その頃海上では、近くの国の王子の誕生パーティーが開かれてた。
(あー……果てしなくつまらない)
主役の筈のその王子は、船上の全くめでたくない接待とおべっかに疲れ果てて甲板でワインをあおった。後で父王に怒られようがしったこっちゃない。大体私はまだ結婚したくないんだ、と当年とって28歳、才知と美貌を兼ね備えた黒髪の、非の打ち所ないともて囃される王子は、父王が連れてきた良家のご令嬢とやらに一片の興味も持てずとにかく逃げ場を探して甲板をふらついていた。雨は降っていないが風が強く船が揺れるので、誰も甲板には出ていない。今だけ、見つかるまでここは天国だ。
(女性とおつきあいするのは別に構わないんだ、しかしまだ結婚は)
親に決められて、親に決められないと結婚できない女とする結婚なんて、なんの魅力もない。逃げ出したい、できるものなら。
溜息を吐いて甲板の縁にもたれかかる。真っ暗で何も見えない海上をぼんやりと眺めていたら、ふと目の端で何かが光った。
「……ん?」
思わず声に出して、その光が見えた方に顔をやる。気のせいかと思ったが、次の瞬間に海面が確かに、ぱちゃりと動いた。
(魚か?)
それにしては大きすぎると確かめようと身を乗り出したとき、何かに強く引っ張られ、彼は海に、落ちた。
(人間だ!)
人間だ人間だ人間だ!とエドワードはヒレで海面を叩いた。ぴちゃぴちゃと海水が四方に散る。近くを泳いでいた魚が驚いて離れる。
エドワードの腕の中には、確かに人間がいた。二本の足、黒い髪、しかもなんというか。
(格好良い)
海面に顔を出したとき、そこには見たこともないくらい大きなものが浮かんでいた。船だ、と認識するのに一瞬時間を要した。そして、その上で動いているのが人間だと言うことに気付くのにもう少し時間が掛かった。
気付いたときには一目散に船によじ登って、腕を引っ張っていた。海に引きずり込んだらパニックになって溺れてしまったので、慌てて岩場を探して人工呼吸をした。人間の研究の賜だ。溺れる、という様態を初めて見ても、完璧な対応が出来た。
冷静になってよく考えたら、自分のやっていることは軽蔑するセイレンのババァ共と変わらないほど馬鹿なことだったのだが、興奮しているエドワードに冷静に自分を省みる余裕はない。
(早く目を開けないかなー)
自分で海の中に引っ張り込んで溺れさせておいて、早く目を覚ませも何もあったもんじゃないが、エドワードはとにかくそれが楽しみで仕方なかった。潮だらけになってしまった黒髪を触っていると、不意に彼が目を覚ました。
「あ」
「………ここ、は?」
「……海の上」
「私は、一体……」
「アンタ、船から落ちて溺れてたんだぜ」
嘘だ。
「…そう、か……何かに引っ張られた気がしたんだが……」
「き、気のせいだって!」
慌ててエドワードは手を振る。まさか自分が海に引っ張り込んで溺れさせた張本人であるとは言えない。
「……君が、助けてくれたのか?」
声は弱々しいが、非常に色っぽい声だった。海水を飲んで掠れていたからかも知れないが、エドワードの胸を打ち抜くのには充分だった。端正な顔に宿る真っ黒い瞳の輝きは理性に溢れていた。みんなが言っていたのはやっぱり嘘だったんだ。人間は全然野蛮じゃない。
「うん、そう!」
「………君は?」
「人魚だぜ、俺」
胸を張って言った。彼は少し驚いたのか目を見開いた後、目を細めて優しく笑った。
「人魚か。通りで綺麗なわけだ。……名前、は?」
「エドワード。エドワードエルリック。アンタは?」
「ロイマスタングだよ」
それが、一世一代の恋物語の始まりだった。
海中でしか暮らせないエドワードのために、ロイは城の庭に海水のため池を作った。
「私は、エドワードと結婚する」
ロイの両親・家来・侍従・領民は、彼が海に落ちてすっかりおかしくなってしまったと思った。しかし彼は本気だった。死んだと思っていた息子が、突然化け物を連れて帰ってきて、しかもそれを妻にするといいだした。両親の絶望はいかほどのものだったか。それはすぐに彼が勘当されて、王位継承権を取り上げられたことからも容易に判る。
「………なぁ、ロイ。俺と結婚して、不幸じゃない?」
エドワードは人工的に作られた小さな海から顔を出して、尋ねた。ロイは愛おしそうにその髪を撫でる。
「どうして?私はすごく幸せだよ。君とずっと一緒にいられる。」
幸せそうなロイの顔に、エドワードは何も言えなくなって口をつぐんだ。いくら疎いエドワードでも、ロイが王子じゃなくなったこととか、なんとなく冷たい目で見られているのとか、気付かないわけはなかった。自分は人魚で、嫌になったら池の中に潜ってしまえばすむけど、ロイはどこにも逃げ場所がない。
