恐。
(ブログ4/6収録。アルエドっていうか兄弟愛。弟依存症な兄。エロくはない。)
小さな金色と赤色の塊が東方司令部執務室には入ってきたのは、まだ朝早く。
朝独特の明るいくせに冷たい、寒くもないのに刺すような太陽の陽射しが、主のいないその部屋を満たしていた。
その時部屋にいたのはリザ一人で、とは言っても女たらしと怠惰な勤務態度で有名なこの東方司令部のNo.2は、別に遅刻という訳ではない。
リザはたまたま夜勤で、化粧を一旦落とすために顔を洗って(それでもすっぴんで帰る訳には行けないから申し訳程度に化粧をして)、朝から自分と入れ替わりにやってくる上司のために(正しくは、夜勤明けの自分の代わりに、サボりがちな上司の尻ぬぐいをさせられる可哀想な部下のために)、今日提出すべき最低限の書類と、それ以外の書類を分けて整理していて、帰るのが遅くなったのだ。
朝早いといっても、ちらほらと出勤してくる軍人達の姿が見える。
大佐の出勤時間にはまだ時間がある。今頃ハボック少尉が、迎えの車を回そうとしている頃かしら、と時計を見てリザが思ったくらいの時間なのだから、まさかその部屋の扉がノックもなしに開くなんて思いもしなかった。
しかも、薄く。
ノックをしない相手なんて、この部屋の主か、それか将軍くらいしか思い当たらなかったが、それならこんな遠慮がちに扉を開く理由はないだろう。
思わず書類を分ける手を止めて、銃を向けるべきかと彼女にしては珍しく逡巡したが、彼女が結論を出すより先に申し訳程度に開くドアから、ちょこんと覘いたのは、この数日司令部に顔を見せていた子供だった。
「エドワードくん?」
「ホークアイ、ちゅうい?」
その子供は、まるで悪戯が見つかったときの子供のような顔をした。
困ったような、泣きそうなような、何か言いたそうな。それでいて見つかったことに、叱られることに安心した顔。
彼のそんな表情を見るのは、リザには珍しいことだったから、あれ、と首をかしげた。
彼に初めてあったのは1年前。その時は、お互い会話を交わせる状況じゃなかったから、実質知り合ったのはほんの一ヶ月前。それでもだいたいの性格は把握している。
彼は決して大人に弱みを見せようとしない。対等であろうとする。それが、彼の小さい(と言ったら彼は気を悪くするだろうが)身体にはやけに不釣り合いで、最初胸が痛くなった。
たぶん痛い原因は、その身体いっぱいに這った虚勢そのものではなく、楽にしていいのよ、と簡単に言ってあげられない彼らの境遇と、これからの未来を改めて思い知らされたから。
そんなことを思って、たぶん彼から気がそれたのは一瞬くらいだったのだろうけれど、エドワードは中尉?と恐る恐るもう一度心配そうに言った。
怒られるんじゃないか、と母親の顔を伺う子供のように見えた。そう思って、ああ、彼には母親もいないのだ、と思った。
「大佐はまだいらしてないけど、どうしたの?」
「大佐に用事って訳じゃ、ないんだけど」
言いにくそうに、それでも視線を彷徨わせながらだったが、言う。
彼がこんな言葉を選んでいるのは珍しい。
目上の上司、特に大佐に向かっては、ぽんぽんと悪態を吐いていたのに。
「どうしたの?」
「図書館あいてなくて」
確かに。今やっとこさ軍の始業時間なのだ。
図書館の開館時間なんてまだまだ先。まだ早いから、と言いかけて、その彼の後ろに弟がいないことに気がついた。
セントラルから東方に帰ってきてから、彼と弟が別行動をしている所は見たことがなかった。
兄が都会の物珍しさにひょこひょこどこかに行こうとすれば、弟が連れ戻しに掛かっていたし、弟が路地裏に猫と遊びに行くと行っては、兄が心配そうに(彼は弟をあまり人目に晒したくないらしい、その風貌から言えば当然のことだが)ついていっていたから。
「アルフォンスくんは、どうしたの?」
「アルは、部屋。宿。」
「喧嘩でもしたの?」
「ううん、違う」
