迷いの星 到着前


太陽系最果て、冥王星。銀河超特急999の線路はここから先、太陽系を離れてゆく。
旅人は、だからここで立ち止まってしまうというのだ。太陽系を出ればもう、宇宙法の拘束があるのは銀河鉄道の線路の上と駅の構内のみになってしまう。無法の荒野、そこから無事故郷へ戻れるという保障はどこにもない。夢と希望に震えて旅立った人々が不安に足をすくわれる。ここから先訪れる後悔に心をとらわれてしまう。
ここは氷の惑星。星の生誕より溶けたことのない氷塊に覆われた、宇宙で一番寂しいところだと、金色の女性は目の前にいる少年に言った。
「寂しいっつか寒い……」
少年、長めの金髪を後ろで三つ編みにまとめた少年が呟いて背を丸めた。お世辞にも綺麗とはいえない、この銀河超特急二等席には似合わない真っ赤なマントに首までをすっぽり覆い隠して、身体を震わせていた。
「いくら氷に覆われてるからって、近付いただけでこうも寒くなるなんて可笑しいじゃねぇか。暖房壊れてんじゃねぇの?」
後で車掌に文句言ってやる、という彼に女性は首を振った。
「いや、いつもこうなのだ。暖房のせいじゃない……冥王星に近付くと宇宙列車の中にいても宇宙船にいても、ものすごく寒くなる。原因はわからぬそうだ。」
「原因不明?」
少年−エドワードが少しだけ身を起こした。
「あの星に凍り付いている魂が、そうさせているという人もいる。」
「ふーん……迷信だな。」
「迷信…そうだな、迷信かもな。」
「ラインハルトは、信じるのか?」
ラインハルト、と呼ばれた女性は窓の外を見つめていた。じっと、外の宇宙空間を瞬きもせずに見つめている。エドワードも、それに倣った。外には、真っ白な星がもうすぐそこに見えていた。
「さぁ?ただそういうこともあるかもしれぬ、とは思う。」
「そうかな…」
エドワードは呟いた。ラインハルトが、迷信など信じるはずもないと思っていたから意外だった。そのとき、エドワードノ鼻先をぐずぐずとむずがゆさが走った。寒さに鳥肌がたつ。
「っへくしゅん!!」
「寒いようだな。」
エドワードのくしゃみに、ラインハルトは視線を前方に移した。赤いマントに膝を折り曲げたエドワードがすっぽりと覆われている。寒そうに首をひっこめて亀のようだ、と思った。思うと、自然と笑いがこみあげてきてしまうのを咳払いで誤魔化したラインハルトは、どうしたものかと少し思案して席をたった。
エドワードが、鼻水を垂らしたまま、立ち上がったラインハルトを見上げている。
「な、何?」
エドワードの隣に腰を下ろしたラインハルトは、真っ黒なコートの前を広げて見せた。エドワードが目を丸くして、その黒いコートとラインハルトの無表情を交互に見やった。彼女が言う。
「ほら。」
「いやだから何?」
「コートの中に入れ。」
「…はぁ!?」
彼女の言葉にエドワードは情けない声を上げた。あげてから辺りを見回して、この二等車両には乗客は彼ら二人しかいないということを思い出して少し安堵した。
ラインハルトはエドワードの手を握った。彼女よりも小さい、けれどごつごつした少年らしい手はひんやりと冷たかった。
「ちょっ、ら、インハルト…!」
不意に手を握られてエドワードは動揺した。しかし手を振りほどくようなことは出来なかった。体温が上昇する。
ラインハルトの手は、エドワードの想像以上に柔らかくて滑らかで、彼は頬を染めた。しかしラインハルトはそんな少年の心の動きには気がつかない。
「寒いのだろう?ほら遠慮するな。」
「いや遠慮しとくよここは…」
やんわりと、空いた手で彼女の手を解こうとするのを無視して、ラインハルトは手を放すと彼女よりも小さい身体を両腕で抱き締めた。
「だめだ命令だ。」
強引な物言いにエドワードは嘆息した。いつもそうだ。どんなときも、彼女は主導権を握りたがる。いつも年長者ぶって彼に説教をする。実際、宇宙の知識も常識も彼女の方がはるかに認知していたからエドワードは素直に耳を傾けてはいるのだが。
長い両腕に抱かれて彼は、心臓が高鳴る音を聞いた。しかしこうなると、そこから離れたいなどと普通思わないだろう。エドワードは男だったし、ラインハルトは疑う余地もなく美女と称していい。拒む理由が、彼にはなかった。ただ、こういう経験のないエドワードにとってはものすごく緊張する場面ではあったが。
「………わーったよ…。」
渋々という形をとって、彼はラインハルトに腕を回した。密着度が増して、ラインハルトの胸がエドワードの頬にあたって彼は顔中が熱くなってしまった。母親以外のものには触れたことのない乳房。その母親のですら、記憶にないほどの過去の話。エドワードは、呼吸すらままならなかった。ラインハルトの胸は決して大きくはないのだが、それでも少年への刺激は相当なものだった。
しかし、刺激を与えている彼女自身はそんなことに気づいている様子はなかった。彼女は、年齢こそ20歳になるがもしかするとエドワードよりも男女のことについては無知かもしれない。無知、そして無頓着。彼女は自分の容姿の魅力についてすら、ちゃんと理解していないのだ。
抱き締めて動かないかと思いきや、たくましい腕を彼女の身体に回してくるエドワードにラインハルトは笑った。自分と同じ、金色をした綺麗な髪を撫でながら、
「お前は小さいなぁ。」と悪気なく言うと、
「誰が宇宙のミジンコだ…」
という抗議の声が、胸の谷間から聞こえてきてまた笑った。
エドワードは顔を離した。見上げると、微笑んだラインハルトの顔。彼女はあまり笑わない。
彼の母親はよく笑っていた。優しそうな笑顔をいつも浮かべていた。時々しか笑わないハインハルトの美しい顔が微笑を浮かべて、エドワードは母親の陽炎を見ているような気がした。
似ている、彼女は母親に。
「かあ、さん……」
目頭が熱くなる。ラインハルトは、きょとんと、蒼氷色の瞳を丸めた。
「…?エドワード?」
「あ、いや………ごめん…」
彼女の声に慌てて視線を外す。かまわない、とラインハルトは言った。
「昔よく、こうして温めてもらったんだ。雪の中で。」
「お前の、母親に?」
「そう。母さん……優しくて、ものそすごく美人だった…」
エドワードの腕に力がこめられる。ラインハルトは、痛みに眉を寄せた。激しい痛みではなかったから彼女は耐えた。彼の腕が震えていことも、わかっていたから。
「ラインハルトって……なんとなく似てる気がする。俺の母さんに…」
「………そうか。」
「うん……。」
エドワードは呟いた。
まもなく冥王星、そういう車掌の声が車両内に響き渡った。