口癖。
何気ない一言が相手を喜ばせたり、悲しませたりすることはよくあると思う。
その言葉を発した人間が、自分にとって特別であればあるほど、その言葉は重く、深く、心臓へめり込んでくる。
俺は、何かの拍子で、あいつが誰かと同じようなことを口走ったのを聞いた。
「デタラメ人間の万国ビックリショーだな。」
聞いたときは特に気も留めなかった。
俺はただ一言、そうだな、と軽く同意して、シン国から来たという大きな雑技団の華麗なショーに見入っていた。
それをどうして今、思い出したのか、自分でもよくわからない。
雑技団テントからそう遠くない、小さなオープンカフェ。
メロンソーダに乗ったアイスクリームをストローでかきまぜながらぼんやり考えていると、目の前に座っている大佐が、どうかしたのか、と尋ねてきた。
「別に…なんでもねぇよ。」
自分でも、自分が何を思ったのかよくわからないから答えようがない。
俺はとりあえずストローに口をつけ、その甘ったるい緑色の液体を喉に流しこんだ。
大佐は珈琲に少しだけ口をつけてから、
「さっきのショーはあまりお気に召さなかったようだね、鋼の。」
「あ、いや、そうじゃないって。」
急いで否定する。
今日見た雑技のショーはほんとにおもしろかったし興味深かった。
大佐の話によると、今日のチケットは大佐が買ったものではなく、軍のお偉いさんが譲ってくれたもので、たまたまショーの行われる日が大佐の非番の日と重なっていたらしい。しかもその時、俺は丁度中央にいたから、誘われたってわけで。
「おもしろかったぜ、ほんとに。それに国内にいちゃあシン国の人間をあんなにたくさん見る機会なんてねーからさ。」
俺がそう言って笑うと、大佐は少し安堵したように、ならばよかった、と微笑んだ。どうやらこいつもこいつなりに気を使ってくれたらしい。
そこで俺はまた、あの言葉を思い出す。
思い出すと、なぜか身体に走る痛み。かすかに速まるのは動悸。
瞬きするたびに、目の裏に黒い雲が現れるような、そんな錯覚に陥って、俺は頭を振った。
なんだ、俺疲れてんのかな。
「疲れているのか、鋼の。」
俺の胸の中の結論と同じことを、目の前にいる男が言葉にする。
すげーな、なんでわかんだろ。でも俺は否定した。
「んなことねぇーって。俺、大佐よか若いし。」
「そうかね?さっきから一人で何か考え込むようにしているから…気になって仕方がないのだが。」
あーそうだ。今日は二人で来てたんだっけ。
俺が黙りこんだら大佐、あとはウエイトレス口説くくらいしか選択肢ねーもんな。
でもだからって、「あんたの言った一言がどうしても胸にひっかかって離れない」なんて言った日にゃあ……それこそエロイ・マスタングの思う壺。延々からかわれた末にあんなこととかこんなこととかされるに決まってる。それは癪だった。
「えーっとあの……ほら、雑技団の技のこと考えてたんだよ。俺も出来るかなーって。」
「なるほど。君はよく身体を鍛えているからね、出来ないこともないんじゃないか?」
真面目に返してくる大佐。でもそれだけじゃ面白くないから、俺はメロンソーダをずるずる吸った後に切り返した。
「大佐には無理だろーな、絶対。」
口角を上げて笑ってやると、少し不快そうに眉をひそめる大佐。
「何を言うか、鋼の。私は軍人
「軍人つっても、あんたほとんどデスクワーク派じゃん。イシュヴァールん時は英雄だったかもしんねーけど今はどうなんだかなー?」
「失礼な。だいたいな、あんな曲芸が出来るからと言って、人生においてあまり得になるとは思えんだろうが。」
「あっれー?大佐、負け惜しみ?やぁねー、29歳にもなって。」
俺が裏声でからかう。
大佐も何か言おうとして、しかし押しとどまった。咳払いして、椅子に深く座りなおす。
ため息をついて、
「あんなの、デタラメ人間の万国ビックリショーじゃないか。」
あ、また。またその言葉。
俺はその一言で、反論する気が一気に失せてしまった。
それと同時に思い出す。
昔、東方でスカーに襲われた時に遠くで耳にした言葉。
そう、それは彼が口走っていた言葉。そしてその言葉は、その時だけではなく何度も、何度も彼の口からこぼれていた言葉だった。
マース・ヒューズ准将。大佐の親友。大事な人。
俺よりも多分ずっと長い時間を、大佐と共有してきた男。
なんで、思い出せなかったんだろう。それとも俺は、思い出したくなかっただけなのか。
ヒューズ准将の言葉を、口癖のように言う大佐。
瞬きのたびに現れる黒い雲が、俺の身体を覆った。身体が重くて、目もあげられないで、俺はただひたすら黙った。
「……鋼の?」
「………」
「どうかしたのか?」
「………」
なんだろう、この気持ちは。
ヒューズ准将は大佐の親友で、別に口癖がうつるくらいは全然不自然なことじゃないのに。
それなのに、俺はそのたった一言の繋がりに、これほどまでに執着している。
これほどまでに、嫉妬している。
「鋼の?気分でも悪いのか?」
不意にあたたかい手が、俺の額に触れた。
びっくりして振り払うと、そこには身を乗り出して俺の体温を測ろうとした大佐の驚いた顔があった。
「っ…」
しまった。やっちまった。左手で払ったからそんなに痛くはないだろうけど、それでも大佐はかなり驚いたようだ。
俺はその場から走って逃げたい衝動を必死で丸め込んだ。
「ご、ごめん…」
搾り出すようにして、謝罪の言葉を述べる。
「いや、いいんだ。少し驚いたがね。」
驚きよりも、今は傷ついたような顔をして、大佐が言うのがさらに痛い。
「ごめん…」
「鋼の。さっきから様子が変だぞ?考え込んだり、黙ったり。一体何がそんなに気に入らないと言うのかね?」
大佐がこちらを見ている。俺は視線を外しながら、
「だって………あんた、ヒューズ中…准将みたいなこと言うんだもん。」
「……は?」
「だーかーらー!!」
俺は声を張り上げた。視線は相変わらず外したままだったけど。
「あんたがヒューズ准将と同じこと言うから、なんだかムカッときただけ!それだけ!!」
言って、逆ギレ。恥ずかしいことこの上ないけど、ほんとにどうしていいかわからなかった。
そうしてると、がらがら、と椅子をひく音がした。
あれ、大佐もしかして呆れて帰る気かよ、と思って慌てて顔をあげる。
と、目の前に大佐の顔があった。
「それは嫉妬かね、鋼の。」
「ち、違うッ!故人に嫉妬なんてそんな……」
言ってるうちに顎を掴まれて、大佐が俺の唇に唇を被せる。
俺の口内に珈琲の香りと苦味が広がって、俺は抵抗する術をなくした。
「んっ…」
鼻から漏れる女みたいな声に幻滅しないでもない。でも大佐はそんな俺の声が嫌いじゃないと、以前言っていた。
「可愛いね、鋼の。」
耳元で囁いた大佐の頬をぺちんと軽く叩くと、大佐は至極満足そうに笑っていた。
なにが嬉しいんだか、と俺は心で言いながら、大佐から伝染するように軽くなった心で、一言、「ばか」と呟いた。
いろいろありえない話。もういっぱいいっぱい。