「私は君が好きなんだ」
それが、酒を飲んでぐだぐだに泥酔しなければ言えなかった台詞か、とロイは内心笑った。隣には困った顔のエドワードが居る。眉根を寄せて険しい顔をするエドワードはお世辞にも可愛くない。それでも可愛いと思ってしまう自分は、まさしくエドワードフェチだ、恋の病だ。(口に出してエドワードに殴られれば少しは酔いがさめたかも知れない)自嘲気味の笑みは、元々アルコールで弛緩していた顔の筋肉を引きつらせはしなかった。歳を重ねて三十年近く酸素を吸って吐いて繰り返して体中をやにとアルコールで毒しても羞恥心は永遠に消えないらしい。思春期の頃はまだ良かった。酒を知らなかったから。そもそもアルコールに頼る選択肢がなかった。大切なことも恥ずべき事も、素面で言えた。伝えることが出来たのに。



ロイ・マスタングに好きだと言われた・君がどこに行こうと例え報告書の提出を忘れて三ヶ月音信不通になった挙げ句、手持ちの金がなくなってしかも田舎町、金が下ろせないし列車にも乗れないから銀時計質に入れちゃって良いデスかー?とその質に入れられようとしている哀れな銀時計を見せびらかして奪い取った軍の駐在所の緊急用本部直通電話の先で悪態を吐いて金をせびり取ろうとしても、だ。あの時に、質でも何でも勝手に入れてしまえ自己責任だ、といえなかった時点で私の負けなんだ、と彼は言った。
何ヶ月前の話だ、とエドワードは呆れた。しかもそれが恋に落ちる契機か。元々常人とは違った性癖というか趣味嗜好を持ち合わせていると思っていたが…。
愚痴なのか愛の告白なのかただの思い出話なのか酔っぱらいがくだを巻いているだけなのか、もうどれともはっきりしない。そもそも愛の告白だとしたらなんて色気のないシチュエーションだろう。いい大人なのだから、せめて子供の自分に夢を見せてくれるくらいしても良いんじゃないだろうか。ハートの形の観葉植物が置かれた出窓のある部屋で「これから一緒に暮らさないか」と抱きしめてくれたりとか、カーテンは黄緑が良いんだ、とか、君の作ったみそ汁が食べたい、とキスをするとか……いささか想像は貧困で時代を感じさせるが。
少なくとも自分は目の前の酒臭い大人に抱きしめられたくないし、アルコールの味のキスを受ける気もしない。どの三流映画にも、そして新鋭作家の奇をてらった恋愛小説にも、こんなぐだぐだとした酒臭さの漂う告白なんてなかった。大体未成年を前に遠慮なくアルコールを摂取する時点で既に大人失格だと思った。
そもそも俺たちは男同士だ、と思った。思った後に、自分にそんなモラルやら倫理観があったのかと愕然とした。
生命創出、バイオエシックス、禁忌、とそこまで単語が数珠繋がりに頭の中に浮かんで、頭痛がした。さしずめ、あんなことをしておいていまさらりんりとかそんなことをきにするのか、と言うところなのだろう、頭の中で誰かが笑っている。アルコールに刺激されたのか、自分の何となく黒いものが涌然と起こって指先を冷やした。

……ロイの愚痴とも言えない愛の告白(?)に話を戻すと、勿論エドワードの言った金がない云々は全部嘘で、ただ弟にせっつかれただけだ。兄さん報告書も出してないし電話連絡も入れてないでしょ、と責められたからだ。電話をする機会を逸していた、という心理情況は、既に上司と部下のそれを越えている、気付かなかったエドワードに罪はない。(ちなみにアルフォンスは気付いていた。聡い彼は、気付いていながら黙殺した。清い心を持つ弟は、自分の愛しい兄と信頼できると思っていた・既に過去形だ・後見人とがそういう関係になることが耐えられなかった。)電話口から鼓膜をダイレクトに震わせた上司の声に、とっさに面白味に欠ける冗談が口をついたのも、俗に言うツンデレのツンの部分が出たのだ。デレの部分の表出があったことはないが。

