今まで大学なんて行ったことなかった癖に。必修のある日だって、出席がギリギリになるまで行こうとしなかった!家を出るのが面倒だと行って、呆れる弟の目にも取り合わず、まるでコタツを背負ったカタツムリよろしくみかんを食べていたじゃないか。

「にいさん、何してるの」
「何って朝ご飯食べてるんだけど。アル朝練は?寝坊?」
まだ、朝の7時だ。いや、確かに兄の学校までは一時間以上かかるから、1限に間に合おうと思うならこの時間に起きていても不思議ではないのだけれど、でも今まで間に合わそうなんて思ったことなかったじゃないか。
「ううん、もう3年は朝練ないから…」
状況が理解できないまま、しどろもどろにアルフォンスが答える。
夢じゃない。さっき台所に入ってきたとき、余りの光景に軽く小指を椅子にぶつけたからだ。勿論悲鳴を上げるなんで格好悪い真似はしなかったけれど、強烈にいたかった。眠気まで吹っ飛ぶ痛さだった。これは夢じゃない。
いつも物臭で寝坊助で昼前に起き出しす夜行性の兄が、こんな時間からココアを入れて、トーストを食べているなんて、夢みたいだが夢じゃない。実はぐうたらじゃなかったとでも言うのか。そんなわけがない、大体この兄は、弟が引退して朝練がないことすら知らなかった!
「学校行くの?」
紅茶を入れながら、半ば探るように言うと、傍目に解るくらいエドワードの肩が揺れた。
あやしい・と弟の直感が告げる。
危うくココアを取り落とし掛けた兄の、可哀想なくらい真っ赤になった耳を見つめながら確信を持って尋ねる。
「……好きな人でも出来た?」
「な、」
と、それ以上は言葉にならなかった。らしい。ココアを先にテーブルに置いていたのは兄ながら賢明な判断だった。持ったままだったら、確実に朝から洗濯物が増える所だった。
「に言ってるんだよアル!大体俺にはマスタングが」
「じゃあ浮気だ」
震える声の兄を一刀両断して、焼けたトーストを皿に載せる。焼けた香ばしい匂いも、さしてアルフォンスの心を穏やかにはしなかった。
「浮気じゃ、ねぇし!」
「写真見せてよ」
ワンテンポ遅れて、エドワードが反論する。そのズレがもう既に彼の動揺ッぷりを如実に表していて、アルフォンスとしては非常に腹立たしい。つまりは、兄にとって魅力的な人物が「また」現れたというわけだ。
マスタング1人なら我慢できた。
兄がマスタングと付き合うなんて言い出したときは、疲れと視力の低下が原因の、一時の気の迷いだと許せたのに、それが二回続くと腹が立つ。
すっかり固まってしまった兄に、紅茶のカップで口元を隠して、剣呑な上目遣いで再度言う。
「しゃ・し・ん」
「え」
え、とどもるエドワード。平静を装っても、ココアのコップを撫でる指先に力が入っているのが見て取れる。

早く、見せろ。

眼で無言の脅迫と、沈黙。つ、と視線をそらしたエドワードに、アルフォンスは勝利を確信する。最後の一押しに、カップを置いて、優しい声音と表情を表面に貼り付けて、言う。
「兄さん?見せてよ。」
「ッ……写真は、ねぇよ…」
「ほんとに?」
ここまで折れないのも珍しい。
「……ほんと、っていうか大体、好きな奴なんか出来てねぇって!!」
「今更そんなこと言うの?ここまで誘導されといて」
「好きな奴じゃなくて、友達が出来たんだよ!!」
へぇ、と思わずアルフォンスは呟いた。講義も昼食も1人で何でもすませたがる兄が、友達。兄の友達と言えば、浮かぶのは幼なじみの少女くらいだ。ある意味、友人関係は恋人よりも薄い。友達が出来た、と言うことの方が希有なことではないだろうか。
まぁ一安心、と紅茶をすする。穏やかな気持ちで飲む紅茶はやはり美味しい。
「じゃあまぁ一応写真見せて。」
「一応って何だ……あ、写真はないけどプリクラならある」

かしゃん、と陶器の割れる音がした。アルフォンスの手から落ちたカップは、フローリングにぶつかって粉々に砕けて、破片が床一杯に散らばった。
「あ、アル!大丈夫か!?」
「兄さんが大丈夫なの!?」
アルフォンスが立ち上がる。椅子の脚が動いて、散らばっていた破片を更に砕いて、じゃり、と嫌な音がした。
「プリクラって何!?プリクラ撮ったの!?」
「え、…うん、買い物帰りに。撮ろうって言われ」
「見せて!」
兄の言葉を遮って手を出す。片付けもせず動いたせいで、また新しい傷がフローリングの表面に出来たが、エドワードも弟に圧倒されて指摘することが出来ない。
わ、わかった、と言いながら、色気もクソもない紺色の学生手帳に挟んでいたらしいプリクラを取り出す。
それを引ったくる様に受け取った。小さいプリクラの中、不器用に汚い落書きは紛れもなく兄の字と、兄の顔。その横に映っているのは。
「………僕にそっくり?」
「おう、名前もアルフォンスって言うんだ。アルフォンスハイデリヒ」
ああ、それでA・Hって書いてるんだと、アルフォンスは微笑ましい気分にもなれず、何を勘違いしたのか、照れたエドワードがプリクラを取り返すまで、それを凝視していた。