この大人は、人を茶飲み友達か井戸端会議仲間とでも勘違いしているのではないだろうか。
「知ってるかい鋼の。」
たいていそんな言葉から始まるとき、彼はしようもない豆知識を披露して来る。一回り以上歳の離れた自分に、無意味なまでに誇らしげに、そんなこと知ってたって別に威張れないだろーということを。
「知らない知らない」
それでも自分以外の部下には相手をしてもらえない寂しい大人は(一々この男の相手をしていたら業務が滞って仕方ないだろう。哀れむべきは部下たち!)、エドワードとアルフォンスが帰ってきた途端目を輝かせて喋り出す。いつも相槌を打つのは優しい弟で、兄の方はあーとかへーとか、そんなやる気のない声を聞いたアルフォンスに睨まれたら(見られたら?)渋々すごいすごいとか言ってみたり。今日はそんな優しい弟が居ないから、エドワードは自分の意思でいつもよりほんの少しだけお愛想してやる。
「なんだよ、早く言えよ。ボケたんか」
「いや…」
わざわざ応えてやったのに、なかなか喋り出さないでニヤニヤ笑っているロイに悪態をついて、エドワードはソファに身を沈めた。いくら慣れたとは言っても、列車での長距離移動は結構堪えていて、疲れた体に柔らかい感触が心地いい。このまま話を聞かずに眠ってやろうかと思っていたら、やっとロイが口を開いた。
「虹が生きているのを知ってる?」
「……はぁ?何言ってんの」
「だから虹が」
「いや、そゆことを聞いてるんじゃなくてさ。あんた仮にも科学者じゃねぇのかよ…」
虹。空中の水滴によって太陽光が分散されて生じる6色の円弧状の帯。
確かにそれは綺麗で、虹の根元に黄金が埋まってるとか、神様のかけた架け橋だとか、その向こうに理想郷があるとか、そんな伝説はエドワードも読んだ事があるけれど、まさかそれをいい年をした大人にこうも堂々と言われると、なぜか気恥ずかしくなる。
どこまでこの男はロマンチシズムなんだ、と口の中でつぶやく。エドワードの馬鹿にした目に気づいたのか、ロイが眉を寄せて、笑った。
「そんな伝承があると、本で呼んだんだよ。虹は通り抜けられるそうだ」
「またわけのわからん本読んで…」
こんな話、ホークアイ中尉はもちろん、ハボック少尉やブレダ少尉に話したところで一蹴されるだろう。
そしてエドワードが彼を馬鹿だと一蹴できないのが判っているから、ロイは自分を雑談相手に選んでくるのだ--厄介な。
「半透明でぶよぶよして、脈打っているそうだよ。私は見たことがないがね」
「俺だってねぇよ」
「…あまりお気に召さなかった?」
顔色を伺ってくる上司に、エドワードはんーとあたまを掻く。下から見上げてくる顔は、とても一回り歳が離れているとは思えない。そんな顔されたら何も言えないじゃないか。
「あんたがそんな御伽噺に興味持つなんて思わなくてさ」
言葉を選んでそういうと、ロイは嬉しそうに笑った。


耳をなめられて、エドワードは思わず体を強張らせた。舐められたところが、熱を奪われて冷えて、それが逆に自分の体がどれだけ熱くなっているのか思い知らされて、エドワードはロイの肩を掴む左手に力をこめる。

「エドワード?したくない?」

そんな事聞くな、と言いたかったのに言えなかったから代わりに必死で首を横に振る。ロイは微笑んでまぶたの上にキスをして、唾液で濡れたエドワードの唇を指でぬぐって、少し湿った指で乳首をつまむ。
「ぁ…ん……」
それは体温よりひんやり冷たくて、触られているのを必要以上に妙に意識してしまう。早く入れてなんて絶対いえないけれど、言えたらどれだけ楽だろう、早くほしいのに。
触られている間そんなことばかり考える。
首筋から香ってくるロイの香水のにおい。普段は臭いと揶揄するそれも、こんな状態で嗅がされたら――汗のにおいと混じって妙に官能的なそれに反応して、顔と下腹部に血が集まるのがわかる。
ほしい、よ。声に出していたらしくて、ロイの手が一瞬止まった。鎖骨の部分に埋もれていたロイの表情は判らないけれど、ふっと息がかかって笑ったのだとわかる。
早く、ねぇ。
平素の自分が聴いたら鳥肌を立てそうな甘い声でそう請う。すっかり勃ちあがって、先走りで下着と自身を湿らせたエドワードのそれをとりだして、ロイは優しくすりあげた。
「ぁ、あっ……や…、だ、違うの、ロイのがほしい…!」
頭の中は真っ白で、もうロイの顔も見えていなくて、残っているただ挿れてほしいという思いだけでエドワードは喘ぐ。ロイはただ優しく微笑んだまま、目は冷静で底が見えなくて、その目でエドワードをじっと見ていた。
「ゃ…だ、見ないで…」
「どうして?こんなにかわいいのに」
声だけは気遣うように優しくそう言ってから、刷り上げる手を激しく動かした。追い詰められてぼたぼた涙をこぼすエドワードに、ロイは優しい声のままで、ほらイきなさい?と囁く。
その口調はどこか命令めいていて、エドワードは耐え切れずに高い嬌声を上げた後素直に精を吐き出した。


