝より8つ年長のローエングラム王朝(今や一枚となってしまった)双璧・至宝の元帥の、忠臣というより父親のような口ぶりに、さすがの皇帝もぷぅと唇を尖らせた。
「ミッタマイヤーは予よりミュラーの肩を持つのか」
「年下の同輩が上司に意地悪をされていたら、庇うのが筋でしょう」
「うーわー、お堅い奴だな!寄らば大樹の陰って言うだろ」
「あなたが言うと冗談になりませんよ」
ミッタマイヤーが苦笑する。こんな所が、皇帝は戦術には長けるがユーモアに欠けると揶揄される所以なのだが、皇帝はそんな事を歯牙にも掛けていない。
「ミュラー!今晩予の部屋に来い!」
「え」
「陛下!そんな目の前で同僚を誘惑なさらないでください!」
「誘惑じゃない!ミッタマイヤーは不純だ!」
ぎゃぁぎゃぁと帝国のトップ2が言い合いをする横で、誘われた当の本人は、状況について行けずに、呆然と半ば他人事のようにそれを見ていた。ボンヤリした頭で、どうやらやっぱり自分はからかわれたらしいと結論を出して、とりあえず社交辞令だけでも返さなければと、ミュラーは優しい声で元帥と皇帝の言い争いに割って入った。
「私で良ければ陛下、酒のお供くらいはさせて頂きます」
ミュラーの言葉に、皇帝の顔は輝いて、一方元帥は、ああこのお人好しが、と肩を落とした。もしかして自分は、(皇帝の魔の手から救ってくれようとした)元帥の好意を無下にしたのかと不安になったが、嬉しそうに、じゃあちゃんと今晩予の部屋に来いよ!とはしゃぐ皇帝の顔を見ていたらどうでも良くなった。
もちろん恐れ多くて、ミュラーが皇帝の部屋になんか行けるわけなかったのだけれど。
翌日、約束を破った事をお怒りになられていないかと、ミュラーは戦々恐々職場に出勤した。戯れとはいえ、自分は皇帝の勅命を受けて、それを破ったわけだし、昨晩は軽い気持ちであれは冗談だろうと思いこんでいたが、もし万に一つでも皇帝が本気だったらどうしようと、朝になって急に不安になったのだ。
しかしそんなミュラーの懸念もどこ吹く風、軍議で顔を合わせても皇帝は普段通りで、ああ良かったと胸をなで下ろしたのもつかの間。
「昨日、予の誘いを無視したな?」
「……本気だったんですか?」
むっつりとした顔の皇帝に呼び止められたとき、彼が一番気にしたのは、カイザーラインハルトの機嫌よりこの会話を軍務尚書が聞いていないか否かという事だった。幸い義眼の軍務尚書は、溜まった書類の決裁に追われていて軍議を終えてさっさと執務室に戻っていたから、これは完全な杞憂だったのだが。
「男に振られたのは初めてだ。責任とれよ」
そう言ってラインハルトが笑ったから、結局ミュラーはそれが本気だったのかどうか計りかねて、やっぱり苦笑するしかなかった。
それからミュラーは、何度か夜皇帝の私室を訪れる事になる。皇帝は気まぐれに、廊下や執務室、軍議のあと、「今晩来いよ」とすれ違いざまに囁いて、ミュラーが真っ赤になって同僚からからかわれる様を嬉しそうに見ていた。
そんな事が数日続いて、最初緊張していたミュラーも、皇帝の我が侭にやっとついて行けるようになった頃。
酒を飲みながら皇帝と交わした会話は、とても他愛ない物で。
「ミュラーは、結婚しないのか?」
夜、皇帝の私室で密会してまで話す必要のある会話とは思えなかったが、カイザーは事あるごとにミュラーのプライベートを尋ねては喜んだ。卿だってこんな話好きだろ、と言われると、自他共に認める噂好き、反論する術はミュラーになくて、その日もミュラーは何とか当たり障りない会話ですませようと、それにばかり神経を使っていた。
「結婚は1人で出来ませんから」
「卿くらいのいい男なら、相手くらい選り好みできるだろう。」
「出会いがありませんから」
ミュラーとしては、軽い気持ちで現状を述べただけのつもりだったのだが、それにラインハルトは少し眉を寄せて反応した。ラインハルトは基本的に、ミュラーより(端的に言えば少しばかり)歪んでいたから、少しばかり深読みをした。
「それはなんだ、上司に激務を押しつけられた挙げ句、仕事の後まで付き合わされている事への不満か?」
「……まさか!」
恐縮し、血相を変えて否定したミュラーに、ラインハルト顔を綻ばせる。
「冗談だ、本気になって否定しなくても良いだろ…ほんとうにミュラーは可愛いな」
ミュラーの困り顔を見て、更に笑いが込み上げてきたらしい。口元を抑えて笑いを堪える皇帝の顔色はいつにもまして良くて、最近の活力の無さを心配していたミュラーにとってそれは喜ぶべき事の筈なのに、何となく釈然としない。
「からかわないで下さい、陛下」
「すまぬ、だってあんまりに真面目だから…」
ラインハルトは、憮然としたミュラーの顔を見ないようにしながら(そんな真面目に不機嫌になっている顔を見たら、きっとまた笑ってしまう)、笑いすぎて目の端に浮かんだ涙を拭う。
「いつまで笑っていらっしゃるんですか」
呆れたようにミュラーが言って、笑いの発作を抑えたラインハルトは、顔の筋肉が今にも笑い出しそうなのを必死で抑えた。
「ミュラーはずっとそのままで居て欲しいな、恋人が出来なくても良い」
「何をおっしゃるんですか」
出来なかったら困りますよ、とミュラーは皇帝の言葉に不満の色を隠さない。生真面目すぎる反応が皇帝にからかわれる一因なのに、止められないのも生来の生真面目さ故。
「予はミュラーが好きだから、ミュラーに恋人が出来たら寂しい」
生真面目な彼は、その皇帝の言葉をまともに受けて、ゆでだこの様に耳まで真っ赤、危うくワイングラスを落としかけて、ラインハルトは今度こそ我慢せずに笑い声をたてた。