「アル!今日ってさ、節分…」
「豆なら買ってきたよ兄さん。」
大学から帰ってきたエドワードを弟の笑顔が出迎えた。リビングでノートパソコンを開いていたアルフォンスはすぐに視線を画面に戻す。かたかたと弟の叩くキーボードの音を聞きながら、エドワードは背中に担いだ大きな鞄をその場に下ろした。
「さっすが俺の弟!おめんは!?鬼のおめん!」
「台所。」
言われて台所へ走ったエドワードは、いかつい表情の赤い面を見つけると嬉しそうに手にとった。厚紙で出来ただけのお面、多分豆を買ったときにおまけでついてきたものなのだろう。エドワードは両サイドについた輪ゴムを耳にかけてさっそく装着する。パソコンを叩いていたアルフォンスがその姿を視界の端に見止めて嘆息した。少し呆れたような表情を浮かべている。エドワードは弟のそんな表情を気にした風も無く、といよりも全く気づいていない様子でそのまま隣までかけよると顔を覗き込ませた。
「じゃあ豆まきしようぜ!豆まき!」
アルフォンスの視界を遮るように目の前に現れた金髪の赤鬼に、アルフォンスは眉をよせた。仕方なく手をとめて、
「もうやるの?夜でいいじゃない。」
どいてよ。と付け加える。エドワードは困ったように頭を引っ込める。少し俯いて、
「夜はあの……俺…でか…」
「出かけるの?」
「え、あ、ごめ…」
「別に謝ることじゃないけどさ。で、誰んとこ?」
全て言い終わらない内に返答されて、エドワードは沈黙してしまった。静かになったリビングに、アルフォンスの叩くキーボードの音だけが響いて数秒。再度、同じ質問をアルフォンスがすると、エドワードは小声で、
「マスタング…」
「節分デート?」
「いや、そんなんじゃねぇけど……」
「ふーん…まぁいいけど。」
アルフォンスは言い終わると、かたんとノートを閉じた。首をかしげるエドワードにアルフォンスは向き直る。
「やるんでしょ?豆まき。」
にっこり笑う弟。その笑顔が、兄から見ればどんなに美しく愛おしく見えただろう。
アルフォンスの胸のうちなど知りもしない兄は、その笑顔と言葉に喜んで嬉しそうに弟の名前を呟いた。
「じゃあ兄さんが鬼ね。」
お面をつけている兄に向かって弟はお得意の優しい微笑み、心に何を思っているかなんて欠片も見せずに買ってきた大豆を枡に移す。エドワードは楽しそうだ。本当に、何もわかっていない。
廊下の向こうに一度消えて、エドワードはリビングへ現れた。気分は赤鬼。両手をあげて、片手には金棒のつもりかおたまを握っている。
「鬼だぞお恐いぞぉ!がおー!」
全く恐さを感じないアルフォンスはそんな兄を見て苦笑い。枡の豆をにぎって鬼は外、と言いながら兄に豆を浴びせる。浴びせながらアルフォンスは少しずつ後退した。何も考えずに追いかけてくる赤鬼。
そして豆を巻きながら赤鬼が最終的に辿り着いたのは、アルフォンスの部屋だった。
「追い詰めたぜ!ぐへへへー!」
変な声色を作りながらおたまを高く掲げるエドワード。ひゃあ恐い、とかなんとか言いながらアルフォンスはエドワードを部屋の奥におびき寄せると自分は素早くドアの側へ。そして、
がちゃり。
「へ…?」
鍵をかけてしまった。
赤鬼は両手を上げたまま、固まっている。
アルフォンスはにっこり笑った。
「鬼は悪さをしないように、閉じ込めておかなきゃね。」
銀色の鍵を指先で回しながら言う弟を見ながら、お面の下で兄は眼を丸くした。
「あ、アル…?」
「ふふ、間抜けな赤鬼だなぁ。」
アルフォンスは笑って、未だにわけのわかっていない兄を壁に押し付けた。鬼の面をそっととると、予想していた通りの、金色の大きな瞳とあんぐり開きっぱなしの口があった。アルフォンスは馬鹿だなぁと喉の奥で呟くと、その頬にキスをした。軟らかい肌の感触を唇から感じながら、アルフォンスは少し顔をずらすと兄の耳にふっと息を吹きかけた。弾けたように驚く兄の腕を掴んで、アルフォンスは唇を歪ませた。
「でもとっても可愛い。」
舌を伸ばして、露出した白い耳を嘗め回す。エドワードは眉を寄せて、唇を噛む。
「あ、アル……だめだって今日は…」
「やだよ。」
