……またクソガキ共、人んち入ってきて冒険ごっこか、怪我しても俺は責任とれねぇぞ。あ、こら!言ってる傍から怪我してんな、運動神経悪いくせに塀に上るんじゃねぇよ、身の程を知れ!……は?言ってる意味が分からん?相変わらず可愛くねぇガキだなー…血ぃ出てんじゃん。とりあえずもー、消毒するから中入ってこい。
ケイン!野良猫に餌やるな!ジャン、怪我したまま走りまわってんじゃねぇよ、怒られンの俺なんだぞ。
あ?おまえの後ろの、誰?新入り?あーあー、おまえら、こんなお坊ちゃんどこから連れてきたんだよ。誘拐じゃねぇだろうな?は?友達?そうかよ、ほら、おまえもこっちおいで。新入りがいるってなら仕方ねぇなぁ、また昔話聞かせてやらぁ、あ?聞き飽きたとか言うな、おまえほんと最近可愛げねぇな、赤チン塗っちゃる。うっせ、男のくせにぎゃーぎゃー喚くな。
……ああ、そうそう、昔話だな。ばっか、海でサメに追いかけられた話じゃねぇよ。いや、あれもあんときゃ大変だった、船のモーターに身体巻き込まれてさ、血は出るわ臭いかぎつけてサメよってくるわ。俺じゃなかったら死んでたね。なに、新入り。そう、これはそんときからずっとこれだぜ、すげぇだろ、身体の半分機械なんざ、珍しいもん飽きるほど見てる良いことのお坊ちゃんでも見た事ねぇってか?(機械鎧の腕と足をぽんぽん叩く)あ、こらジャン、まだ消毒終わってねぇ、逃げんな!こら!ハマー、ジャンの野郎捕まえろ!
………ん、ああ、悪ぃ、悪ぃ。昔話だったな。おまえこの辺越してきたばっかなんだろ?聞かせてやるよ。昔話だ、もう誰もしらねぇ大昔、このあたりは、一面海だったんだぜ、で、あの丘に城の跡があるんだ。こんどあいつらに連れてってもらいな。あいつらの第2秘密基地だ。沼地があるから気をつけろよ。ちなみに第1秘密基地はここ。そんなこたどうでもいいってか。人魚姫の話は知ってるか?ああ、そうだ、最後には泡になっちまう哀れな海の底のお姫様。けどな、ここの人魚のお姫様はその辺の奴とはひと味違うぜ?ちゃっかり人間になって陸に上がって、あそこに住んでた王子様と幸せになりましたってお話しだ。
………むかしむかし、海の遥か沖合い、ちょっと見たところ青く透き通っていても、そこは太陽の光すら届かないほどに深く、決して人間が知ることのない海の底の底に人魚の楽園がありました。海藻が水の流れに乗って軽やかに舞い、ゆらぎ、大きな真珠が光を放ち、色鮮やかな珊瑚が宝石のように輝き、それが組み合わさって大きな宮殿を造っていました。その宮殿の一番奥深くに海底の宝石金銀財宝の一番美しいモノをかき集めて飾られた玉座が抱かれ、そこに人魚の王様とお妃様が鎮座していました。
王様には2人のとても見目麗しく聡明な2人の姫がいましたが、生憎一の姫は思春期を迎え、成長期は来ない代わりに第2反抗期真っ直中、とても賢く若いながらにとても優秀な研究者で、元々父親である王様と自己の研究に対して衝突することはあっても無意味に逆らったりすることがなかったのに、最近では事あるごとに突っかかり食って掛かりの口答え。親子の間に諍いが絶えませんでした。
……といってもこの王様、かなりの変わり者で何事に対しても無頓着、息子が正面切って喧嘩腰に怒鳴ろうと、(何か気に食わなかったのかな)くらいにしか思わない。息子は息子で、そんな父親に更にイライラを積もらせて、2人の仲は決定的に破綻していたのですが、王様は全くそのことに気付いていませんでした。
……一の姫は、海の上の世界にずっと憧れていました。彼らの国で、地上の世界と関わることは法度の一つでした。人魚達に比べて、人間達は寿命も短く、儚く、野蛮だとされていたからです。文献でしか知ることの出来ない地上の世界。そこには濡れていない土があって草があって岩があって、ひれではない二本の足を持った「人間」が住んでいるらしいのです。珊瑚よりも真珠よりも美しい宝石があって、見たこともない鉱物が土の中に埋もれていて、彼ら「人間」は短い寿命の中で、あらん限りの乏しい知識を元に、それらを血眼になって探し求め奪い合い殺し合い、ただでさえ短い寿命を削るのです。……なんて興味深い生き物でしょう!と。
