然りげ無い、動作だった。
奴の手が、俺の肩に触れて道の端っこに押し込められた。ただそれだけ。
駅まで、なぜだか一緒に歩くことになって、道路と歩道の隔たりの無い狭い道を歩いていた時だった。それはよく、男性が女性にしてあげるような簡単な行為だった。後ろから車が来て、車道側を歩いていた俺の体をやんわりと包むようにして自分が変わりに車道側へ。たいした事じゃないと思う。俺だって、きっとそれくらい出来る。(やったことないけど)
けれど、俺はなんだか強烈に意識してしてしまった。その大きな男の手は、一瞬で俺の肩を放したけれど、その感触は俺が列車に乗って眠りに落ちるまでずっと、肩の上にのしかかっていた。
俺と奴の付き合いはもうどれくらいになるだろう。あの日、イーストシティを離れてから、俺はなぜだかよくあいつのことを考えた。本を読んでも、飯を食っても、シャワーを浴びていても、考えた。考えて考えて考え抜いた結果、たどりついた答えに俺は驚愕した。
俺、あいつのこと好きかもしんねぇ。
(ありえねぇー…)
冷たい水を頭からかぶりながら、俺はうな垂れた。でも、好きかも、と思えば思うほどそんな気がしてくるから言葉って恐い。これを声に出して誰かに言ったら、きっとほんとに好きになっちまう。
俺は、濡れた前髪を後ろになでつけて頬を叩いた。
「ありえねぇ…」
そういえばあいつは、どうなんだろう?
俺はしだいに、そういう一人ではどうしようもない、考えても無駄なことを考えるようになってしまった。重症だ。あいつは俺のことどう思ってるんだろう。俺は、あいつの行動を思い浮かべるようになった。
司令部に入ると、仕事なんかしないで居眠りぶっこいてるか、笑って座っているかのどちらかだ。まず、俺と目が合うと笑顔を作る。それから俺の二つ名を呼ぶ。皮肉を言う。アルフォンスと挨拶をする。中尉にコーヒーを頼む。それからまた俺にちょっかいをかけてくる。
報告書を出せばいちいちつっかかってくる。身長のことでからかわれる。たまにはお茶をしないか、とか言われる。断ると深追いはしてこない。それから、最近の調子を熱心に聴いてくる。俺の噂をまた聞いたといってからかう。俺が怒ると、嬉しそうに笑う。
あれ、大佐って俺としゃべるときいつも笑ってないか?っていうか俺見た瞬間、幸せ見つけました的な顔してない?
っていうか大佐って俺に気があるんじゃね!?
どこまでも重症な俺をさめた目で客観視する自分もかろうじて俺の中にはあったから、その確証のない希望的観測を誰かに吐露することは決してありえないことではあった。それでも、誰かに言いたい、誰かに同意してほしいという想いは日に日に強さを増していったのである。
俺は、報告書を脇にかかえ、東方司令部にやってきた。アルフォンスは、なんだかんだと理由をつけて宿に待たせてある。見慣れているはずの司令部が、なんだか別の場所に思えた。
俺は、門をくぐるときやたらと緊張した。廊下を歩くときも、必要以上にあちこちに視線を送った。東方司令部、ここはあいつの職場である。そんなに警戒しなくとも、あいつは自分のデスクから動くことなんて滅多のにないのに、俺は、どこからあいつが飛び出してくるか、いきなりであったらどう対処しよう、などというどうでもいい心構えをして普段よりも挙動不審気味で司令室にたどり着いた。
こんこん。
ノックの音を自分の耳で確認して、ドアノブを握る。一瞬の躊躇、すぐに振り払ってドアノブをひねった。
そしてそこには、いつもあるはずの笑顔がなかった。
「あ、あれ…?」
俺は思わず声をあげた。大佐の机の上には、相変わらず書類が山積みになっていた。部屋には大佐どころか誰もいない。俺は、なんだか一気に気が抜けた。取り落としそうになる報告書をもう一度抱えなおして、なんだよーと落胆の声をあげる。もちろん、反応してくれる人なんかいなくて、俺は仕方なく大佐の机に近寄った。なんか面白い書類でもないかなと、一番上にある書類に手を伸ばした瞬間。
「ぎゃっ!!」
俺は低い声で叫んだ。書類に三方向を囲まれた形で、机の中央に突っ伏している黒い頭。それはまぎれもなく大佐の後頭部だった。
「……ンだよ、いたのかよ…」
脱力。それから、俺は自分が叫んでしまったことを思い出して少し焦った。誰か心配して来るかも…そう思ってみたが、どうやらそういう気配はない。なんて平和な軍司令部なんだここは。
「っつか、お前起きろよな。」
俺は大佐の髪の毛にそっと触れてみた。そういえば、大佐の髪にこんなふうに触れたことなんてないなぁと思うと、なんだかものすごくいけないことをしているような気がしてどきどきした。指先から汗がにじんでくる様な気がする。大佐の髪は、俺のよりも細くてやわらかかった。女の髪みたいだ。女の髪なんてしらねぇけど。
「おら、そんな体勢だったら窒息すっぞー?」
報告書を書類の上において、俺はしゃがんだ。髪をそっと払うと、白い肌と、鼻と片目、唇が見えた。大佐の寝顔なんて珍しいものではないけれど、こんなに至近距離で見たことなんて一度もない。
