電車を降りた途端にもぁっとした熱気。太陽の色もだいぶオレンジ色に変わってきているのに、コンクリートで覆われたホームは日中溜め込んだ熱を容赦なく放出して昼間と相変わらず、せっかく車内の冷房で冷え始めた身体も元の木阿弥。5分やそこらの乗車では、さすがに弱冷車でなくても熱気を取り去るのは無理らしい、とエドワードは嘆息する。暑さと湿気で自然重くなる足を引きずって改札へ。切符を通して時計を見れば、まだロイとの待ち合わせにはきっかり15分の余裕がある。
完全に手持ち無沙汰、これならもう少し梅田で時間を潰せば良かったと思うものの、約束10分前には待ち合わせ場所に着いておかなければという心構え、妙な所で几帳面なエドワード。しかし夏場にその几帳面さは完全に裏目に出て、改札を出た後でホームのコンビニで屯していれば良かったと気付くも時既に遅し。要領の悪さを呪ってみるが、暑さで頭が回らなかったのだから仕方がない。
「……しまった、向こうの改札から出れば良かった。」
ついいつもの癖で西出口から出てしまって、所在なさに呆然とする。東出口ならドーナツ屋で涼めたのになんたる不覚、だからといって今更そちらに行く気には。
目の前を大きなスポーツバッグを乗った女子高生がきゃあきゃあと通り過ぎる。彼女たちは目の前を通過するときにちらっとエドワードに視線を向けて、金髪だ、綺麗、うらやましぃ、と一通り大きな声で感想を言って、(言葉解るんだよ)と苦々しげなエドワード。彼女らは気にも留めず、何もなかったかのように改札を通っていく。
煙草の煙で駅の改札前はいつも澱んでいる。エドワードの他にも待ち合わせをしていると思しき女性が、吸い殻入れから少し離れたところで携帯をいじりながら煙草の煙を吐き出す。下着が見えそうなくらい短いスカートから、立派な(失礼)太ももをはやした巻き髪の女性が、駅前に溜まっていたホストの1人に腕を絡ませる。エドワードの隣で急に話し声が聞こえて、びくっとそちらを見ると、身なりの良い老年の男性が1人立っていた。
「そうそう、そうだよねぇ、そうなんだよ。暑いからねぇ、喉が渇いてねぇ」
「困るよねぇ、煙たいね、山さんが腰痛めたみたいだよ、大変だねぇ」
話しかけられたかと思ってエドワードの心臓が跳ねたが、それが完全な独り言だと悟るとほっとしてそれから身体の向きを変えた。
暑い暑い暑い。
客引きの声とホストの笑い声と通り過ぎる高校生のしゃべり声と、パチンコ店から人が出てくるたびに大きくなる玉の音が、熱気と混じって絶妙なマーブル色・空気に靄が掛かって、不快感ばかりが鬱積する。カラオケ店の名前がプリントされた丸い内輪を受け取って扇いでも、送られてくる風は微妙に生温い。
「……河川でも行くか」
体感時間よりも時計の針の進みが遅いことにげんなりして、エドワードは携帯を取りだした。この時間なら、まだ河川敷の方がちょっとは涼しくなっているだろう。何より空気が良い。ロイ宛に「河川にいるから」と短いメール。多分今頃運転しているだろうロイが、このメールに気付くのはいつのことか。ロイ曰く、エドワードのメールは「折角絵文字が使えるように同じ機種にしたのに、愛想がなさすぎる」らしいが、元々そんなことには無頓着。大体携帯を持つことすら渋ったのに、そんな自分にそんなことを望まれても。
巫山戯た名前(とエドワードは通る度しみじみ思う)のパチンコ店が立ち並ぶ短い商店街を抜け、信号を渡って高架下に。影になったそこは、一切日光から遮断されて、通り抜けると独特の湿気が身体を包んで心地良い。夕方と言ってもまだまだ陽射しが強い中、予備校の横を通り抜けて、階段を上る。河川敷は夕陽が照りつけてまぶしいものの、風が吹き抜けていくお陰で幾分涼しい。気持ちよさに、ふーと伸びをする。アルフォンスが居たら、日焼け止めを塗っていないことを咎められるだろうが。
コンクリートの上に腰を下ろして、グラウンドをなぜか上半身裸でハイテンションに走り回る大学生や、その隣でバットを振る野球少年、その更に向こうのグラウンドには、部活動らしい高校生がこの暑い中ラグビーをしているのを何の気なしに眺めてる内に、時間は案外はやくすすんでいたらしい。バイブする携帯を見ると、ロイマスタングから着信が。
「もしもし」
『エドワード、河川敷と言われても広いんだが…』
電話越しのロイの声に、顔は見えなくても困った顔が想像できてエドワードは笑った。
笑いを堪えるために息を吸い込んだはずが、彼の気弱な様子がなんだか楽しくて、そのままひっひっと引き笑いになって、腹を抱えて身体を二つに折る。
