ラインハルトは、ミュラーの腕枕の上で目を覚ました。未だ、眠りの中にいる相手を見やって、少年は無遠慮に起き上がった。彼の身体を抱き締めていたもう一方の手を払いのけると、さすがにミュラーも目を覚ます。ぴくぴくと瞼を震わせてから、その砂色の瞳をうっすらと開いた。目の前で上体を起こして辺りを見回している少年を視界にいれると、口元を綻ばせた。窓から差し込む朝日が、くせのある金髪を照らし出す。それに触れようとミュラーが手を伸ばしたとき、ラインハルトはこちらへ向き直った。その手をさらりとかわす。
「おはよう、ラインハルト。」
「金は?」
「え?」
「報酬は?」
差し出された手が、眩しいほどに白い。ミュラーの口元が引き締まって寒気が走る。ラインハルトの顔には、笑顔も怒りも何もなかった。
「そこの引き出し…そこから好きなだけとればいいよ。」
視線でそれを示すと、少年は布団から降りた。白い肌に何も身につけていない姿で、彼は部屋の端にある小さい机の前にたった。ここか?と彼が小首をかしげて右の引き出しを指し示す。
「そう、そこの一番上だよ。布袋があるだろう?」
頷いて、金髪が揺れた。ミュラーはじっとその背中を見ていた。綺麗な肌だと、思う。その手が、袋を開いて中を覗き込んでいた。中には金貨が詰まっているはずだ。
ラインハルトは三枚、それをとった。
「それだけでいいの?」
「十分だ。服は…」
「服はそこのクローゼッ…」
彼が言い終わる前にラインハルトは机の横にあるクローゼットを開いた。中にある、高級そうなスーツをラインハルトは掴んで後ろへ放り投げる。奥から自分が来るときに着てきた服を取り出した。大きな布一枚で出来たコートを羽織って振り返る。
「それも報酬のうちだったのに…」
ミュラーが言う。ラインハルトは床に散らばったスーツに目をやり、しばらく何か考えた後、さいきど開いた机の引き出しをまた開いた。金貨を一枚つまみ上げる。
「金しかいらぬ。」
「……そうだね、ごめんね。」
「じゃあ。」
踵を返した少年にミュラーは慌てて声をかける。起き上がってそばにあったガウンを羽織る。
「も、もう行くのかい?せっかくなら朝食でも…」
声をかけられた少年がドアノブに手をかけたまま、振り返らずに言う。
「いらぬ。」
冷たい声がドアに反射して戻ってくる。ミュラーは手を伸ばした。目の前にある金色のクセ毛を指先で弄ぶ。愛おしさがこみ上げてきて、その小さい身体を抱きすくめようと動きかけたとき、少年は再び口を開いた。
「触るな。」
「ッ…ラインハルト…」
「報酬分働いた。これ以上働くつもりはない。」
「……。」
ミュラーがそっと手を引く。ラインハルトはドアをあけた。何も言わずに廊下を歩く。ミュラーは、部屋から動けなかった。階段を下りていく素足の足音を聞きながら、ただ呆然と立ち尽くすばかりだった。
それからミュラーは、しばらくその少年と会う機会に恵まれなかった。何気なく彼のいた道を通ったり、彼と会った市場へ出向いたりもしてみたが生憎ミュラーにも仕事があるから探し回ることは出来なかったし、それ以前にミュラーにそこまで徹底する気がなかった。本当に会いたいならば会えたのだろうが、彼はあえてそうはしなかった。
あの夜から三日後に、ミュラーは両親を連れて先祖の墓地へと行った。ミュラーはある一つの墓地を見てふと足をとめた。
墓地の入り口付近に並んだ、不ぞろいの苔むした岩の中で、一際目を引く立派な墓石があった。最近作りられたのだろうか、周りにはたくさんの、真っ白い花がそなえられていた。
それから一ヶ月、ミュラーは海外へ仕事に行き、久しぶりにその街へ帰るころにはすでに街の雪は溶けていた。帰ってくるとやはり故郷が一番いいと思う。彼は馬車に乗り、街頭の灯った道を中から眺めた。
その道は彼とラインハルトが出会った道。ミュラーは、あの金色の少年を探した。そして、それはすぐに見つかった。
ラインハルトは、あの薄汚れた布をもうまとってはいなかった。白いシャツに、長いズボンをはいている。けぶるような金色は以前よりも伸ばされて、水色の紐でゆるく纏められていた先が波打って背中に流れていた。
そして彼の傍らに、背の高い男性が立っている。全身を光沢のある黒で固めた男は、ラインハルトの頭をそっとなで、わずかに膝をかがめて顔を覗き込む。二人はそれから二言三言言葉を交わしてから、黒塗りの豪奢な馬車に乗り込んでいった。豪奢な馬車、あれは一般人に手に入るようなものではないことは、商売人であるミュラーにはよくわかった。あんな馬車に乗れるのは、せいぜい貴族くらいのものだ。金色の少年の後ろ姿を覆うように黒い男が立ちはだかり、重たそうなドアを、従者が閉めた。
そしてそれが、ミュラーがラインハルトを見た最後の瞬間となった。