idioteque 2


定期報告とは別に届いたホークアイ大尉からの手紙は、些か切迫したものだった。旧大総統派に不穏な動きがある、隣国と手を結んで盛り返しを謀っているらしい。参ったな、とマスタングは呟いた。
隣国、――ドラクマ。最近、ブリッグズ山にはなっている斥候から、ドラクマが怪しい動きを見せているとの連絡は受けていた。南下政策を凍結させたと言っても、その野望までは凍結させていないだろう、内政干渉の機会を虎視眈々と狙っているはず。強力なカリスマの不在、2年経っても安定しない軍事政権、内側からの手引きがあれば簡単に瓦解出来るだろう。
また戦争か――手紙をストーブにくべて、顔を手で覆う。眼帯の感触。脳裏に、肉の爆ぜる光景。
部下には悪いが、やっと手に入れた幸福・ここでの生活、戦争で手放すには惜しいんだ。
いっそすべて捨てて亡命でも出来れば、と思う。生憎そこまで無責任にすべてを投げ出す事も出来なかったが。
「ろーいー?」
薄暗い部屋に光が入って、どこか躊躇いがちなエドワードの声。顔を覆っていた手の、指の間からドアの所で遠慮がちに揺れる金の髪を確認して時計を見ると、部屋に籠もりだしてかもう小一時間経っていた。引き出しに便箋を突っ込んで立ち上がった。後で燃やさなければならないが。
「入るときはノックをして欲しいといつも言っているのに…自慰でもしてたらどうするんだね」
「そん時は混じるから良いんだよ」
にしし、と笑って寄ってくる。後ろから抱きついてきた彼の右腕は、外気と同じ温度でひんやりとして冷たかった。一瞬の沈黙の後、躊躇いがちに一緒に寝よ?の言葉。快諾の返事の変わりに、顔を引き寄せて額にキスをすると照れくさそうにエドワードが笑った。

定期報告が届いた。これはいつもと同じくハボック中尉からの。
段ボール箱には、書類の他に缶詰やら防寒具やら、地名の書かれたクッキーの箱に慰安旅行行きましたと書かれたメモ、それにクリップで留められたやたら楽しそうな集合写真。
……仲間外れにされているような気がするのは気のせいか。
定期報告か、それとも物資支援か、どちらがメインなのか判らないそれを見ながら、マスタングは自然と笑いがこみ上げてくるのを感じた。
「なーに、嬉しそうに笑ってさー」
食事の用意をしていたエドワードがマスタングの手元を覗き込んできた。エプロンから機械鎧が覘くのは少し違和感があった。久しぶりに手料理を披露してくれるらしい。メニューによっては散々なものを作るエドワードだが、今日はシチューだ!と言っていたので飢え死にの心配はしなくて良さそうだ。現にとても良い匂いが鼻腔をくすぐる。以前、エドワードがパイを作る!とだけ宣言して、台所に籠って最後に炭の塊を持って出てきたときには、本気でどうしようかと。
「中央にいた頃の、部下からの贈り物だ。食べるか?」
クッキーを差し出すと、じゃあ食後に紅茶入れてやるな!と満面の笑みで受け取る。
「それ、写真、この人がこれくれた人?」
クッキー箱と、マスタングが持っていた写真を見比べて、エドはぱっとハボックを指さした。
「よくわかったね、それも勘?」
眼を細めて言うと、エドワードは少し半眼になって、写真の中の珍しくスカート姿のリザ・ホークアイを指して、言った。
「今のはたまたま。……この人じゃなきゃ良いなって思っただけ」

ベッドに転がって、どちらからとなくキスをして、舌を絡めたのはエドワードの方が先だった。
白い肌に淡いピンク色の乳首が、窓からはいる雪に反射すた月明かりに浮かび上がる。甘噛みされて、エドワードは高い声を上げて、マスタングの頭を抱きしめる。勃ちあがって先走りを垂らすエドワードのものを軽くしごくと、一段と高い嬌声、マスタングは嬉しそうに唇を吊り上げる。
「ゃっ……」
エドワードの身体を回転させて、腰を持ち上げる。おびえたエドワードの声に、益々マスタングは喜んで首筋に吸い付く。
「最近、随分可愛く嫉妬してくれるからね。私も頑張らないと…ね。」
からかうようなマスタングの声に、エドワードは顔を真っ赤にした。潤んだ瞳を、必死で首を回してマスタングに向ける。
「っあ…ぁ…ろい…」
「エドワード、いれるよ?」
「ぁ………んっ」
耳元で囁く。真っ赤になって、エドワードが首をこくこく振るのを見てから、マスタングはゆっくり挿入した。
冷たいはずの機械鎧はすっかりマスタングの触れたところだけ彼の体温で温かくなっていて、必死でシーツを掴んだ。

