リゼンブール。買い物した帰り道を歩く俺と、アルと母さんと。
舗装などされていない、草だけ抜かれた道。それが普通だと俺は小さい頃思い込んでいた。そういう道を三人で歩いている。映像はどこか不透明で、砂利を踏む足音はどこか遠くで響いていた。
みんな夕日の中に照らされて、不意に兄ちゃんと呼ばれて横を見れば逆光で弟の顔が見えず、振り返れば母さんの笑顔も真っ赤な光に邪魔されて直視できず、俺は足を止めた。
どうしたの?エドワード。
どうしたの?兄ちゃん。
たずねる二人の顔は一向に見えず、そこだけがぎらぎらと光っていて、そんなことあるはずがないのにとかそういう理論的なことは俺の頭には全く思いつかずに俺は取り乱し激しく狼狽した。その間にも二人は同じ質問を繰り返してくる。
どうしたの?どうしたのかしら。
そのうちに俺はそこから駆け出していた。逃げ出していた。
走って転んでまた走る。見知った道。家へと続く道。
でも辿り着いた先にあったのは、真っ赤に燃え上がって崩れていく黒い物体だけだった。
崩壊系列からの脱落と太陽。
自分の涙で頬が蒸れた。
俺がむっくり頭をあげて欠伸を漏らすと、俺の身体にまわされた腕が動いた。そっと頭を撫でられる。
「ごめん、寝た。」
寝てしまうとどこかリセットされた気持ちになる。俺は乾いた声で呟いた。ロイの黒い目が笑っている。
俺はじっとそれを見返した。ロイが何も言い出さないから、俺から言葉を発する。
「起きてたの?」
「眠っていたよ。」
「そ。」
俺は大佐が爆睡しているところを見たことが無い。せいぜい仕事中のうたた寝くらい。
素で寝ているところを見たことがない。いや、一度だけ、俺の薬で寝ているロイを見た。
首輪をつけた時、俺はまじまじとロイの顔を見つめた。普段はできないから、その閉じた瞼を見つめたり、唇の輪郭を指でなぞったり、こめかみに生える黒髪を撫でてみたり鼻の穴とか耳の穴とか覗き込んで見たり。
でも、それは睡眠薬という助力があったおかげで、化学の力で人体に影響を及ぼしたにすぎなくて、不思議でもなんでもない結果。
どうして、ロイは俺の前で寝息を立ててくれないのか。寝言は寝てから言えっつっていつもどつくのに起きてる時にしか言わなくて。
寂しい。
「目が腫れてるね。」
ロイが俺の目元を撫ぜる。硬い皮膚に覆われた指先にロイの男性を感じる。
「今何時?」
「さぁ?日は暮れてしまったがね。」
そうなんだ、と俺は呟きながら窓の外へ目をやった。重たいカーテンに覆われた隙間から見えるのは月明かりと瞬く星。
そっか、どおりで腹も減るわけだ。
「腹減ったな…」
「何か作ろうか?」
俺は頷いた。
台所に並んで立つ。
今日の晩飯は肉。フライパンに油をしいて、焼いて、そんなロイの隣で俺はやっぱりトースターと睨めっこをした。
睨みながら、隣で鍋の卵も睨む。
ロイの首輪のリードの先を手錠のように錬成し直して、俺は手首にまきつけていた。
「何を作ってるんだい?」
「え?タマゴサンド。」
にっこり笑ってやると、君は案外料理をするんだねと驚かれた。
ゆでた卵をがすがす潰して、焼けたトーストにバターとマヨネーズを塗って挟む。
いつのまにかロイは大きな皿に肉を盛っていた。
その牛肉は生もいいとこで、レアの中のレア。レアっていうか生。
俺が先に食って肉についてべろべろ文句を言ってやるとロイは、なんだね君はこの高級なレア具合がわからないのかねとかなんとか抜かしながら音もたてずに肉にフォークを突き刺して口に運んで蒼い顔をしたから可笑しかった。
穏やかなフリしてその高級レアを飲み込んで、グラスに注いだ水を飲み干す。
「ほら不味いじゃん。」
言ってやると、ロイは違う違うと言う。
案外ガキだなこいつ。
「素材がね、悪いんだよ。」
「はいはいそうですか。」
馬鹿にしたように言ってやるとまだ何か言おうとしたロイが気を取り直すように咳払いをしてからサンドイッチに手を伸ばした。
「うまいだろ?」
半ば肯定するような物言いで言って、俺は彼の顔を覗き込んだ。
「まぁタマゴサンドだしね。」
「ンだとこらァ。」
見事な巻き舌で下から睨むと、ロイは笑って美味しいよと言ってくれた。
「とても美味しいよ。」
その優しい笑顔と言葉が、すごく嬉しかった。
夕食後はポーカーをした。イカサマはお互いさまで、なのに妙にロイは強くてなかなか俺は勝てなくて。
悪態を吐きながらも、そんなロイをかっこいいなと思ってしまった。
勝ってガキみたいに喜ぶことも、大人ぶって俺を慰めることもせずにただただ俺の顔を見て口角を上げる。
「また私が勝ってしまったね。」
「だー!もぉ、も一回!も一回やらせろッ!!!」
「ほら、君がイカサマばかりするからカードがどんどん減って…」
「るせぇそりゃアンタもだろーがネタはあがってんだよ!!」
トランプを集めてそろえる。
そうして先に飽きたのはロイだった。
「何か別のことをしよう。」