『エドワード…』
不満そうな彼の声がまたエドワードのツボを突いて、もうどうして良いか解らず笑いの渦に飲み込まれる。
ひとしきり笑い終わった頃には、電話口からは、ロイの不機嫌さを如実に伝える沈黙が。
「ごめんごめん、えとな、橋の所に座ってる」
「……見付けた」
声は、携帯よりも背中から大きく聞こえた。ん?と携帯を耳に当てたまま振り替えると、黒いスーツ姿のロイマスタング。駅前にいた客引きよりもよっぽど格好良いと思って笑うと、ロイは何事かと眉を寄せた。
「君ね…河川と言うから…探したんだよ?携帯にはなかなか出ないし」
「ごめんて、お疲れさん」
機嫌を損ねたらロイの頬に、立ち上がってキスをする。少しびっくりした後、嬉しそうに目を細めた。
ロイの背中越し、堤防の下には彼の車。それをみてエドワードは、あ、と声を上げ。
「車…だったらバイパス?176?俺アルフォンスにみたらし買って帰りたいから駅前寄ってくれない?」
「………ちょっとまて。もう帰るのか?」
「え、家で食事すんだろ?アル3人分用意してくれてるぞ?」
「……………」
今日がロイとの3週間ぶりの逢い引きで、彼がどれだけエドワードと逢いたくて、そして更に言うならば2人きりで居たかったかと言うことはエドワードの頭の中には勿論なく、アルフォンスと3人で仲良くご飯を食べるつもりだったのだから、ロイとしてはやりきれない。
「……ひどい。私は君と会うのを楽しみにしてたのに」
「女々しいなおい…」
ぐすん、とわざとらしく呟いて腕を回すロイに、エドワードがうんざりして言う。そんなエドワードの態度に、彼としてはもう我慢の限界と言ったところ、むっと眉を上げるとエドワードの耳元で宣言する。
「ここでやってやる…!」
「あほか!」
ロイが力を入れるより一瞬早く、エドワードはロイの腕を引きはがした。
当たり前だが堤防沿いにはアパート・マンション・一戸建て、よりによってエドワードの背後には全面ガラス張りのオフィスが広がり、薄暗くなってきた今でも屋内のOLが窓際でコピーを取っているのがはっきりと解る。眼下に広がるグラウンドには、相変わらず白球を追っている小学生や犬の散歩をしているご婦人。ついでに言うならば、十三大橋の通行人や通過していく阪急電車からも丸見えだったりする。こんな所ですればそれこそ、公序良俗違反としょっ引かれても仕方ないのではないだろうか。と、すればロイは言ってみれば歩く猥褻物(でもそこまではさすがにエドワードも言わない)。
「せめてカーセックスで我慢しろ!ここじゃ見られるだろうが…!」
「君、そんなこと言っていざとなったらアルフォンスが待ってるから早く車出せ、とか言うんだろう!?大体高架下に行ったら見えないじゃないか。ほらほら」
エドワードの手を引っ張って連れて行こうとするロイの姿は、まさに人さらい。誰か通報してくれないかとエドワードは辺りを見回すが、生憎こちらに注意を向けてくれている人はいない。
「アホか!ホームレスのおっちゃん共の良い見せもんだろ。くず餅奢ってやるから諦めろ!」
「くず餅なら弟に買ってあげたまえ。この前食べたいと言っていた。」
「うーうーうー」
ばたばたと手を振って抵抗。エドワードとて人の子、彼氏とセックスをしたいという欲求は確かにあるが、それは決して理性を上回っていない。
力の差は圧倒的で、ずるずる引き摺られていくエドワード。嫌がりながらも心の隅で、まぁいいかと諦めが生まれたとき、鞄が軽く振動した。
「……あ、電話」
「…………………」
普段は携帯が嫌いだと、その辺に放置して電話にも出ない癖に素早い反応。ロイがちっと舌打ちするのを無視して携帯を見ると、新着メールが一件。
件名:無題
本文:兄さん何時に帰ってくるの?
言外に早く帰ってこいと、文字のくせに侮れない威圧感。そういえばぎゃぁぎゃぁ攻防を繰り広げている間に、だいぶ予定を過ぎていた。エドワードは無言でそのメールをロイに突きつけると、彼も観念してエドワードの腕を放した。
「……アルフォンスには勝てる気がしないよ」
「くず餅とみたらし買って帰ろうな……ご機嫌取りに」
「ああ…」
所構わず堤防を滑り降りるエドワードに、ロイは階段を探して遠回り。エドワードはキーを受け取って、先に助手席に滑り込んだ。ああ疲れた、と呟くロイにお疲れ様、ともう一回キスをして、暢気なエドワードの意識は既にアルフォンス手作りの夕食に。にこにこ嬉しそうに笑うエドワード、2人きりでなくとも少しでも一緒に居れるなら、とロイは健気にも車を出した。