金を持って少年は墓石を買い、残りの金で花を買った。真っ白い、その花の名を彼は知らない。大輪咲き誇ったそれをかじかんだ指先でさししめし、少年はカウンターに金貨をばらまいた。そこの白い花全部、この金を使って。それだけ言って黙ってしまった少年を見て、店主とその妻はお互い視線を交わして困惑したが、目の前に金があるのだから従わないわけにもいかない。贈り物ですか?と質問すると、少年は首を振って否定した。
「手向けだ。」
その花をすべて買っても金があまってしまった。少年は、あまった金をポケットにしまいこんで店を出た。
両手一杯の白い花をかかえて向かった先は、彼の親友の眠る場所。白い花を、並べることはしない。少年は、その場所には不似合いなほど美しい墓石の周りに白い花弁を千切って敷き詰めた。そして、最後の花弁をひらりと落として、少年、ラインハルトはその場にしゃがみこんだ。
間に合った。そう呟いて、嘆息。手を伸ばせば滑らかな手触りのする白い墓石。親友のために、最愛の人のために買った真新しい石碑。名前は刻まなかった。刻まなくても、その下に彼の愛した友の遺体はない。
これは、誰の為でもない、彼のための場所かもしれない。彼が、夢に連れて行かれないように、幻に消えてしまわないようにするための。
マッチ売りの少年 外伝
ラインハルトはまだ街頭でマッチを売っていた。ミュラーという商人から稼いだ金は、その後さらに購入した親友への手向けの品に全部使い切ってしまった。
最初から、あれを彼自身のために使う気などなかったのだ。ラインハルトはいまだ、靴すら履いていない。
かじかんだ手と手を合わせて息を吹けば、白い塊がふわりと浮かぶ。気持ち暖かい吐息を一心に何度も吹きつけていると、建物の隙間を縫う突風が吹き荒れて、ラインハルトを弄んだ。寒い。身体を強張らせた少年に北風は容赦がなく、頭部を覆っていたフードを払いのけてしまった。籠の中のマッチが零れる。ラインハルトはフードの結び目を両手で掴んで飛ばされまいと抵抗した。細い金糸が波打って、絡まりあう。白い雲の隙間から零れる月明かりとは別種の、街灯よりも眩しい金色は、待ち行く人の目を引きはしたがそれはただ一瞬の注目を集めるだけだった。
季節はまだ冬である。こんな狭い路地裏よりも人々が暖かな暖炉の前を選ぶのは当然のことだった。
北風が一時的に収まり、冬の夜の静けさが戻ると、ラインハルトは籠から零れ落ちたマッチに一瞥を投げた。拾おうか、そう思って膝を折る。しゃがみこむと、寒さに冷えていた関節が少し温まる。立ち上がることも、腕を伸ばす事も面倒になったラインハルトは、新しく積もった雪に埋もれていくマッチをしばらく無言で見つめていた。
新雪はどこまでも白く、しかし周りの明かりがそれに陰影をつけて彩る。埋もれていくマッチを見ていると少年はなんとなく昔の事を思い出した。昔の記憶も新雪もそれ自体白くても多分白いままには思い出せない。泥見まみれて黒くくすんだ雪をラインハルトは思った。
その時、蹄の音を聞いた少年はその白い顔を上げた。頭を軽くふって、前髪についた雪のかけらを払い落とす。
その馬車はこのあたりではあまり見かけない、四頭立ての馬車だった。色は漆黒で金色の細やかな装飾が施されている。一つだけある小さな窓には薄いカーテンがしかれ、中からは橙色の淡い光が零れていた。
貴族、という単語がラインハルトの耳に飛び込む。彼にしてみれば、貴族も王族も同じだった。
王族といえば、かつて彼の姉を金と権力で奪っていった一族である。彼は、権力者が嫌いだった。
その馬車は、闇と同じ色でありながら闇に溶ける事を拒み続けた。ラインハルトはしゃがみこんだまま、その馬車を睨みつけていた。
馬車はそのまま行き過ぎると思っていた。しかしそれは少年の前で止まった。