「まつげ長ッ」
俺は呟きながら、指の腹でそっと、瞼を撫でてみた。俺は、そぉっとやるとか、静かにやるとか、そういうことは至極苦手な性質で。でも、瞼の上の皮膚はものすごく薄いからそっとさわんないと起きるってことはわかっていて、俺の指先は軽く震えていた。長い睫い触れると、大佐の瞼がぴくぴく痙攣して、俺は慌てて手をひっこめたが、彼は起きなかった。すぅすぅと規則正しく寝息をたてている。
「…かわいい…」
胸のうちで思ったことを、俺は唇からこぼした。と、大佐が眉間に皺をよせた。やばい、と思った時にはもう遅くて、大佐は目をうっすらと開いた。黒い瞳には、すぐに意識が宿った。少しだけ寝起きのかすれた声で、
「鋼のじゃないか。」
久しぶりに聞く大佐の声に、俺は過剰に反応した。体が不自然に熱を帯びていって、俺は焦った。声だけでも、と俺は平静を装って返答する。
「お、おう…」
「久しぶりだな、元気にしていた?」
「う、ん。」
「なんだ、この前見たときよりも小さくなったんじゃないか?」
「なッ…」
しゃがんでいた俺は立ち上がって叫んだ。
「小さいゆーなっっ!!!」
「ぷっ…」
大佐は一瞬吹きだすと、いきなり声をたてて笑い出した。寝起きのクセに、なんだこいつはと俺はちょっとびっくりした。大佐はしばらく笑い続けて、それから呼吸を整えながら、
「なんだ、しゃがんでいたのか。」
「な!?あ、あたりまえだろあんなに小さいわけねぇだろ!!」
「いやもしかしたらと思って…そしたらいきなり伸びたからびっくり…」
「伸びたんじゃねぇこれが俺の高さだっ!」
「ごめんごめん。」
大佐は目じりの涙をぬぐいながら椅子に深く座りなおした。
「ほら、報告書!」
俺はぶっきらぼうに報告書を渡す。大佐は笑顔のまま、それを受け取る。ありがとう、と言われて俺は頷きながら手近にある椅子に逆さ向きに座った。
「起こしてくれればよかったのに。」
報告書をチェックしながら大佐が言う。俺は、あーと呻いて頭をかいた。答えが見つからない。大佐はしばらく報告書を無言で読んで、もう一度同じ質問をしてきた。俺は、
「だって……」
言葉に詰まって俺は大佐をみた。大佐は笑顔のまま、首をかしげた。
「だって?」
「めんどくさかったんだよ!」
俺は適当に言った。大佐は、人の悪い笑みを浮かべながら、
「……しゃがみこんでじっと見てたクセに?」
「なっ……!!!」
「冗談だよ。」
大佐は笑ってすぐにそう言葉を繋いだ。俺は、なんとなく負けてしまったような気がして悔しかった。悔しかったけど、今日はなんだか大佐に勝てる気がしなかった。そんな俺の気を知ってか知らずか、大佐はどこか余裕の笑みを浮かべて、唐突に話題を変えた。
「お茶でも、どうかね。」
「へ?」
「午後から市中の巡察に行かなくてはならなくてね。巡察だけじゃ退屈だし、一緒にお茶でも。」
「サボりじゃねぇか。」
「違うよ、鋼の。サボりじゃなくてデートだ。」
「テラキモス!ちょっとこいつテラキモス!!」
「ははは、鋼の、公用語は正しく使用しなさい。」
俺は少し考えた。けれど、結論はもう出ている。俺は、考えるフリをしただけだった。
「いいぜ。付き合ってやるよ、市中巡察。」
俺は立ち上がった。喜べ、と言うと、大佐は嬉しそうに笑った。
俺は、大佐が喜んでいると思うと、なんだか嬉しかった。
大佐としゃべるのは、すごく楽しいって事に俺は気づいた。まず第一に気が楽だ。変な気負いをしなくていいし、どんな話題をしても(どれほどマニアックな錬金術の話題であっても)大丈夫だし。俺は、ますます大佐が好きになったし、大佐も絶対俺のこと好きだと思った。大佐が俺を見る目つきとか、さりげなく車からかばう仕草とか(別にかばってくんなくても大丈夫だけど)これは絶対愛だ、愛に違いない、愛以外にありえない!
「私は、一度司令部に帰らないといけないから。」
そう言って司令部に戻る途中、俺はうんと頷きながらずっと大佐の横顔を見ていた。綺麗な顔してんなーと思いながら。大佐は不意に口元を緩めると、
「こら。」
「へ?」
「そんなに見つめられたら、いくら私でも照れるよ鋼の。」
「あほみたいな顔してんなーって思って。」
「好きなくせに。」
「願い下げ!」
「あははは」
また笑った。大佐は、よく笑う。俺は、もともとあまり笑わない。そのうちに司令部のある、大きな道に出た。宿は司令部よりももっと向こうにあったから、自然、大佐を送っていく形になった。
「いつまで滞在するつもりなの?」
「わかんねぇ…なんか情報あったらすぐに出るつもりだけど。」
「また、司令部に顔を出すといいよ。アルフォンス君も。君たちがくると部下が喜ぶ。」
「おう。」
「あ、明日は必ず来たまえよ。報告書のダメ出しがあるかもしれないからね。」
「俺の報告書は完璧だっつの!」
俺は笑って手を振った。じゃあな、大佐。また明日な。大佐も笑顔で手をふった。
俺は、とてつもなく幸せな気分に浸っていた。