集落に一つの公衆電話から、マスタングはダイヤルを回した。数回のコールの後、耳慣れたホークアイの声が受話器から流れ出る。
『マスタング准将?』
「ああ、手紙が届いた。いつもすまないね」
『恐れ入ります。』
顔は見えなかったが、リザホークアイの変わらぬ毅然さが伝わってきた。まさか電話越しに敬礼はしていないだろうが。
話題はホークアイの送った手紙のこと、中央の情勢は思ったよりも悪いらしい。冷静に述べられるホークアイの言葉を聞きながら、マスタングは眉根を寄せた。
「…そういえばホークアイ大尉」
『なんでしょうか?』
話が一段落付いたところで、いつもマスタングはエドワードのことを話し出す。ヒューズ准将に似てこられましたね、というと、マスタングは電話越しに笑った。いつもは死んだ親友に、愛妻話を聞かされる側だったのが。
「そういえば、君から手紙が来たとき彼が拗ねてね」
『……はぁ』
それまで嫌気も感じさせずに相槌を打っていた副官が、はじめてそれを躊躇った。おや、と思いつつマスタングは続ける。
「女性からの手紙は妻の勘で分かる、と。なかなか可愛いことを言ってくれる。」
『………そうですか』
「後で聞くと、Rと言う響きが女性っぽかったというんだけどね、本当に侮れない――」
『…………』
躊躇いがちに打たれていた相槌が、そこで完全に止まった。マスタングはおかしな気配を感じとって副官の名前を呼ぶ。電話越しに彼女は少し逡巡した後、ゆっくりと言葉を紡いだ。
『……R、と書いていましたか?』
「……ああ。」
少し沈黙した後、リザホークアイはやはり毅然として言った。
『私は、あなたの宛名以外、便箋には何も書いていません』

マスタングは電話を切ると部屋へ走った。その時まだエドワードは仕事中で、彼は誰もいない冷たいリビングを抜け、書斎に。机の引き出し、燃やして忘れていた便箋を取り出した。Rの字の周辺を手袋をしていない指で撫でると、哀しそうに溜息を吐いた。

その数日後に、ドラクマが侵攻を開始したと報告があった。ロイマスタングは、家には帰らずに宿舎にとどまった。集落から要塞までは少し離れているから、いつ戦闘が始まるか判らない状態ではおちおちゆっくり出来ない、と言うのがその理由だった。表向きは。

次に届いた報告は、ドラクマ軍はブリッグズ山麓で駐屯したまま、それ以上動きがないと言うもので。

「ホークアイ大尉。見つかったか?」
その一方で、電話越しに、マスタングは苦渋の表情で別の報告を受けた。
『エドワード・エルリック。国家錬金術師。二つ名は鋼。享年15歳。3年前のブリッグズ山の戦闘で死亡となっています。』
「……そうか」
『金髪金眼の機械鎧をつけた小柄な少年――間違いありませんね?』
「ああ。」
左目が酷く疼いた。

何日かぶりに帰った家はいつもと変わらず暖かで、エドワードは軍人はやっぱ大変だな、と眉を寄せた。
何も変わっていないのに、マスタングは仕方ないと思った。もう、多分守れないから。
疲れたから寝るよ、と低い声で言うとエドワードは固まった。それから、すぐに表情筋を無理矢理弛緩させて、わかった、と笑った。