ふるふる、と頭を振るエドに、先程までの戸惑いはない。
なら、どうして一緒にいないの?あの仲のいい兄弟は、2人で1つのようだと思っていた。
試験を受けに中央に行くとき、東方の駅で心配そうに見送るアルフォンスを覚えている。
ハンカチ持った?着替えは、あ、お腹出して寝ちゃ駄目だよ、大佐と中尉に迷惑かけちゃ駄目だよ。
それは兄に注意をしているようで、ただ彼自身が離れがたいだけだと言うことは傍目にも明白で。一時でも離れているのが辛いというように。
だから、あまり理由もなく彼らが別行動をしているのは想像出来ない。
もちろん彼らなりに一人になりたいときや、一人になる時間があるだろうから、そんなことは、この兄弟の絆を美談化したい、あまり彼らを知らない人間の妄想なのだけれど。
「いや、ほんとに喧嘩とかじゃねぇんだ。アルは、部屋で本読んでっから、俺は資料とか探しに」
「こんな時間に?」
「あー、うん」
がしがしと頭をかきながら、入っていい?とエドワードはへらっと笑った。
大佐が、書類をごまかして、言い訳をするときの顔に似ていた。困ったときの表情のバリエーションは、人間そう多くない。
彼女はにっこり笑って、何か煎れましょうか?と応える。エドワードも笑った。
「中尉は来るの早いんだ」
「夜勤明けなの」
え、とエドが顔を上げて、目の前に置かれたココアとリザの顔を交互に、見る。
「ごめんなさい、俺」
「まだ仕事してたから構わないわよ」
「でも」
こんな顔、大佐が見たらどう言うだろう、と思った。
国家錬金術師の資格をもうすぐ得るだろう天才少年。12歳の。
もし1年前、上司について行かず、あの彼の家での惨状を見なかったら、彼女はもっと簡単にこんな時間にどうして一人司令部に忍び込んできたのか、聞くことが出来たのに。
遠くの誰かが出勤して挨拶をする声とか、廊下を歩いていく音とかが聞こえて、リザは自分が沈黙していたことに気付いた。
「中尉は」
気付いたのは、子供が声を発したせいもあった。赤いコートの背を丸めて、執務室のソファに身を埋める天才少年に、1年前の白い服を着て車いすに座っている小さい子供の姿が被る。
「エドワードくん?」
言葉を止めてしまったエドワードに、リザは少し迷って促した。
エドワードは、もう一度笑った。
「俺は、アルが黙ってたら怖い、我慢出来ない。怖いんだ」
「エドワードくん?」
それは、笑いながら言うような内容ではないと思った。それでも、エドワードは口元だけで笑っていた。まるで世間話でもするかのように。
「アルが、黙っているのが俺は怖い」
小さく彼の生身の腕が震える。その腕を、機械鎧の腕が押さえる。
その声は泣いているようで、彼の目は揺れてもいなかった。
まっすぐ地面に視線は向いているのに、リザから見て伏し目がちな金の瞳は太陽の光を反射していた。きらきら輝いていた。
けれどその目は、どんなに光を得ても、反射ばかりさせていて。
「アルが、もうあんなんなって1年も経つのに、まだ慣れないんだ。あいつが黙って本読んでたり、考え事してたりしたら、怖いと思うんだ。あいつの横で本読んでても、あいつは喋っていないと気配がないから、俺が本読んでる間に、あいつが、あいつの魂がいなくなっていたら」
この子は、誰かを探してここに迷い込んできたのだ。
弟の側にいるのがいたたまなくて、苦しくて。一番愛する弟といることで、トラウマに悩まされる小さな可哀想な子供。でもきっと、そんなことまさか口に出すことも出来ない。
彼の目はまっすぐ床を見ている。
リザに出来るのは、この少年の話を聞いてあげることだけ。なんて無力なのかしら、と思った。同時に、少しほんの少しだけ、安堵した。話を聞いてあげる事は、こんなに簡単。
「一番怖いのは、アルが側にいても、気づけない事なんだ」
エドワードが小さく吐き出した後、やぁおはよう、という上司の声と、兄さん来てませんか?というアルフォンスの声がした。