目の前でペンを走らせる音がする。
国家錬金術師のみが利用できる図書館の、奥にある書庫。さらに描写するなら、その書庫の一番端にある窓際の椅子に、四角い机を挟んで私たちは座っていた。
私と、私の小さい恋人。
私は昔読んだ科学理論の研究書をぱらぱらと拾い読みながら、窓の外を眺めたり目の前の少年を見つめたりした。
私の前で、私の恋人である鋼の錬金術師はさきほどから大きな本を広げ、ニ三枚の紙に何かを書き連ねている。私のほうなど見向きもしない。
ペンを走らせるその尋常でない速さと目の動きで私は彼が天才であることを再認識させられた。字は正直綺麗ではない。強いクセのある字で書かれた報告書に私は何度苦労させられたことだろう。今日も今日とてつらつらとアルファベットを並べているが、机が大きいために彼が何を書いているのかまでは私のところからは読み取れない。
私は窓の外を見た。
図書館の周りは大きな公園になっていて、そこから木々のざわめきと遠くで憩っている人々の喧騒が溶け合って耳に流れてくる。
昨日から鋼のと彼の弟アルフォンスはイーストシティに滞在していた。そこで私はダメもとで鋼のを昼食に誘ったのだが、意外にも彼は二つ返事で了承してくれた。
私としては鋼のと昼食をとり、それからいわゆるデートコースを歩いたり抱き合ったりキスしたりホテルに連れ込んだりする予定だったのだが、彼にそんな気は全くないらしい。
昼を食べて、これからどこへ行きたい?と聞くと図書館。という色気のない答えが即座に返ってきた。
今までお付き合いしてきた女性の大半が「うーん、マスタングさんに任せるわ」的な回答だったから、その予想外の言葉に私は戸惑いつつもせっかく一緒にいてくれる鋼のの機嫌を損ねたくないがために同意せざるを得なかった。そういう成り行きで私たちは今、ここにいる。
鋼のは本を読み出すと、素晴らしい集中力でもって外部との接続を遮断する。外の世界から自分だけで孤立してしまう。私たちの住む世界から一人、絵画の表層を漂うようにただ一人で出て行ってしまう。そんな感じがした。だから一緒にいて、彼に本を読まれるとこちらとしては少し寂しいというのもまた事実。
俯いている彼に私はまた視線を戻した。
報告書を書いているときならば、「そんなに見るな」だの「うざい」だの言われてしまうのだが、今日はそんなことはない。私は本を閉じた。じっと、目の前の少年を見つめた。
天使のようだ、とか女神のようだ、とかそういうセリフを幾度となくいろんな女にふりかけてきたのだが、私は目の前の存在を形容しうる言葉がどうしても見つからずに戸惑った。
窓から差し込む太陽に照らされた金糸のような髪。長い前髪が顔に影をつくる。目元にかかる長い睫毛も、それと同じ色で。
そう、睫毛までもが見事な金色で、きらきら輝いていて。
白い肌に、血色のいい頬。そして口元に軽くそえられた手袋の指。
私は、このコの睫毛の色がたまらなく好きだった。
伏し目がちになった時に、その金色の双眸を彩るそれを見ていると気が狂いそうになる。
鋼のはしばらくそのままで文字をつらねていたが、ふと、何を思ったか顔をあげた。
しかし私の方は見ずに、ぷいと窓の外へ視線を泳がせる。何か思うところがあったのだろう。ペンを口元にあてて軽く咥える。
伏せていた瞳が開いて、その睫毛は自然、上を向く。反抗的にみえるそれが妙に扇情的で、私はそういうふうに考える自分の浅ましさに胸中苦笑する。
鋼のはしばらくそうやって何か思案したあと、「あ」と呟いて瞳を大きくひらいた。
ペンを指先でくるくると動かし、その真っ赤な唇に微笑を浮かべる。
どうやら彼の中で問題は解決したらしい。
そのまま、どこか得意げな表情で、彼はまたペンを走らせはじめた。


