「予は愛されてないかも知れない」

と彼がその端正な横顔を曇らせて呟いたのは、女性の集まる繁華街、お洒落な服飾店が嫌という程詰まったショッピングスポットの一角の割と大きめの雑貨店。
ラインハルトは店に入るなり香水のサンプルの置かれたショーウインドーの前に直行し、手始めに手元のテスターを片っ端から匂っていった後、無言になる事既に十数分。
その悲痛な台詞が飛び出したのは、いい加減他の女性客の視線が耐え難くなったエドワードが、自分の世界に没頭し香水を通り越して遠い世界を見ているラインハルトに見切りを付けて、一本奥の筋に入ったところにパフェ屋を発見、意気揚々と凱旋してきたときだった。


――来月に迫る恋人オスカーフォンロイエンタールの誕生日プレゼントを今から下見に梅田に行く、と寝ていたところを突然呼び出され、いつも通り髪もぼさぼさのジャージ姿、護衛の運転するリムジンに乗せられ、まさかこんな車で行くつもりじゃねぇだろうなぁ!?とエドワード、何か不都合があるのか?と小首をかしげるラインハルトの、本気で分からない様子に眠気も一気に吹っ飛ぶ気苦労性の16歳、世間知らずな自分より5つも6つも年上の青年をとりあえず馬鹿長いリムジンから引き摺り下ろして、護衛の抗議も無視して電車に乗せる。
電車の中で作戦会議、何を買うつもりなのかと尋ねると、きっぱりと何も考えていないという心強い返答。
想像も付かないのだ、エドワードはどんな物が良いと思う?と本気でエドワードを頼ってくるラインハルト、とてもじゃないがこの超・お金持ち天才青年実業家の年収(多分年収どころか月収も)の方がエドワードには想像が付かないから、プレゼントと言われてもまず予算が判らない。俺は今年チロルチョコあげたけど、なんて気軽に言ったが最後、ラインハルトが本当にチロルチョコをプレゼントにしてしまいそうで怖い。
さすがのエドワードも、彼の年収と、それから彼の恋人のプライドの高さとかから考えて、それはまずい事くらい判る。(ちなみに、誕生日にチロルチョコを手渡されたロイマスタングは、一瞬固まった後感極まってエドワードに抱きついて喜んだから、エドワードはそのプレゼントチョイスは適切だったと自負している。それを聞いたアルフォンスは微妙な顔をしていたけれど)

考え抜いた末、エドワードとラインハルトはアルフォンスに相談しようという結論に到った。ロイエンタールに一番歳が近く、経験もそこそこ積んでいそうなロイマスタングに相談する手もないではなかったが、あいつは趣味が悪いから、と言うエドワードの一声でアルフォンスが相談役として選出された。
多分朝練からもう帰ってる時間だから、とエドワードは時計を見て携帯を取りだし、数回のコールの後電話は無事つながった。
「もしもし、アルフォンス、俺だけど」
『どうしたの兄さん、なんか忘れ物した?』
「じゃ、なくて、えーと…」
『なに?』
「あー……もう、ラインハルト、自分で言えよ!」
「え、予が?」
『ラインハルトさんと一緒なの?もう、もしかして兄さん、またジャージで外歩いてるんじゃないよね?ジャージじゃラインハルトさんが行くようなレストラン、入れてもらえないよ?』
「……も、もしもし」
『あ、ラインハルトさん?兄さんがいつもすみません』
説教口調になったアルフォンスの声が通話口から聞こえてくるのをエドワードは嫌って、携帯電話をラインハルトに押しつける。ラインハルトとエドワードが喋るときは、自然ラインハルトが少し屈む形になっているから(それがエドワードにはとても気に食わないのだけれど)、携帯電話の受け渡しは割とスムーズに行われた。
ぶつぶつと2人の会話は割と長引いて、エドワードが売店でオレンジジュースを買ってきてそれを飲み干すまで続いた。
「決まった?」
電話は苦手なのか、ふぅと息をついて携帯電話を返すラインハルトに、エドワードは尋ねる。
「無難なところで香水はどうか?と言われた…んだが」
困った、という感情が、ありありと見て取れた。
「予は香水は全く判らないのだが…」
「俺もわかんねぇよ」
と言いつつ途方に暮れた男2人、大体どこに香水売り場があるんだろう?と至極もっともなラインハルトの問いに、エドワードは昔、幼なじみの少女に一度だけ買い物に付き合わされた事を思い出した。
「女ばっかの所なんだけど、良い?」
「……やむを得まい」
女性の集まる店に行くのは辛いが、だからといってこの人の波の中を香水を探して闇雲に進む気には到底なれず、ラインハルトは甘んじてその提案を受けた。