「……なんでしなかったの、今日」

丁寧にティッシュでエドワード自身を拭いているロイを見る気がせずに、脱ぎ捨てた洋服をかき集めて顔を隠しながらエドワードは尋ねる。
「したじゃないか。」
「いれてない」
「いれるだけがセックスじゃないよ。現に君は気持ちよくなっただろう」
「…ロイがイってない」
「イクだけがセックスじゃないよ」
ティッシュを脇において、ロイが笑った。答になっていないとエドワードは思ったが、ロイの下半身を(頬を染めながら)確認して、とりあえずもうやる気がないことを悟る。
「不能になった?」
「…君ね、そう言う事はせめてもっと言い淀んでから言いなさい。そんなずばっと言
われたら、いくら私でも傷付くというか。」
「不能になったんだ。」
「だから違うと…こういうセックスの形もあるんだよ。ヤる為に来たのかね、君
は。」
「ヤるために呼んだくせによく言う…大体セックス教えたのアンタだろ」
半眼でにらんでやると、ロイは今度こそ黙って、真っ黒な瞳でじっとエドワードを見ていた。

後片付けを終えて、エドワードが先にシャワーを浴びに行った。ロイが後からシャワーを浴びて出て行ったときには、いつもの調子で我が物顔に広いベッドを一人で占領して、文献を食い入るように読み進めていた。
「楽しい?」
「うん」
顔も上げずに言う。ロイにしてみれば可愛くなかっただろうが、エドワードとしては答えてやっただけマシだと思う。その態度に特に文句も言わずに、ロイはエドワードの隣にもぞもぞと入り込んできた。
「少しつめてくれ」
「はいよ」
ずるずると腕の力で体を横にずらすと、その隙間を埋めるようにロイも寄ってきた。
「……寄ってきたら狭いじゃん」
「…ここでちょうど半分だよ」
「そう、ならいいや」
しばし沈黙。エドワードは本に夢中だし、ロイもそれを邪魔する気がないから、いつもここでの会話はこれで終わるのだけれど。
「……昼間の虹の話なんだが」
珍しくロイが話しかけてきたから、エドワードはびっくりして本から顔を上げた。エドワードとしても、別に意地悪してやりたくて本を読んでいるわけではないから(ロイに言わせて見ればこんな雰囲気の中恋人を放ったらかして読書する時点で意地が悪いというか淡白というか文句の言い所なのだが)、昼間のように嫌な顔もせず何?と聞き返す。
「虹を通り抜けた人間はどうなると思う?」
「…通り抜けた人間…」
そもそも虹は通り抜けられるのだろうかとか、エドワードは少し考えてみた。エドワードの知る虹に関する伝説――ほとんどそれは肯定的で、虹の神秘をたたえていて。
「理想郷にいける、とか」
「……言葉を失うそうだよ」
ロイの低い声。エドワードはおや、と思った。
「気味が悪いそうだ。半透明でぶよぶよして脈打っていて。生き物のように伸縮を繰り返しているらしい」
ロイもエドワードと同じく錬金術師、科学者だ。確かに夢見がちな側面はあっただろうけれど、こんなになにか(仕事と女性を口説くための手段以外で)根拠のない伝承に拘ったことがあっただろうか。
綺麗な虹。そんなものにわざわざ、こんな気持ち悪い伝承をくっつける必要がどこにあるんだろうか。ロイの瞳、セックスのときですら熱を持たない黒い水晶が、やけに熱っぽくて――。
「ロイ?」
「……寝ようか、エドワード」
会話はそれで終わった。

虹、綺麗な光の現象。エドワードは夢を見た。夢の中で、これは夢なんだという実感がある夢だった。
ロイが虹の話をあんな熱心にするから--とエドワードは夢の中で空にかかる虹を見ていた。
あんなに綺麗な虹なのに、ロイはなぜあんなに気持ち悪がっていたんだろう、とエドワードは考える。

「虹を通り過ぎた人間は言葉を失うそうだよ」

エドワードは虹の傍にいってみようと考えた。どうせ夢の中、することなんてないんだし。エドワードは歩く。遠く見えていた虹が、だんだん大きくなっていく。光の帯がだんだん太くなっていく。

もっと近くに来て、と声が聞こえた。女の人の声。エドワードは周りを見渡したが、誰もいなかった。広い草原にあるのはエドワードと、空にかかる虹だけ。じゃあ今のは虹の声か、とエドワードが何の疑問もなく思ったのは、そこが夢の世界だったからに他ならない。

それに気づいたエドワードが頭上に広がる虹を見上げると、そんなに綺麗なものじゃ
ないのよ、と虹は言った。