一の姫は地上の世界に強烈に魅せられてしまいました。だから夜時々、彼はこっそり宮廷を抜け出して、海上近くまで泳いでいくことがありました。けれど、夜の海上は海底と違って、どこを見ても真っ暗で何も見えません。
そうしていつも落胆して帰ってくるのです。いつか、人間に会いたいと。
*********
ある日人魚の王は、一の姫――エドワードを呼び出した。突然の呼び出しに、大嫌いな父親と言っても国王陛下、命令に逆らうわけにも行かず、渋々研究を中断して王の元に参じた。
「エドワード」
「なんだよ気安く呼ぶんじゃねぇよ」
2人のぴりぴりした雰囲気に、お妃があら、そんな口の利き方しちゃ駄目よとにこやかに言う。危機感が全くないあたり、似たもの夫婦なのだが、不思議と母親にエドワードは弱い。う、と押し黙ったところに、父王――ホーエンハイムが余計な一言を付ける。
「そうだぞ、パパに向かって」
「パパとか言うなキモイわ!」
ぺぺっと玉座に向かって唾を吐く勢いのエドワードに、ホーエンハイムはさすがに溜息を吐く。
「エドワード、いい加減反抗期も卒業しないと駄目だぞ。おまえはもうお嫁に行くんだから」
「てめぇに偉そうに言われたくな…………え?」
威勢良く雑言を飛ばしていたエドワードは、固って、ぎぎぎ、と機械仕掛けの人形のようにやっと父親の顔を見て、それから言葉を舌の上に乗せてゆっくり確認しながら、声にした。
「お、よめ?」
「そうだぞエドワード、ウミヘビ族のウロボロスさん所の末っ子が、おまえと結婚しても良いと言って下さった」
「は!?ウロボロスって…!敵じゃねぇか!」
エドワード達が暮らす海底の宮廷よりも更に深海奥深く、海淵の闇の中が彼らウロボロスの縄張りだ。この前まで、その境界線を巡ってずっと争っていたのに。大きな衝突はないものの、小競り合いが頻発し、とても穏やかとは言えない関係だった。
「だから講和条約を結ぶんだ」
「政略結婚かよ!」
「まぁ、そんなところだな」
あっさりと、少しぐらい罪悪感とか後ろめたさとかを感じてくれていればそれでもエドワードに救いがあるのに、それがないからたちが悪い。何をそんなに怒るんだ?と首を傾げかねない勢いだ。
ホーエンハイムがそれをしないのは、そもそもエドワードが怒っていることに気付いていないからだ。根本的な所で間違っているこの父王に、エドワードは泣きたくなったが、泣いてしまっては負けだ。
「大体、ウロボロスの末っ子ったって、俺より40も50も年上じゃねぇか」
「あら」
しかしその反論に反応したのは、父親とは違う方向に天然な母親だった。
「大丈夫よエドワード、私と陛下も70違うもの。」
「そうだぞ、このラブラブッぷりを見ろ」
「見たくねぇ…!」
苦虫をすり潰したような、苦渋に満ちた声をエドワードは絞り出した。
「大体エドワード、そもそも寿命が700年も800年もあるのに、40や50の違いなんて気にならんじゃないか」
「俺は気になるの!」
そういばこんな風に喚いたのなんて何年ぶりだろうか、とエドワードは切ない気持ちになる。確かに、父王の言うとおり、人魚の寿命は長いから、40や50なんて大騒ぎするほどの年の差ではない。そんなこと判っている。ただ、理由を付けて捏ねているだけだ。心情的に嫌だという以外に断る理由がなければ、この父親はためらいなく自分を政略結婚させるだろうから。
「大体エドワード、あの末っ子は将来有望だぞ。若いながら戦争の天才だし」
「絶対」