ぎし、と床が軋む音がする。嫌な音だな、とマスタングは思った。息を潜める音、冷たく停滞した空気を押しのけてエドワードの足音。それがベッドの横で、ぴたりと止まった。一呼吸置いて鋭いく空気を裂く音――振り下ろされた右腕の甲剣を、その勢いを殺さないまま受け流してベッドに押しつける。ぱりっと空気が爆ぜる音。小さい爆発はエドワードの顔の真横で起こって、彼の金色の髪が2,3本散った。
「――焔の錬金術師」
エドワードが、呟いた。
「おや、知っていたのかね」
「中央で、一回だけ見たことがあったから」
肩を押さえられて、エドワードが呻いた。機械鎧は変形して甲剣の形を保ったまま。
「そうか、それは光栄だね。鋼の錬金術師」
「……いつ、ばれたの」
苦々しくエドワードが言う。
「便箋に錬成痕がわずかだが残っていた、撫でたら判ったよ。隠すための文字は逆効果だったね。天才らしくないミスだ」
「…焦ったんだ、あんたが予定より早く帰ってきたから」
悪戯をして叱られた子供のように、エドワードは口を尖らせた。マスタングには、それは虚勢を張っているようにしか見えなかったが。
「…どこまでばれてるの」
黙りこくったマスタングに、エドワードは首だけ動かして尋ねる。
「何もばれていないよ。判っているのは、君が死んだはずの鋼の錬金術師だったと、と言うことだけだ。確信があるのは。」
喉から声を絞り出して答える。とても、エドワードの顔を見る気にはなれなかった。
「でも、アンタはわかってんだろ」
濡れた声に、マスタングは押さえつけていたエドワードの顔を見た。予想に反して、彼は泣いてはいなかったけれど。
「あまり言いたくないけどね。君の死亡と同時期に、君の弟も行方不明になっている。弟も生きている、としたら、彼を人質に取られた上でのドラクマのスパイ、か?」
「ご覧の通り暗殺要員…も兼ねてる。ドラクマは、国家錬金術師を怖がってるから。」
誰もこの3年間気付かなかったのか。マスタングは軍部と自分のふがいなさを呪った。この子供の、スパイ活動を止めさせることが出来なかった自分達の不甲斐なさ。
「俺を殺すの?憲兵に通報する?」
立場上、マスタングはエドワードを殺せたし、殺さないまでも拘束しなければならないけれど、そんなことをする気にはとてもならなかった。
「……私は今から仮眠するから」
あっさりとエドワードを放すと、マスタングはもう一度横に寝直した。
「私が起きたときに、君がいなければ私は追いかけないよ」
「……かもしれない、し」
エドワードが言う。縋ってくる子供は、普段より小さく見えた。
「ん?」
「また殺そうとするかも…だし、俺…アンタのこと。」
「うん」
マスタングはエドワードの髪を撫でながら頷いた。
「もう一度君が私を襲ってきたら、それはその時に考えるよ」
涙と一緒に零れてしまわないか心配になるくらい綺麗な金の眼が揺れていた。
マスタングはエドワードの額に一つキスを落として、布団に入った。


「お帰り兄さん!」
嬉しそうに、ベッドに横たわったままアルフォンスは言った。二年ぶりの兄の帰還、優しい弟は、兄が自分の為にどれだけ頑張ってくれているか、その実情まで知ることは出来ないけれど、よく理解しているつもりでいる。今回の戦争だって兄のおかげでこの国が勝ったと思っている。誰も口に出したりしないけれど、軍の勝利とともに帰ってきた兄のおかげだと。そのおかげで自分が治療を受けられて、普通に生活が出来ているということも。
「兄さん?」
一年に一度帰ってこれるかも判らない兄は、それでもアルフォンスの記憶の中ではいつも笑顔だった。その兄が、珍しく強張った顔で、アルフォンスに笑顔も向けないまま。
「兄さん?」
反応の無い兄に、なんとなく不吉なものを感じて、アルフォンスは再度名前を呼んだ。今までも見たことも無いほど表情の消え去った兄の顔はとても直視できないほど悲惨で。
「兄さん、どうかしたの、何かあったの?」
この前、任務から一時帰宅したときはあんなに笑ってたのに。
アルフォンスの心配そうな眼と向き合って、やっとエドワードは笑顔を作った。笑顔というより、ただ口元を引き攣らせただけだったのかも知れないが。
「なんにもねぇよ、アルフォンス」
ただいま、と言ってエドワードはアルフォンスの額にキスをした。