前で、と言っても、それは歩道と馬車道の間にある街灯や排水溝に隔てられていたから、少年は驚きはしたものの、立ち上がったりすることはなかった。たまたまだろうと思ったから。
黒い馬車の扉が開いて、中から暖かそうな光が惜しげもなく零れた後、頭をかがめて青年が出てきた。
彼は、土色のコートを羽織り、それと同じ色の帽子を深く被っていた。ラインハルトはそこまで見て視線を外した。興味など最初から抱いていない。
(寒いな……雪に落ちたマッチは湿気ているかな…)
少年は手前にあったマッチを握った。雪を払って、籠にあるまっさらのマッチ箱の端に何度も何度も擦り付けてみる。が、炎が灯る気配はない。
ラインハルトを、影が覆った。暗くなって不審に思ったラインハルトが顔を見上げれば、そこにはさっき馬車から出てきた男がいた。
ラインハルトは、その目深に被った帽子の下にある男の顔をじっと見つめた。白い肌と、通った鼻筋、表情のない唇に、鋭い瞳。
少年は息を呑んで食い入るようにその瞳を見つめた。左右で色の異なる瞳というのをラインハルトは本で読んだことがあった。それも、神話や童話などの類を集めた本の中である。男の右目は、光を寄せ付けない美しい闇色、そして左目は底冷えするような青さをもっていた。
はじめてみる“金銀妖瞳”に気を取られていたために、第一声を発したのはその男性だった。
男性はその表情のなかった唇に薄く笑みを乗せると、今日は冷えるね、と言葉をかけた。
ラインハルトは我に帰る。不思議な美しさに見蕩れていたが、目の前にいるのは他人の男だ。しかもよほどの金持ちと見える。少年は身構えて立ち上がった。
小さい、と思っていた男性は立ち上がった少年の背丈に少し驚いたようだった。
ラインハルトは男性の視線を正面からは受けず、少し身体をずらしてフードを被り直した。内側に入り込んでいた雪が首筋を濡らしたけれど、ラインハルトは我慢した。
「冬だからな。」
「寒いだろう?うちへこないか?」
馬鹿かコイツ。ラインハルトは心の中で相手を軽蔑した。それは内側からすぐに外側に伝染し、少年の眉の間に深い渓谷を生み出した。
「行かぬ。」
「……。」
少年のそっけない返答に驚いたのは男だった。少しだけ、その特異な瞳を大きくして、ほう、と唸る。まさか断られるとは思っていなかったから、少しだけ沈黙しながら少年を再度観察した。
「お前はここで何をしている?」
男の上からの物言いに少し気分を害しながら、少年は最小限に唇を動かした。それだけでも、乾いた唇はひび割れてしまう。
「マッチを売っている。」
言い終わってから、ラインハルトは切れた唇を舌で舐め取った。鉄の味がする。
「マッチ売りか。」
「だがこぼれた。」
「ひろわないの?」
「ひろわぬ。」
「これからどうするつもりだ?」
いちいち煩いやつだな、ラインハルトは口には出さずにしかし思い切り睨みつけた。もうしゃべるのも面倒くさいのに、相手は嫌味なほどに整った顔で先を促してくる。強制的な笑みでなんでも物事が進むと思っている。この勘違い野郎、ラインハルトは心で罵った。
「卿には関係のないことではないか。」
「そうだな。じゃあ俺が今からどうしようと、それも君には関係ないことだね。」
「当たり前だ。お前の未来など知ったも…」
そこでラインハルトは何かに口を塞がれた。それはやわらかい布地だった。それも強烈にすっぱい香りのするもの。ラインハルトはもがいたが、その手は空を切るばかり。全身の力が抜けて、もう自分の身体がその場にないような錯覚に陥る。身体の感覚が、魂から遠ざかってしまったようなもどかしい感覚。ラインハルトは、瞳を閉じまいと必死だった。揺れる視界、転倒したのは自分。後頭部に、しかし誰かの身体の感触があって支えられたのだと知る。空からは止んでいた雪がまた降り始めて、睫毛を濡らす。額を、頬を濡らす。最後に、あの、嫌味っぽい笑みが視界に入って、そこでラインハルトは意識を手放した。