やだ、と言いかけて、エドワードの脳裏にとても恐ろしい考えが浮かんだ。一瞬、恐ろしすぎて無かったことにしようと思ったくらいだ。恐る恐る、父王の滅多に変わらない顔色を窺いながら言う。
「アンタが早く停戦したがってるのってさ…」
「ん?」
「海淵にある珍しい実験サンプルが欲しいからとか、そんなんじゃないよな」
「………………………」
「否定しろよ!」
もう半分悲鳴だった。さすがに困ったな、という風に眉を寄せて(実際どれくらいそう思っているかは判らないが)、ホーエンハイムはぽりぽり髭をかいた。
「だってエドワード、おまえだって研究者ならわかるだろ」
「わかんねぇよ!俺の研究はどうなるんだよ!」
「研究?」
首を傾げて一瞬考えた後、ああ、とホーエンハイムは頷いた。息子の研究分野もろくに覚えていないくせに、よくぬけぬけと研究者の誼を宣えるなとエドワードは皮肉の一つも言いたくなる。
「地上の世界の研究は止めなさい」
「なんで!」
「理由も何も、いくら研究したって地上には行けないじゃないか」
「う」
とエドワードは押し黙る。いつの間にか、隣に二の姫――弟のアルフォンスが控えてきた。どうやら、研究室を出て行ったきり帰ってこないエドワードを心配して見に来たらしい。いつからいたのか定かではないが、表情を見ると全て話は把握しているらしい、とにかく不安そうに心配そうにエドワードを見ている。
「そうだけど」
「まぁ禁止されているのに行く奴もいるらしいがな。さすがに海淵に嫁いでいけば、そこから海上に出るのは容易ではないだろうが」
全部ばれている、とエドワードはぎくりとしたが、なんとかそれを胸の内にとどめた。絡み付いてくる弟の視線が痛い。とにかく嫌だ、とエドワードは言った。ホーエンハイムは呆れて溜息を吐いた。
「……兄さん、結婚するの?」
研究室に戻った途端に、アルフォンスが切り出した。彼はエドワードの唯一の理解者だ。宮廷を抜け出す手引きをしてくれるもの、研究を手伝ってくれるのも。
「もし、ウロボロスと結婚したら、二度と海の上には行けないよ」
「………判ってる」
俯いたままでエドワードは応えた。その背中をアルフォンスが優しくさする。
「兄さん、でも、落ち込まないで。これで良かったかもって僕は思うんだ。正直、海面近くまで浮上するのって、結構危ないことだし。」
「……うん」
「父さんが頑なに上に行くの禁止するのだってさ、兄さんのことを思ってだよ。昔兄さんが大けがして機械鎧の腕と尾ひれになったのだって、海面近くで船のモーターに巻き込まれたからじゃないか。やっぱり、危険なんだよ」
「………うん。なぁ、アルフォンス。俺さ」
「なに?」
弟は母親にそっくりだ。兄の言葉に、ん?と首を傾げる仕草は、まるで双子みたいに似ていたが、それはエドワードを躊躇すらさせなかった。
「家出するわ。」
「はぁ!?」
今までの話の流れを完全に無視する兄の決断に、アルフォンスが思わず素っ頓狂な声を上げる。
「兄さん、今の僕の話聞いてた?」
「聞いてた。つまりおまえも、今まで俺に協力してたけど実は上に行くの快く思ってなかったんだろ?」
兄の言葉に、アルフォンスは絶句した。正直、兄の地上への関心が、これほどまでとは思っていなかったのだ。
「いいよ、俺、ここでてく。今まで迷惑かけたな」
「待って、にいさ…」
そうと決意したら、エドワードの行動は早かった。制止するアルフォンスを振り切って、エドワードは研究室の珊瑚で出来た壁をぶち破った。普通の人魚の尾ひれならいざ知らず、半分機械鎧の尾ひれを持つエドワードにとって、壁を壊すくらい何でもなかった。
「兄さん!」
突然のことに対応できず、崩れた壁が巻き上げる砂煙の中から弟が咄嗟にあげた悲痛な叫びも、波間に揉まれてかき消されて遠くなっていく。後は地上を目指すだけだ。上は今、まだ夜の筈。いつものように、何も見えないかも知れない。それでもエドワードは構わずに海面を目指してヒレを蹴った。