それが発端。
今ラインハルトとエドワードは、ロイエンタールのためのプレゼントをした見に来たはずなのだが、ラインハルトの口から出たのは、愛されていないかも知れないという不穏な台詞。ただでさえ目立つ容姿のラインハルト(エドワードもその愛らしい顔立ちとか、大きな金色の瞳とか、目立つ要素は持っているのだが本人にその自覚はない)が、そんなドラマを感じさせるような事を言うものだから、周りの好奇の視線が一層強くなる――エドワードは頭を抱えた。
「ってかロイエンタールさんとラブラブなんじゃねぇの?」
「何を根拠に」
「なにって…」
一ヶ月以上も前から誕生日プレゼントの下見に来るのは根拠にはならないのか、とエドワードは元々大きい瞳を、零れそうなくらい目一杯まで開いた。自分がロイマスタングにプレゼントを渡すときの事を考える。下見なんかした事はないし、そもそもまともなプレゼントをした事があるのかと言われると、胸を張ってうんとは言えない位なのに。
「好きだからプレゼント選んでるんだろ?普段あの人何使ってんの?」
「……わからぬ。エドワードは恋人がどんな香水を使っているのか知ってるのか?」
「…………う?」
急に振られて、エドワードは首をかしげる。そういえば何を使って居るんだろう、知覚にいるときとか仄かに匂うのは知って居るけれど。匂う――頭を撫でられたときとか、後ろから抱きしめられてうなじに顔を埋められたときとか、首筋を舐められているときとか、上目遣いで見上げるとロイが少し眉を寄せて、少し開いた唇から息が漏れて、エドワードが自分を見ているのに気が付いて、そして愛おしそうに微笑んで、それから顔が近づいてきて、キスをしたときとか――
「エドワード?」
「……今のなし」
「何の話だ?」
「なんでもない」
俺は今何を考えたんだ!とはエドワードの心の叫び。まさか心の中を読まれちゃいないかと不必要な心配をしてラインハルトの顔色を窺う。
「ん?」
「なんでもない…」
表情の変わらないラインハルトに安堵、しかしその直後、そう言えばちょっと前に、思った事が全部外にばれている男のドラマがあった事を思い出してぞっとする。……自分でもこんな不安、無意味な事だとは判っているけれども。

結局、エドワードが恐れているのは、自分がそんな卑猥な事を想像したという事実以上に、ロイマスタングとのそんな関係がばれるであって、そこがラインハルトとの決定的な違いだと――エドワードは自覚している。誕生日にチロルチョコを上げてみたり、デートの日にわざと色気のないジャージ姿で行ってみたり(ジャージは趣味だという話もあるが)、わざと冷たくロイに当たってみたり――それらの天の邪鬼な行動の根本には、自分がロイマスタングより一回りも年下で貧弱で生意気なガキで、とてもじゃないがロイマスタングに自分は釣り合わないんじゃないかという埋めようのないコンプレックスがある。
(アルフォンスも、そしてラインハルトもエドワードとロイの関係には気付いているから、隠しているつもりなのはエドワード1人なのだが)
エドワードは、こんな風に堂々とロイエンタールの誕生日プレゼント選びと公言できるラインハルトがとても羨ましいし、とても2人はお似合いだと思う。

だから、エドワードはラインハルトの台詞にとても驚いて――まさかそんな懸念を抱いているなんて。

「訳のわからんやつだな」
「ロイの香水は良いの!ロイエンタールさんの探しに来たんだろ」
「ロイロイ言ってると訳がわからんくなる…」
「オスカーって呼べ!」
あくまでマイペースなラインハルトに、しびれを切らせて叫んだ後、我に返って声を落とした。
「……わかんないならさ、テスター片っ端から嗅いで、ラインハルトが好きなのあげればいいじゃん」
「どうせ予があげたって、あいつは毎日違う匂いをさせて帰って来るに決まってる」
「……何それ」
「今、この一列テスター嗅いだんだが」
「うん」
「ロイエンタールから匂った事があるのが2、3あった。あいつ、香水はずっと同じのを使っているはずなのに」
「わわわわわ、気のせいだって」
俯いたままのラインハルトが、泣いていたらどうしようと一瞬エドワードは焦ったが、顔をあげた彼は想像とは違った表情で――つまりは怒っていた。
「エドワード、行くぞ」
「行くってどこに」
「飲みに」
「真っ昼間から!?てか俺未成年なんだけど」
「そんなこと気にするな。もう腹が立ったから、プレゼントなんて買わん。予算分飲んでやる」
「えー!?」
あまりにも突飛すぎ、それはちょっと果断しすぎだろうと驚くエドワードを置いて、ラインハルトはすたすたと外に。


……結局、普段ラインハルトが行きつけの店は辛うじて開店していたものの、エドワードのジャージ姿にやんわりと入店を断られ、仕方なくふらりと入った居酒屋で11時過ぎまで飲んだ後(エドワードはジュース)、買い物にしてはあまりに遅い2人の帰りを心配して迎えに来た黒髪2人に、こっぴどく説教を喰らったのは言うまでもなく。

「ラインハルトさま」
「……なんだ頭が痛いんだ耳元でしゃべるな」
「飲みすぎです。帰りますよ」
「…………むぅ」
肩を抱かれて歩いていくラインハルトとロイエンタールの背中を見ながら、やっぱり愛されてなくないよなぁ、とエドワードはつぶやく。
「そんなもんだよ。」
と、ロイマスタングは、おかしそうに笑って駐車場のほうを指差した。
「私たちも帰ろうか、アルフォンスがずいぶんご立腹だった」
「………う。」

ロイマスタングが言葉に詰まったエドワードの頭を優しくたたいて、君ももっと愛されていると自覚してほしいんだけどね、と言ったもんだから、車に乗り込むまでの間エドワードはずっと俯いて赤面しっぱなしで、それを見たロイマスタングもおかしそうにずっと笑っていた。