少尉の所に連絡を入れた。ロイの懐を探ったエドワードの、探り当てた掌の中にあった数字の羅列。正体を失った人間の身体は存外重くて、エドワードには持ち上がらなかった。突然呼び出されたハボックはすっかり前後不覚に陥ったロイを見て、仕方ねぇなぁといいながら脇の下に身体を差し込み抱え上げた。う、とロイが呻く。
「吐かないで下さいよぉ、大佐ぁ」
とんだ残業だ、とハボックがぼやいた。
「大将もとんだ災難だよなぁ、大将付き合わすなんてアンタほんと駄目な大人の典型だなぁ、ほんと駄目な大人だなぁ」
言いながら夜の街を歩く。歓楽街はまだ宵の口、雑踏を掻き分けて住宅地を向かうと、やけに静かで靴の音が響いた。たまにロイの発する意味不明な言葉がやけに間抜けで、そのたびにハボックが慣れた様子で、はいはい近所に迷惑だから大人しくして下さいね大佐、なんて宥めて、この上なく格好悪い・エドワードは自分のことでないのに顔が熱くなる。
「大佐ってさ」
「うん」
「普段もこんなに飲むの」
ハボックがちらっと視線をエドワードに向けた。
「普段はまぁ、未成年を居酒屋に連れて行かないくらいの理性はある人だけど」
「今日は異常なんだ?」
ハボックと目を合わせるには、めいっぱい首を上に向けなければいけないからそんなことはしない。だから誤魔化すのには充分だ。半疑問形は踏ん切りの付かない往生際の悪い証拠、逆にわざとらしかったかもしれない、なんて。
「異常って言うか、まぁ何回か見たことあるけど。まぁ異常か、なんていうか、いや異常か、いっそ性的倒錯かとか、まぁ本人悩んでる節はあるんだ。」
「……は?」
「この人は極度のシャイだから……普段はなんつーか眼中人無し地でいくような人だけど」
「はぁ。」
もしかしてばれているのか、と思った。そうか、よくよく考えたらおかしいんだ。上司と部下とはいえ、三十路近い男とこんな子供が2人で遅くまで酒を飲むなんて。
「大佐に好きって言われた?」
ああ、なんか馬鹿みたいだ、と思った。ハボックは追い打ちを掛けるように、電話番号、ちゃんと入ってただろ、と言う。
「……こいつ、酔いつぶれるのわかってて」
「シャイなんだって。本命にはさ、告白した後に素面で返事聞く余裕もねぇの、ほんと馬鹿だから」
上司のことをそんな駄目とか馬鹿とか連呼してしまって良いのだろうかと、エドワードの方が心配になる。もっとも酔いつぶれていて、ロイは聞いているどころか、いや、聞こえていたとしても記憶にも残らないだろうが。
ハボックはからからと笑う。口元に銜え煙草はなかった。さすがに大人一人抱えては危ないと思ったのだろうか、それでも口寂しさに、たまに唇をなぞる。
「で、大将はどうなの」
「……わかんねぇよ」
周りの人みんなにお膳立てされているようで、エドワードは腹立たしい。そうだそもそも俺と大佐は男同士なのにそれを気にする人間が居ないのは何故だとエドワードは思う。ハボックはまるで可愛い弟のコイバナを聞いてアドバイスをするお兄ちゃんのような鷹揚さで気安さで、何か男同士だと言うことに悩む自分がおかしいみたいで。
「大体俺と大佐って男同士じゃん」
「それを言っちゃうともう、ねぇ」
全てが成り立たんよ、と言われてエドワードは詰まった。いや、言葉が詰まったのはその後にハボックが続けた、「でも、嫌じゃないんだろ?」に対してか。
「もし、もしさ」
ん、とハボックが短い言葉で先を促す。肩の上に担がれたロイが、ぴく、と動いたがエドワードは気付かなかった。
「それこそさ、俺とこいつが遠い世界に離ればなれになっちゃうとか、空から大きな石が降ってきたりとか、軍事クーデターが起きてどっちかが死にかけるとかしたら、ちょっとは」
ちょっとは素直になる必要があるかも知れないけど。
エドワードが夜の冷気に硬くなった指先を動かして、言う。
「大体自分は酒の勢いに任せて言ってるくせして、相手にばっか真面目な返事を求める方が間違ってるだろ」
ちがいねぇ、とハボックが笑って、肩の上のロイがこっそり唾をのんだ。