夢盲


「とても子供らしい、というか。」


錬金術の知識は人並み以上といっても、精神面ではまだまだケツも青かったころの話で、確かその日は親戚で遠出をしたのだと思う。イーストシティからあまり出たことはなかったから、馬車から見える景色からして新鮮で、夕暮れに帰るときには遊びつかれてグロッキー、ひどく揺れる馬車の中でも爆睡できたのだから、疲れは相当なものだった。
隣に座っていた叔母の方にいつの間にか寄りかかって、熟睡。砂利道で、頭をがんがんと揺らされて、半分酔ったような感覚でふと目を覚ましたとき、最初に目に飛び込んできたのは優しく微笑む叔母の表情だった。その瞬間、ふと(今思うととてもばかばかしい)錯覚を覚えて――





その日、鬼の副官(リザ・ホークアイ)がいないのをいいことに、途中に書類を持ってきたハボックやブレダに対応しながらも、途切れ途切れにそんな話をエドワードとしていた。
すっかり本の虫になってページを繰る以外は彫像のように動かないエドワードが相手では会話が成立するはずもなく、実質、とりとめもなくだらだらと独り言を並べていただけだったのだが。
隣の部屋で仕事をしていたハボックは、書類を出しにきた足で余計なことまで言ってきた。
「大佐、なんか寂しい中年みたいっすよ」
「うるさい黙れひよこ頭」
「あーこわっ。中尉いなくて寂しいからって俺に当たらんでくださいよ。大将もなんかいってやって」
「中尉が居ないから誰も突っ込んでくれなくてボケ殺しで寂しいんだよなぁ、大佐?」
鋼のが顔を上げて、長時間の読書のせいで視点があわなかったのか、大きい瞳を二、三瞬きしてから言った。
……さっきまで私が何度相槌を求めてもこっち見なかったくせに。
「え、大将相手してあげてないの」
「俺本読んでたもん」
「うわ、寂しい大人…」
「鋼のは照れてそんな事を言ってるだけで憎まれ口を叩いてもちゃんと聞いてるんだ、お前はさっさとあっち行け」
「いや俺ほんとに本読んでんだけど」
「ほら、本人もこういってるし」
「仕事しろ」
普段は怖い・うっとうしいと思っていても、やはり厳しい人物が一人はいないとメリハリも利かなくて仕事も回らない。余計なことを言ってお茶を濁して、仕事をサボろうとする意図が見え見えの、図体だけはでかいひよこ頭をしっしっと追っ払う。
「そういえば、それで何を勘違いしたんですか?寝汗がお漏らしみたいだったとか、おばさんが超美人に見えたとか?」
「は?どうしたハボック、ぼけたか。トイレなら廊下の突き当たり左で、医務室は隣の棟だが」
「違うー!!ぼけたのはアンタでしょ。俺は独り言の続きを聞いてるんですよ!」
え、そんな話してたっけ、とつぶやく鋼のは本当に薄情だ。
とりあえずそれは聞き流す。
「ああ、話が飛びすぎて判らんかった。話がよく飛ぶのは自己中の証拠だぞハボック。一人で勝手に脳内完結するのが原因だが」
「大佐に言われたくありません。」
かわいくない部下に、それでも続きを請われれば仕方ない、「思い出話」を再開する。
といっても残っているのはオチの部分だけだったのだけれど。

「それでそのとき思ったんだ、私が自分の母親を母親とだと思ってた世界が実は夢で、現実は叔母が本当の母親なんじゃないかと――」

「寝起きに優しく笑われただけで?」
「とんだ自意識過剰っすね。あ、寝ぼけただけか」
「うるさい」
こんなときだけ反応の早い鋼のとハボックに、がっと一喝して大人気なさに咳払いする。ホークアイ中尉というストッパーが居ない分、雑談の時間も長くなるのがなんというか情けない。
「とにかく、ハボック!仕事もどれ!」
「へ〜ぃイエッサー」
「少尉やる気ねぇなぁ」
「美人も居なきゃ仕事する気も起きませんって。中尉出張って聞いて、俺今日休もうかとか思ったもん」
「いい大人が何言ってんだよ」
けらけらと鋼のが笑ってハボックを送り出す。
まんざら冗談でもないらしいハボックは、やる気のないオーラを背中から振りまいて行った。…こっちまでやる気がなくなるじゃないか。
「さっきの話だけど」
鋼のはいつの間にか、読んでいた本を閉じて机の上に置いていて、私の机の側に立っていた。
顔に掛かる金髪が、窓の外から入ってくる陽の光を反射してきらきら光っていて、とても暖かそうだった。
細い金髪が顔に影を差して、綺麗な金色の瞳が暗くくぼむ。
「なんでそんな事思ったの?大佐、母さんが嫌いだった?」
さぁどうだろう、と首をかしげる。特筆すべき程目立った母親ではなかった。子供を愛して、適度に世間体を気にして、確かに少し口うるさいきらいはあったけれど。
「いや、嫌いではなかったよ。確かに厳しくて口うるさかったけれど。叔母が母親かもしれないと思ったときも、ぞっとしたからね。」
「ふーん。じゃあ、ひな鳥の刷り込み、みたいな?」
「………それは、どうだろう」
「そっか」
ふいっと鋼のが机から離れた。もうそれで私に対する興味を失ったかのように、机の上に放置されていた本を手にとって、ページを繰る。
「鋼の?」
行動が不可解すぎて、私は彼の銘を呼んだ。幸い、自分の世界に没頭しかねていたようで、彼は顔を上げる。
「なに?」
「いや、様子が変だから」
視点をあわせたまま、鋼のが小首をかしげた。どうやら言葉を探していたらしい彼は、うーん、と呟いて、視線を本に戻した。
「大佐が居眠りして目が覚めたとき、隣に中尉じゃなくて俺が居たら、大佐はどんな錯覚を起こすかなーっておもって」
ねぇ一回寝てみてよ、と言う鋼のの眼は本気で、私は正直ぞっとした。