どうしてこんなことになってしまったのだろうか、と自問する午前五時。
私の腕の中で穏やかな寝息を立てている少年は、口元に小さい微笑を浮かべたまま未だ夢の世界から帰らない。
しっかりとした手首の割には小さい掌をぎゅっと握り締めている。
その手には、私の自由が握られている。
狗と精神と鎖と愛と。
エドワードが司令部を訪れたのは昨日のこと。
ひどくやつれた様子で、精神的にも弱っていて、どうしたものかとこちらが困ってしまうほどの豹変振り。
アルフォンス曰く、こういうことは極まれにあるらしく、その直接的な原因は唯一の肉親である彼でさえもわからない。
ただ、根本的な原因は、やはり彼らが昔犯した禁忌に由来するものだという。この、精神的病ともいえる症状がエドワードの身体に起きるようになったのは彼が人体錬成に失敗してそれ以降だったというから、根拠はないがどこか確信めいたものは感じるし、私もそれで納得はした。
その日はいったんはそれだけで、兄弟は今日は図書館へは行かずにゆっくり宿で休むと言って帰っていった。
その夜。私が自宅のドアノブを握ると、ドアは内側から開いた。
中から出てくる金髪の少年に体当たりにも似た抱擁を受ける。
その身体は相変わらず小さい。
「おかえり。」
「ただいま。」
そう言われると、そう返すしかないじゃないか。
私は笑って、彼の身体を抱きしめた。
「晩飯は?」
「まだだよ。」
「じゃあ一緒に食おうよ。」
「何が食べたいんだね?」
「俺が作ってやるよ。」
「………。」
エドワードは廊下を歩きながら振り返って笑った。穏やかな笑顔だった。
穏やかで、繊細で、ひときわ美しい、笑顔だった。
彼の母親はクリームシチューが得意料理だったらしい。エドワードは洗濯ばさみで鼻をつまみながら、鍋に大量の牛乳を流し込んだ。
彼は鼻歌を歌いながら台所に立っていた。洗濯ばさみのせい以上に、彼の鼻歌は下手くそで笑えた。
牛乳を遠慮なく入れる小さい後姿を視界の隅にいれながら私は、スープみたいな水っぽいものが出てくるんだろうなぁと想像して、新聞に目を通しながらその完成を待っていると、食卓には意外にもいい出来栄えのミルク色のシチューが並んで驚いた。他にパンとサラダがついて、なかなかに豪華なものだ。
エドワードはいつのまにか洗濯ばさみをとっていた。
「信じられないよ鋼の。君は天才だ。っていう顔してる。」
私の顔を覗き込みながら、妙な口調でエドワードが笑う。料理用に髪を高く結い上げた姿が新鮮で、そうすると彼の顔の小ささが際立って見えて、私はどうしても触れたいと思った。
私の掌は小さくない。身長の割には大きいと思う。
その手でエドワードの頬を包んでやると、彼は委ねるようにようにそのまま頬をすりよせてきた。
私は、その紅く艶めく唇に出来るだけ優しく、キスをした。
夕食の後、一緒に風呂に入って二人で汗を流して、二人で身体を弄り合った。
エドワードはやはり病気なのだろう。抱く前からそれは気づいていたけれど抱いてしまってそれは明白になった。
肉体的にではなく、それは精神的なところからくる病。
貪欲に、私の身体を求める小さい掌、血のように真っ赤な舌、快楽を漏らす唇。
私を捉える金色の瞳。弱弱しい光。蠢く闇。
痛々しかった。快楽を夢中に貪る様が、本当に哀れで、それなのにどこか妖艶で。
助けてやることは、できなかった。
ベッドに入ってもまだ私を求めてくる可愛いコに大人らしい助言もできない私はただただその欲に答え続けた。
何度も何度も白濁を吐き出しては喘ぎ、淫らに腰を振って私を誘う。
恥ずかしそうに頬を染めて、しかしその太股は私の身体を放そうとは決してしない。
そうして、エドワードが少しだけおとなしくなったのは、夜中の三時を回ってからだった。
「鋼の、可愛いね。」
