その後走って帰ったラインハルトの後姿を思って一週間が過ぎた。石畳の上を雪が積もっている。
出張から帰ってきた彼は、同じ道を歩いた。途中女に何度も誘われるのを苦笑でかわして、目で探すのはあの金色の髪を持った少年だった。
ラインハルトはすぐには見つからなかった。土色のフードを深くかぶって大きな籠を持っていたため、そのけぶるほどの金糸が遠目に全く見えなかったのだ。ミュラーは彼の目の前に立って、そのフードを覗き込んだ。
「こんばんは。」
驚いたように顔をあげるラインハルト。こんな風で、本当に売る気があるのかとミュラーは疑いたくなった。
籠の中には溢れそうなほどのマッチ。
「あ…えっと…」
「ミュラー。」
「ああ、そう、ミュラー!」
ラインハルトは笑ってすまぬな、と言う。かまわないよと優しい笑顔のミュラーに、ラインハルトは目深に被ったフードを脱いだ。
暗い道を照らす街灯の下ではあまりにももったいなほどの光を放つ金色の髪。ちらつき始めた雪のように白い肌は寒さのせいか頬だけを桃色に染めていた。
「今日はマッチを貰おうと思って。」
丁度切らしたんだと下手な嘘。ラインハルトはしかし気がつかない。
まさか、街頭でマッチを売っている彼に会いに来ただなんて。
ラインハルトは笑ってそれに答えたが笑い方が不自然に見えたのは寒さのせいだろう。季節はもうすっかり冬だと言うのに彼の身に着けているものは時期はずれも甚だしい。風が吹くたびにひらひらと裾がはためくほどの軽い素材の布切れを身にまとって、にょきっと生えた2本の脚の白さがちらちらとミュラーの瞳写る。
見れば、ラインハルトは靴をはいていなかった。
五つ並んだ小さい指先が腫れて、小指は既に変色している。
「…ラー?ミュラー!!」
「あ、ご、ごめん…」
呼びかけにやっと気づいて彼は顔をあげた。不満顔のラインハルト。膨らませた頬が火照って赤い。
「いくつ買うのと聞いているのに…」
「あ、えっと………そうだな…」
ミュラーはその顔を視界にいれつつ籠の中を見た。その籠の中のマッチ、全部頂くよ。などというキザなセリフを胸中で呟いて頭をふる。似合わないだろうと、苦笑いを浮かべながら、控えめに「じゃあ半分…」の言葉。
ラインハルトは小首をかしげる。
「半分?」
「その籠のマッチ、半分くれるかな?」
「え、半分も!?」
「ダメだった?」
「あ、いや……必要なのなら別に良い…」
彼は真面目に答えて、マッチを数えだした。ひぃ、ふぅ、みぃ、と数える指先が震えている。
何時間くらい立っていたのだろう、とミュラーは目の前の少年を思った。その当の少年はぶつぶつとマッチを数えて、すぐに飽きたらしい。顔を上げて、
「半分と言われても困る。」
「じゃあ適当にこのかばんにいれてくれる?支払いはこれくらいで…」
ミュラーはサイフから数枚の札を抜くと、震えるラインハルトの小さい手に握らせた。ラインハルトが手をひらいて中の札を見る。見て、その透明なビー玉のような目をまんまるに見開いた。
「え、こ、これ……」
「足りない?」
「これじゃあ……この籠のマッチ全部でも足りないくらいの金額になる…」
困ったように言う彼にミュラーは笑った。じゃあ全部貰おうかな、と言うと、ラインハルトははじめてミュラーにありがとう、と笑った。
手ぶらになったラインハルトにこれからどうするの?と聞けば、家に帰るという。
「家には誰か…家族がいるの?」
ミュラーの方は見ずにラインハルトは俯いて首を振った。
「姉がいたがもう嫁いでしまった…」
「そう…」
ミュラーは、このまま連れて帰りたいと思ったが、無理やり連れて行けば誘拐になるし、だからと言って何を口実にすればいいのかわからなかった。
彼が思案を巡らせていると、ラインハルトがくしゃみをした。両腕で自らの身体をかき抱いて、鼻水を垂らしていた。
「私はもう帰ろうと思う…」
震えるラインハルトは言ったがミュラーは正直別れたくなかった。もっとゆっくり話がしたい。もっとずっと、その顔を見ていたいと思った。
「あの、ラインハルト…」
行きかける少年の腕を掴んでミュラーが言うと、ラインハルトは振り返って首をかしげた。蒼い瞳は真っ直ぐにミュラーを射抜く。ミュラーは、自分が年上であるにも関わらず萎縮せずにはおれなかった。
彼の瞳には魔力がある。ミュラーは感じた。この瞳には、何か力が存在している。
「何?」
何も言わないミュラーにしびれを切らしたラインハルトが、形のいい眉を少しだけ吊り上げて問うた。
ミュラーが焦って咄嗟に言葉を発する。視界に入ったラインハルトの足先を見て、
「あ、あの……君は靴をはいていないね。」
「……靴を買う前に買わねばならぬものがたくさんあるからな。」
「でも寒くないかい?路上は雪に埋もれているし、ガラス片とかも落ちているだろうし…」
年に似合わぬ彼の行動に、ラインハルトは真正面から向き合った。嘆息して、
「何が言いたい?」
「つまりその……靴を買ってあげようかなと、」
「……。」
「思って……。」
ミュラーの言葉は自身なさげにフェードアウトして雪に溶けた。ラインハルトの顔がみるみる不機嫌に変わっていくのが見て取れたのだ。
ラインハルトは、彼の言葉にこめかみをひくつかせた。瞳をすうっと細めて、その蒼氷色で相手を捕らえる。全身の機能全てで相手を睨んでいるような顔をして、その顔のままラインハルトは素早く右手を振り上げた。
ぱんッ!!!
派手な音が夜の街に響く。
頬に平手打ちを食らったミュラーに、放った本人は怒鳴った。
「俺は物乞いではないッ!他人に物をめぐんでもらうほど落ちぶれたつもりもない!!」
月夜に響く声は澄んでいたが、激情の声音を帯びて通行人をことごとく振り返らせた。
ラインハルトは奥歯をかみ締めたまま、ミュラーを置いて走り出した。
ミュラーは、何をすることもできずにいた。