「今日は、ダメだってば…!」
アルフォンスは気にせず、今度はエドワードの首筋に舌を這わせた。片腕の自由を奪われているエドワードは、空いた手でアルフォンスの頭に触れるが、その髪を掴みあげることも、身体を押し返すことも出来ずにいた。弟のされるがまま、いつもそう。彼は、つくづく血を分けた弟に弱い。
それを、一番よくわかっているのは、アルフォンスだ。実のところ兄は、一番わかっていない。
「マスタングさんと会うからでしょ?わかってるよそんなこと…」
アルフォンスが呟く。呟きながら、その手をエドワードのニットの下に差し込む。冷たい掌に触れられて弄られて、エドワードは身体を強張らせた。
「だ、だったらなんで…」
「だからこそだよ。わかってないな兄さんは。」
だからこそだよ。同じことを呟いて、アルフォンスはエドワードの唇にキスをした。
汗をかいた下着を新しいものに取り替える兄を、アルフォンスは脱衣所の入り口でじっと見ていた。口元には笑み。
「結局お前、何がしたかったの?」
視線を感じた兄は、鏡越しにアルフォンスを見る。すでに服を着ているアルフォンスは腕を前で組んいたが、兄に睨まれて肩をすくめてみせた。
「さぁ何だろう?セックス?」
「……。」
軽い弟の返答にエドワードは唇をとがらせて眼光を鋭くする。アルフォンスは誤魔化すように明後日の方向へ視線を向けた。ぺろりと舌をだすアルフォンスを見ているともう叱る気も失せてしまうあたり、自分はダメな兄だとつくづく思う。そして改善の余地はない。
「嫉妬かなって、一瞬思ったんだけど。」
エドワードは黒いハイネックセーターを頭からかぶりながら言う。くぐもった言葉でも、アルフォンスの耳にはちゃんと正確に言葉が伝わる。
「嫉妬?ボクが?」
「マスタングに。」
「ありえない!」
大きな声で否定して、アルフォンスは声を出して笑った。ありえないよ、と何度も繰り返しながら、背中をまるめる弟を、兄はやっぱり唇を尖らせて見ている。
アルフォンスは、マスタングに嫉妬というものを覚えたことがなかった。エドワードはマスタングを愛しているし、マスタングもそうなのだろう。事実を否定することは愚かしい。アルフォンスは合理主義者だった。
それに、アルフォンスはエドワードに愛されている自信があった。
どんなにわがままを言っても、どんなに束縛しても、兄は全て受け入れてくれる。そして結局最後は自分のもとに帰って来る。だから、行かせる。自由にさせてやる。それは兄の権利だ。だから許す。
アルフォンスはただただ兄にのみ興味があった。兄に愛されて、兄を愛することが出来ればそれでいい。今日は少し、彼の困った顔が見たかっただけ、アルフォンスに言わせて見れば、それが結局やりたかったこと≠ネのだ。
しかし、恋愛だのなんだのに疎いエドワードが、そんな弟の想いなどがわかるはずもない。ただただ、首を傾げるばかり。
「だって…だったらなんで…」
「ほら、そんなことよりさ、兄さん急いだほうがいいんじゃない?待ち合わせ時間やばいんじゃない?」
「誰のせいだよ!」
兄は叫びながら顔に冷水を浴びせた。遠くで、エドワードのケータイの鳴る音が聞こえてくる。アルフォンスは音のほうへ首をめぐらせた。
「兄さん、マスタングさんから電話だよ。」
「ああーもうわかってらぁ!!」
「出ないでいいの?」
「いいよ、どうせそのうち家まで迎えに来るだろうから…」
エドワードは口ではそう言いながらも、今まさに結っている三つ編みは普段よりも乱雑でそれがさらに彼を苛立たせていた。オレンジ色の照明に照らされた兄の金髪を見るのが、アルフォンスは好きだった。だから、脱衣所にいる兄をわざわざ見に来たのだ。この色を見るために。アルフォンスは微笑んだ。兄に近付くと、そっとその手を包む。
「ボクがやったげるよ。」
「……うん。」
素直に手をどける兄。髪留めを解いて、アルフォンスは櫛で髪を梳く。綺麗な色、アルフォンスは唇を落とした。その髪に、愛しさは増すばかり。
「ねぇ兄さん。」
「ん?」
「好きだよ。」
「……うん。」
俺もだよ。と小声で言う兄に、アルフォンスは笑って頷いた。