idioteque 1



住めば都、とはまさにこのこと。北のブリッグズ山。隣国ドラクマとアメストリスとを隔てる天然の要塞。その麓は年中容赦なく吹雪に見舞われていて、さすがに始めてここに足を踏み入れたとき、彼は目眩がしたものだ。
観光や視察で何度が訪れたことはあるが、さすがに、ここで生活していくとなると。
絶望と不安と、およそプラス要素のなかったここでの生活も、慣れてくれば耐えられないこともなかった。
要塞・前線とは名ばかり、国家錬金術師という人間兵器を擁したアメストリス軍が勝利を収めた7年前の大規模な戦闘を最後に、ドラクマの南進は止まっていた。その後何度か小競り合いがあったが、3年前の戦闘を最後にそれもない。アメストリスとしても大国と真正面から進んで事を構える気はなかったから(そもそも内紛でそれどころではなかったし)、一応は平和な生活が保たれていると言っていい。

軍事蜂起を起こしたのが2年前。軍部を総攬していたキングブラッドレイの暗殺とそれに伴う政権の再編。まさかそんな上手くいくことを期待していたわけではないが、せめて軍部だけでも解体されればと、ロイマスタングは軍人でありながらそう願っていた。度重なる内乱、その鎮圧の元に行われる弾圧。クーデターで、自分も左目を失ったけれど、たくさんの人が殺されて、たくさんの文化が消えるのをみたから、ロイマスタングはもう十分だと思った。
軍の解体と文民による統制。クーデター後の会議で、彼が主張したのは以上のことだった。そして、クーデター最大の功労者であるはずの彼は、あっけなく北に飛ばされた。戦闘のない場所に配備された人間兵器、もしもの時のために、と言うつまりは体の良い飼い殺し。結局彼の起こしたクーデターは、上の人事を一変させただけに終わった。

「ただいま、エド」
「おかえりー、雪叩いて入ってこいな」
ぴょこっと金の頭が揺れた。暖かい部屋と帰る場所、迎えてくれる相手、それだけでもうロイマスタングは満足している。中央で、自分を復帰させそうと奔走している部下達に聞かれたら、何と言われるか分かったものではないが。
「今日は早いんだね」
「んー、雪が酷いから早く帰っていいよってドクターが。」

心優しい部下達が彼に用意してくれたのは、ストーブの付いた暖かい部屋だけだった。すぐに迎えに来ます、と彼の元副官は敬礼した。それから既に2年が経つ。この不本意きわまりない人事をマスタングが受け入れたのは、命の危険を彼自身感じ取ったからだ。軍解体を望む一般市民に人気の高い指導者など、他の軍人には邪魔にしか感じられないのは痛い程判った。第一線から退くことで、彼は念願だった一応の平穏な日常と、それからエドワード・カーティス。恋人を得た。

「よく積もるね、まったく」
「まぁ雪国だからなぁ」
すっかり曇った窓から外を見て、片目を忌々しそうに言うマスタングに、けけっとエドワードは応えた。動くたびに一つに結わえられた金の髪が弾む。男は潔く清楚に短髪、がモットーだと言って憚らなかった(部下には頭が固いと揶揄されたが)マスタングだったが、すっかりエドワードに惚れてしまったものは仕方ない。
マスタングがエドワードととはじめて出会ったのは、ここに来て一週間と4日目の夕方。(日記につけているから間違いない)慣れない寒さに手の皸が酷くてクリームを買おうと、マスタングが近くの集落の薬局と雑貨屋を兼ねている店に行ったとき、たまたま店に買い物に来ていた不幸なエドワード。運命の(とマスタングは断言するが、エドワードは口を濁す)出会いを果たした2人、色恋に関しては案の定マスタングに一日の長ありで、すぐさま――と言っても一ヶ月程はかかったが――マスタングに軍配が上がった。口説き落とされたエドワードが、あれよあれよと状況について行けずにとまどっている間に、そこはクーデターまで成功させた自他共に認める智将マスタング、同棲まで持って行って今に至る。
「それにしてももう少し加減できないものかね。外で立っていたら、危うく雪に埋もれるところだった。」
「それはアンタが立ち寝してたからだろ。」
まるで見てきたかの様に言う生意気さは超一品、反論したいのは山々だがマスタングとしては事実だから言い返せない。そもそも天候に対して文句を言うなんて、ここでは本当にナンセンス、マスタングの言葉自体が非常に子供っぽかったから、同じレベルで返してきたと言う所だろうか。
飯暖めるわー、とエドワード。彼の勤め先は、村唯一の診療所。老齢の医師の助手を勤めるこの集落では珍しい見目麗しい助手は人気者で、今日の夕食もおそらく誰かのお裾分けだろう。甘いスープの香り。テーブルに座って待つ、この瞬間がどれだけ幸せか。