そう言ってやると、彼は疲れた眼でじっと私を見つめた。
「君のためなら、私はなんでもできそうだよ?」
綺麗な瞳の裏でくすぶる闇。見たい。けれど、その視界は周りの光によって遮られている。
闇の周りに、きらきらと輝く光が残っていた。
「本当に?」
息の上がった、愛おしい声。
私はぎゅっと彼の身体を抱きしめた。
「ああ、本当だよ。」
「………嬉しい。」
エドワードはそう言って、どこか安堵したように笑っていた。
翌日。私は寝坊をした。
というより、寝坊をさせられた。
これは後日に知った事実だが、昨日のシチューに何か薬が盛られていたらしい。
睡眠薬にも似た、法に触れない程度の薬。子どもの玩具。いやむしろ大人の玩具と言った方がいいのかもしれない。
しかし、起きた瞬間そんなことがわかるはずもなく私は驚いて跳ねるようにベッドから起きた。
見れば、隣にエドワードの姿はない。
帰るならその時起こしてくれればいいものを、と恨めしく思って立ち上がろうとして、首に違和感を覚えた。
ぐい、と締め付けられ、ベッドに引き戻される感覚。
ひんやりと冷たい何かが食い込む、鈍い感触。そして、金属音。
「…………。」
私はおそるおそる、自分の喉元に手を添えた。
そこには細い、チェーン状の何かがある。細いといってもそれはネックレスなどの生易しいものではない。大型犬の調教などに使われそうな首輪、だろう多分。
自分で想像して、自分で幻滅する。
そして、そこから伸びる、太いリードはそのままベッドの裏側へ伸びていた。
「………。」
これはどうしたものか。と思案する。
鎖は素手では壊せそうに無い。錬成陣を描けそうなものを探したが手近なところに見つからない。
電話するのは却下だ。こんなことを誰に訴えればいい?それにどちらにしろ電話は一階のリビングにしかない。
私は嘆息した。そして、これをした犯人を考えた。
考えたくは無いが、もう結論は出ている。
「はがねの………」
苦々しく呻く。その時ドアが開いた。
「あ、起きたの?大佐。」
おはよ、と笑うその少年。肩にかけられたタオル。濡れた髪。
どうやらシャワーを浴びてきたらしい。
「これは君の仕業かね?」
「他に誰かいるの?このウチ。」
いたずらっぽく言ってくる、いつもなら愛らしいエドワードの声に少々苛立ちを覚えた。こんなことは初めてかもしれない。
「鋼の、答えなさい。」
「俺だよ、大佐。何怒ってんの?」
ベッドの端にちょこんと座るエドワード。
「怒るだろう普通これは……とにかく、これを外しなさい。」
「い・や。」
私が何か言いかけて口を開いたときに、強制的に首を引かれて私は前のめりの倒れこんだ。
ぐいと身体を支えられて、唇に柔らかい感触が走る。
エドワードが、私の口内に舌を侵入させてくる。ねっとりと、こんなにも濃厚なキスがこのコにも出来るようになったのかと、私は妙な気持ちになった。
嬉しいような寂しいような。
いやしかし、今はそんなことを考えている場合では、ない。
「嫌じゃないだろう?私には仕事があるんだよ。」
「だって……」
私の胸板を撫でる、小さい掌。エドワードはうつむいた。前髪がかかって、声がくぐもる。
背がまるまると、いつにも増して小さく見えてしまう。金糸を生やした猫みたいだと思った。
「だって大佐、昨日俺のためならなんでもできるって……言った。」
「……。」
泣きそうな声でそんなことを言われても困る。
なんと言おうか、と思案する。普段、こんなにもわがままな子ではないはずなのに。
むしろ、妙に成熟した精神を、子どもの無邪気さを演じることで隠そうとするような、そんな子どもなのに。
だから、いつもと違う、あまりにも軽率な行動に私は正直対処の仕方がわからない。
精神的不安定。
そういう要素が、この子にはあるような気はしていたのだがまさかここまで―――。