地上には上れないから、結婚式も出来なかったし、結局ロイの両親にも会って貰えなかった。ここに来たとき、一度顔を見たきりだ。海底では、人間が野蛮だと教えられてきてけれど、ここでは人魚の方がよっぽど、化け物扱いだ。
しかも、エドワードには彼ら人間が人魚に夢見ているらしい美しい鱗も、美しい歌声もない。腕と尾ひれの半分は特殊な鉱物で出来た機械鎧で、髪の毛は手入れしていないせいでばさばさだ。
ぱちゃぱちゃと、尾ヒレは口ほどにモノを言う、寂しそうに水を弾くのを見て、ロイは微笑んだ。
「エドワードは、泡になってしまった人魚姫の話は知ってる?」
「え?……知らない。」
「昔話の中の人魚姫はね、恋敵が王子様を手に入れるために必死になっているのに、自分なにもしなくても王子様に選ばれると思って何の努力もしなかったんだ」
「うん?」
「だから泡になっちゃったんだよ。」
ロイの黒い瞳が、切なそうに細められる。エドワードはその話は知らなかったが、きっと人間の間で伝わる有名な民間伝承なのだろう。人魚だって死んだら海の藻屑に消えるだけなのに、泡になるなんて人間らしい発想だと思った。
「……俺は、頑張ったよ」
「私を海に引きずり込んでね」
ロイの言葉に、エドワードは真っ赤になって下を向く。
「あれは強烈なプロポーズだった」
ロイは笑って、俯いたままのエドワードの額にキスをした。
転機が訪れたのは、その二年後。エドワードの元に一通の手紙が届いた。
岸に打ち上げられた小瓶に、それが入っていたらしい。たまたまそれを拾った漁師が、手紙に記された有名すぎる宛名をみて慌てて城に持ってきたのだった。
「誰から?」
人工池の傍にしゃがんで、ロイがエドワードに尋ねる。エドワードは見たこともないくらい真剣で険しい顔でその手紙を読んでいたが、一通り目を通すと顔を上げた。
「………親父から」
「お父様が?なんて?挨拶にこいって?」
「その、逆」
ロイは手紙を覗き込んだが、生憎人魚語は全く理解の範疇外だった。この世のものとも思えぬインキで、材質の知れぬ紙(?)にミミズののたくったような文字が並んでいる。……もしかしたら、字が汚いだけかも知れないが。
「おまえなんて勘当だからもう戻ってこなくて良い。地上で暮らしなさいって」
「……え?」
あっさりした口調とは裏腹の重大な内容に、ロイが思わず聞き返す。エドワードは何を思ったのか、一旦海中に潜って、もう一度顔を出した。
「あとさ、もうひとつびっくりしないで欲しいんだけど」
「……まだ何かあるのかい?」
ロイが尋ねる。親子の縁を切られること以上に、何か重大な宣告があったのかと、内心冷や汗を掻きながら。
―――しかしそれは杞憂だった。
「親父が、餞別にって」
エドワードが、池の端に両手をついて、ぐっと身体を持ち上げた。え、とロイが止める間もなく、エドワードが地上にあがる。
……その下半身には二本の足が。
「え、どわーど…?」
「親父の研究ってこれだったのかよ…超性格悪いのな…」
そこに立っているのは確かに紛れもなく一瞬前まで人魚だったエドワードで、ご丁寧に二本の足の間には立派なイチモツまで付いている。
「あ、あ、あし……!」
「うん、足。思わず潜って確かめちゃったよ。あー、でもどうせなら足生身にしてくれりゃいいのに。機械鎧のままかよ…重たいなぁ…」
「……えど、エドワード…」
ぶつぶつと呟いていたエドワードは、半ば放心状態のロイをぱっと見て、昔から変わらないきらきらした目をして言った。
「よしロイ!早く結婚式しよーぜ!」
「え、エドワード……!」
人生二度目の、そしてこれ以上は間違いなくないだろう衝撃と共に、エドワードはロイにプロポーズをかました。
あ、あとセックスもしなきゃなー!と人目憚らず大きな声で言うエドワードを、ロイは抱きしめた。
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……それからどうしたって?昔話の終わりはこうだろ、お姫様と王子様はいつまでもいつまでも幸せに暮らしました。人魚姫はどうなったかって、そんなの知るかよ。そこまで俺の知ったこっちゃねぇ。まぁまだどっかで生きてるかもな?なんたって人魚は寿命長いから。人間なんかよりずーっとずーっとな。あ?もっと話せって?じゃあ次は俺が海で泳いでて腕をもぎ取られながらも片腕でサメを撃退した武勇伝を臨場感込めてたっぷりとだな…あ、こら、ジャン、逃げるなって!包帯巻けてねぇだろ。ケイン!おまえもこいつ抑えろ!
……いや、うるさくてごめんなぁ、新入り。ところで話の前におまえの名前きいとくな。俺の名前なんて良いんだよ、この辺の偏屈じーちゃんで通ってンだから。それよりほら、おまえの名前。ちゃんと聞かせてくれよ。…俺はずっとずっと、あんたが帰ってくるのを待ってたんだから。