テーブルを一緒に囲んでも、目新しい話題は特にない。エドワードの勤める診療所は滅多に患者は来ることがないし、マスタングも進んで軍の話をしようとはしない。エドワードが嫌がるからだ。
エドワードが軍嫌いなのはこの辺では有名なことで、マスタングにも最初はあまりいい顔をしなかった。軍服を着たマスタングの第一印象は最悪だったと言っていい、それでいてなぜ一緒に暮らせるのかと言えば、マスタング自身が軍人としての自分を嫌っているのを知っているからだ。初対面で声をかけてきたマスタングに、軍人は嫌いだと突っぱねようとしたエドワード。まさしく軍人然としたマスタングは少し顔を歪めた後、奇遇だね私も軍人は嫌いなんだと微笑んだ。あの台詞と笑顔さえなければ落ちていなかったというのはエドワードの弁だが、それがなくとも君は私を好きになっていたよ、何たって私は魅力的だからね、とマスタングは反論する。
「あんたのその自信には呆れる…」
半眼で呻くエドワード、心底呆れた声を出してみてもマスタングは動揺しない。この遣り取り自体何度となく繰り返されているものだから、お互い慣れたもので。
「そこに君は惚れて居るんだろう」
「そんなだから左遷されたんだ…」
「失礼だね、君は」
言いながら苦笑する。マスタングはここに来た詳しい事情は勿論、自分が焔の錬金術師と言うこともエドワードには話していない。隔絶されたこの要塞周辺の集落の情報源は、出稼ぎから戻ってくる村人と駐在している軍人の広報しかない。中央で起こったクーデターは、噂としては届いているもののその詳しい内容を知る人間はほとんど居ないから、中央と違いマスタングの顔を知っている人間はほとんど居なかった。
エドワードも似たような感じで、自分の事をあまり話したがらない。それでも彼がぽつぽつと漏らした話によれば、彼は元々東部の人間だったのが、内乱に巻き込まれて母親と弟を失い自らも右腕左足を失ったと言うことだ。
今はもう意識することはなくなったが、エドワードの片腕と片足は見事な機械鎧。マスタングと一緒になるまでは、ドクターに世話になっていた、とエドワードは言った。彼の勤め先の医師は、老齢ながら一流の機械鎧技師でもあるらしい。

マスタングが食べ終わった皿を運ぼうと立ち上がると、エドワードが何かを思い立って顔を上げて口を開こうとした。その瞬間、誤って頬張っていたジャガイモを飲み込んだらしい、エドワードが急に咳き込んだから、マスタングは驚いてエドワードの背中をさする。
「………大丈夫かい?」
「じゃがが…あー…喉の奥火傷した…」
「あーあ、可哀想に」
うえ、と喉元を撫でるエドワードに、慌てるからだよ、水を差し出す。顔を真っ赤にして水を流し込むエドワード。確か今年で18になるらしい、普段は大人びていて年上のマスタング相手にも偉そうな口をきくが、どこか間が抜けたところは隠しきれないようで、微笑ましいとマスタングは思う。
「で、どうしたの。何を言おうとしたの」
「あー…、流しの上に、あんた宛への手紙。女の人から」
女の人、という部分に憎々しげにアクセントを置いてエドワードは言う。
「おや、嫉妬?」
「ちげーよ馬鹿。」
もういっぱい水をあおる。食事のためにテーブルから退けられた本や雑誌と混じって流麗な文字で書かれた宛名、手にとって裏返すと走り書きで書かれたRが一つ。
「……これでなぜ女性からだと判ったんだね、エドワード」
呆れて言うと、妻の勘、とエドワードは答えて笑った。