「っていうかあんた暇じゃねーの?さっきから。」
ようやくそう言って鋼のが私に意識を向けてくれた時には、もう日も傾きかけてしまっていた。
私は飽きもせず、真っ赤な西日がその金色を照らしだすさまをぼんやり見つめていたのだが、鋼のはそんな私を不審そうな目で見つめている。いや、怪訝そう、というのかもしれない。とにかく、何か鬱陶しがられているのは確かだ。
私は極上の笑顔で答えた。
「暇じゃないよ?全然。」
「本も読んでないじゃん。何やってんの、あんた。」
「君を見つめている。」
「なに今の、自爆テロ?」
「そういう危ないネタはやめないさい、鋼の。」
彼の辛辣な言葉をたしなめつつ、その睫毛を見つめる。
赤みを帯びた太陽の中で、それは淡く紅をのせた色で輝いていて。
私は身を乗り出して鋼ののその睫毛、というより瞼に口付けた。
下で、眼球がぐりんと動くのがわかって、さらに愛おしさが増して、私はさらにそこへ吸い付く。
「ひぃっ…」
びっくりした鋼のが声をあげて椅子をがたんと引いた。身体ごと私から離れる。
「ば、ばか!変態!突然なんだよ発情期かよ!?」
「こら、大きいぞ声が。」
「〜ッ!!」
悔しそうに押し黙る鋼。私はまた椅子に座りなおして、にっこり笑った。
「まぁ、君を前にしたら誰だって発情期にもなるさ。」
「主観的考察を客観的考察にする傾向があるな、あんたには。」
「ふむ、それは新しい褒め言葉かな?」
「ごめんなあんた頭悪いのに難しいこと言って俺反省するよ。」
相変わらず早口にまくしたてる目の前の恋人。半眼で、私を睨むその目。
美しい、麗しい、清浄、綺麗、美麗、端麗、そのどの言葉も遠く及ばない。
「君のその、睫毛が大好きでね。」
「はい?」
「その、綺麗な金色を見ていると気が狂いそうになるよ。」
「変態。」
短く言われて私は苦笑する。たしかに私は少し変かもしれない。
でも、それでも。
「好きなんだ。仕方ないだろう?」
理屈ではない。言葉では言い切れない。好きという言葉すら軽く超越してしまう。
全神経が、細胞が、血液が、私の全てが目の前の少年に左右されて惑わされて機能を誤ってしまいそうになる。
これは錯覚だろうか。
そう、目の前の少年に尋ねてみた。彼は呆れたように私を見上げて一言。
「錯覚っていうか病気じゃない?」
「酷いね君…」
いっていると鋼のはふんと鼻息を荒くして立ち上がった。広げられた紙をとんとんとまとめ、分厚い本を抱える。
なんだろうと思って眺めていると、彼は私の方を睨んだ。その金色の細い眉をぎゅっと寄せる。
「もう閉館だろ?行かねぇの?」
ああ、もうそんな時間か、と私も立ち上がった。鋼のはさっさと本を返却棚にのせて戻ってきた。


「送るよ、宿まで。」
「は?何言ってんの?」
図書館の外の公園を行きながら言えば、目の前をちょろちょろ歩く鋼のがくるりとこちらを振り返った。
挑戦的に上を向く睫毛が、灯された街灯に浮かび上がる。
「何って…」
「…やんないの?」
にっこりわらって私を下から覗き込む。
その真っ赤な唇が、いたずらを思いついた子どものようにゆがめられている。
金色の瞳、瞬きのたびに睫毛が上下して。
私はその動作と言葉に思わず吹き出した。この子が十五歳の人間の子だなんてもう私は信じ
ない。
彼の属性は魔女か悪魔だ。
「あんだよ、何笑ってんだよ。」
低くうめく彼の頭をなでて、私はその大きさの割りに重い体を前に抱えた。
「ちょ、な、何!?」
「鋼のがかわいいことをいうから我慢できなくなった。」
「はぃぃ!?」
「もうこの際場所にこだわるのはやめてしまおうではないか。潔く。」
「そういう潔さはいらねぇ!!!」
叫ぶ鋼のの睫毛を唇でなぞって、私はそのまま明かりの少ない公園のしげみにざくざく入っていった。