そう言うから俺はしばらく考えて、じゃあ散歩に行こうよと言った。
夜の公園を散歩しようよ。
ロイはいい考えだね、と言って笑った。
首輪はつけたまま、リードを俺は握り締めた。
手錠にしてくれないのかい?と聞いてくるロイに俺は夜だから大丈夫だと返答した。
ロイの家はイーストシティの少し郊外にある。だからこんな夜中はとても静かで、公園にも誰もいない。いるのかもしれないが、誰も彼もがじっと息を潜めている。それが夜の公園。
どうしてみんな息を潜めるのだろう。やましいことでもあるのか、やましいコトの最中なのか俺には計りかねた。
そういう俺も、どことなく静かに歩いていたりして。
「涼しいね。」
ロイが後ろから言う。俺は振り返り、後ろ向きのまま歩いた。
「なんか犬の散歩みたい。首輪つけちゃってさ。」
「ほぉぉ、私は君の犬かね、エドワード。」
「そう。俺の犬だぜ。」
言って、背伸びをして手を思い切り伸ばした。指先に触れるしなやかな髪の感触。
「よーしよしよし、いいコでちゅねー。」
「やめなさい、エド。」
「あはは、やめねぇ。」
「こら。」
ロイが少し怒ったような声を出すけれど俺は全然恐くなかった。本気で怒っていないと思ったから、全然恐くなかった。
俺は手の中にある鎖を見つめた。俺の右腕と同じ無機質な物体。でもそれはロイを繋ぐ道具。命を繋ぎとめるモノ。
じゃあ俺の右腕は何かを繋ぎとめているのだろうか。
俺は泣きながら見た夢を思い出した。顔のない過去の映像。炎の熱さだけはやけに現実的で。
「なぁ、ロイ。」
俺はロイを呼んだ。黒い瞳は俺たちの周りを包む闇と同じ色で、そこに映る俺自身は見えなかったけれどそれでも彼の脳裏に俺の姿があるんだと思ったら少し嬉しくなった。
「なんだね、エド。」
優しい声。俺はこの声が好きだ。大きな海の穏やかな波打ち際のような声だと思う。いや、アメストリスは内陸国だから海なんて見たこともないんだけれど。
「俺、あんたを好きだけどいいかな。」
言って、立ち止まる。ロイの顔を真っ直ぐに見据えた。
「多分しばらくはずっと好きだと思うけど、それでもいい?」
ねぇ、どうなんだよ。胸中で聞く。つられて立ち止まったロイは口元を歪ませた。
変な音を出して、口元を手で抑えて、短く失礼、と言ってあっちを向いて肩を震わせている。
なんだコイツ、笑ってやがるのか。
「ッ!なに笑ってんだよ!?」
怒鳴ると俺の声は月夜によく響いた。
「いやいや、失敬。つい、ね。」
「ついじゃねぇよコラ。で、どうなんだよ結局。」
首輪をぐいとひっぱると情けない声で痛い痛いと喚いた。引く手を弱める。
「で?」
半眼で睨むと、ロイは咳払いをして声の調子を整えてから、
「私の許可など欲しいのかね?」
「へ?」
「ちなみに私は未来永劫君しか見えない自信があるよ?」
「ッ……馬鹿かてめぇ…」
「でも私は君に許可なんかとらない。私が勝手に愛してるんだし、見返りも今のところ頂いてるしね。」
楽しそうなロイの顔。俺はむかつきながらも、どこか安堵した。
そうだ、結局そうなんだ。
俺はロイを見た。頭が、こんな夜中なのにすっきりして、俺はどこまでも清清しかった。
夜の空気を沢山吸い込む。
「帰ろうか、エド。」
ロイが微笑んだ。俺は頷いた。
そして俺は、鋼の手から鎖を手放した。
その夜は、ロイは首輪を着けたままだった。とってあげる、と言えば、まだいいよ、と言った。
ロイはじっと俺の目をみていた。俺の中に熱いものが入る。
熱に浮かれたように、唇から吐息を漏らす、その黒い瞳の奥に蠢く闇を見る。
俺は彼の名前を呼んだ。呼び続けた。
もうこれが最後になるかのように、何度も何度も何度も呼んだ。
エド、可愛いね、愛してるよ、エド。エド。エド。
ロイの声。名前を呼ぶ声が何度も何度も鼓膜を揺らして、俺は瞼を閉じてそれを聴いた。
気持ちいい。俺の知る海は、文献で呼んだ海と、この男の持つ海だ。それが、俺の知っている海=B
「あぁッ…ロイ……」
しがみつく。背中に爪を立てて引っ掻いた。
ロイの喘ぎ声がする。痛い、と言ったかもしれない。けれど俺は無視した。
ロイが、俺の中で膨張する。腸壁が拡張される。
なんどもなんども突き上げられて、俺とロイは同時に果てた。
そのあと、俺たちは裸のまま抱き合って寝た。うっすら汗をかいたロイは、気持ちよさそうに眠っていた。
可愛い寝顔だなと思った。
翌日、俺は両手を合わせて鎖を壊した。
あまりにも簡単に壊れたそれに、大佐は苦笑していた。
こんなにもろいものなのに、どうにもできないものなんだね。
「ねぇ、鋼の。」
「あんたに力がないだけだって。」
俺はいたずらっぽく笑った。
ああ、人間はなんて自己中心的な生き物なんだろう。
ああ、なんて分かり合えない生き物なんだろう。
それでも、誰かと一緒にいなければ生きられないなんて。
なんて可哀想で、なんて愛おしい生き物なんだろう。