「中尉には電話した。」
「……え?」
「大佐、しばらく休むからって。」
「…………それで、彼女は何と?」
「いいってさ。」
嘘を言ってる風には見えなかった。いやしかし、いくらなんでも私がいないと司令部は困るのでは、と思う。
エドワードはそんな私の頬を両の手で挟みこんだ。冷たい手と、少し汗ばんだ手。
「ね、大佐。朝ごはん、作って?」
いつにもなく甘えた声で言う。闇が揺らめく瞳。
生命力に欠いた、痛々しい笑み。
私は、嘆息した。
仕方がない。
私は、素直に彼の遊戯に従うことにした。
首輪をつけたまま、私はズボンをはいて、上は白いシャツだけ羽織った。
「前はあけとくの。」
エドワードがそんなことを言うからそういう格好で台所に立つと、私の隣で彼はにこにこと嬉しそうに私のことをじっと見ていた。
無邪気な掌に握られた銀色の鎖は私の自由を縛る道具。
それはそれはとても妙な光景で、私の中で色々な感情が交錯した。
そういう、とても奇妙な朝だった。
服を着て、昼食は外でとろうということになった。というよりも、エドワードがそうしたいというからそう決まった。
今、私には主導権がない。それを取り返そうとも思わない。むしろ、楽だ。限りなく、楽。
外へは、いくらなんでも首輪をしたままでは行けないと控えめに言うと、エドワードは困ったような顔をして、それから仕方ねーか、と頷いた。
両手を合わせて、首輪を再錬成する。
そうして小さい手錠を作った。それで私の手首と彼自身の手首を繋いぐ。
「これならいいだろ?」
「……。」
確かに首輪よりはましなので私は、そうだね、とだけ答えた。
どこか嬉しい反面、物寂しい気がした。
昼食を座席をくっつけて食べた後、しばらく公園を散歩した。
エドワードは終始楽しそうに話をして、それから笑った。
いつもより余分に笑うぶん、その後の沈黙がとても辛くて、私は軽口も叩かずにエドワードの調子にずっと合わせていた。
家に着くと、またエドワードは私に首輪をして鎖を握り締めた。
その手が、少しだけ震えていたから、私はお風呂に入ろうと言った。
エドワードはこくりと頷いた。
たくさんの泡が浮んだ風呂。私はエドワードを後ろから抱きかかえていた。
首輪はつけたまま。鎖は握られたまま。
エドワードは私の身体によりかかって、肩にその小さい頭をのせていた。
「ね、大佐。」
「ん?」
「キスして?」
言われるままに、その顎を引き上げて唇を重ねる。
「んッ……」
エドワードの切なげな吐息。少しだけ下に引かれる鎖の感覚。
彼は頬を染めながら、身体を反転させて私に抱きついてきた。
「大佐、えっちしよう?」
「………」
私はもう一度、キスをした。繰り返した。
濡れた耳に噛み付く。苦い。多分、風呂の泡がついていたのだろう。それでも、その小さい耳に吸い付いた。
「ぁ……」
可愛い声が、風呂場に響く。
私は、彼の胸の突起を探し当てて、指先で弄んだ。
湯がゆれて、泡が零れる。
「ひっ……ぁん……」
喘ぐエドワード。水面下で、握り締められているであろう鎖と。
どこか、置いていかれてしまった、情けない大人の男と。
私は、エドワードの下腹部をなぞった。硬くなったそこをきゅっと握り締める。
「鋼の、淫乱だね。君から誘って、こんなにして。嬉しいよ?」
「ぁ、あん……ぁッ……ぃ…」
答えにならないエドワードの声だけを、耳に残す。
邪魔な自身の思考は、意識的に神経を切断して拒む。
もう難しいことを考えるのはやめてしまえ。
私はエドワードの首に吸い付いた。苦味のある、滑らかな肌。いくつもの、赤い痕を残す。
「ぁ……んっ…」
硬さを増す愛おしいエドワードのそこを惜しみなく愛撫する。
「っ…ぁあん……た、いさ……」
そうして、彼は私の手の中で精を吐き出した。