同じくバスローブに身を包んだロイエンタールが入ってきた時、ラインハルトは丁度マグカップの中のホットココアを飲み干したところだった。
「遅くなりました。」
「かまわぬ。これをもって来たフラウに礼を言ってくれ。大変に旨いチョコレートだった。」
「閣下は甘いものが好きだと伺っておりましたので。」
「大好きだ。」
マグカップの縁をぺろりと舐める舌。ロイエンタールは頭を振った。どうも、相手がローエングラム伯になると自分は過敏になるようだ。
「閣下、風呂の仕度が整いましたので、お入りになってください。」
「そうか、すまぬな。」
ラインハルトはソファから立ち上がった。ロイエンタールが先を行く形で脱衣所まで来るとロイエンタールにはいっこうにそこを立ち去る気配がない。
「おい。」
「はい。」
「出てゆかぬのか。」
「一緒に入りますからお気になさらず。」
ロイエンタールの言葉にラインハルトは目を見開いた。一緒に入るだと?ガキでもあるまいに、何を言い出すかこの男は。
「卿は私と一緒に風呂に入ると申すのか?」
「恐れながら。」
「それは失礼ではないか?私に対して。」
「しかしこのままでは私は風邪をひいてしまいます。」
ラインハルトは考えた。ロイエンタールの黒の近いダークブラウンの髪はしっとりと濡れている。彼が濡れてしまった原因は噴水の中に引っ張り込んだ自分にあるのだということを、ラインハルトは思い出した。それに、今ロイエンタールに風邪などひかせるわけにはいかなかった。有能な部下を、たとえ短期間だとしても、一人欠くことは現在のラインハルトにあってはならぬことだった。彼の敵ははるか何億光年も向こうの自由惑星同盟と自称する叛徒どもばかりではなく、むしろ背中側、帝国内の大貴族たちのほうに多くあった。戦争などは行けば殺し合いでそれこそわかりやすいものだが、背面からの攻撃は戦争ではなく暗殺や策略だ。厄介なことこの上なく、それに対抗するためにはキルヒアイスのみでは対応しきれぬところまで来ている。ゆえにラインハルトにはロイエンタールが必要だった。
「わかった、その原因の一因を担ったのは私だ。しかし私も風邪をひけぬから、やはり一緒に入ろう。」
ラインハルトは潔くそういって、バスローブを脱ぎすてた。そのままドアをあけて風呂に入る。その、無駄な肉一つない白い後姿を視界にいれながら、ロイエンタールも後に続いた。
浴室はラインハルトの家にあるものよりもはるかに大きかった。が、大の男二人が入るにはやはり少々狭い。
ラインハルトは振り返った。すぐ後ろにロイエンタールの鍛えられた胸板があって少し驚きつつ視線を上にあげるとそこに金銀妖瞳の無表情な顔があった。
「とりあえず暖まりましょう。」
長身の部下に言われてラインハルトは頷いた。なぜか突然、気恥ずかしさを覚えたラインハルトは身体に適当に湯をかけてからざぶんと浴槽に浸かった。向かい合う形でロイエンタールが入ってくる。まず、筋肉質なアキレス腱が見えて、硬そうな太股、反射的にそこでラインハルトは目をそらした。
「どうかされたので?」
わかっていて聞くのは悪い癖だとは知りつつも、そうやって幼い司令官をからかうのがロイエンタールは好きだった。
「何でもない。」
怒ったようにムキになるところがいじらしい。そう思って自分で自分を嘲笑する。重症だと思うが重症患者は自分の病を自力ではどうにもできないのだからこれはもう諦めるしかないなと言い訳した。目の前の金髪の青年に自分の忠誠心の全てを捧げると誓って、その瞬間からその病に感染してしまったらしい。それにしてもいくら女性不信だからと言って、人生最初に本気で惚れた相手が自らの司令官、しかも同性であるなんて。喜劇だと思う。もしくは悲劇か。それは結末を見るまではわかるまい。
ラインハルトはそんな部下の思いなど知る由も無く、ただただロイエンタールだけを視界にいれまいと無駄な努力をしていた。どうせ泡風呂なのだから水面下などは見えないのに、ラインハルトは向こう側に見えるロイエンタールの胸板、筋のある首筋、喉仏、自分のと少しだけ違うというだけでなぜか心臓が高鳴るような、脈の早まるような感覚を覚えて一人焦った。焦りながら湯船に身体を沈めたのは赤面した頬を隠すためだった。湯船に沈んで、その長い脚を伸ばした瞬間、ラインハルトは飛び跳ねた。耳まで真っ赤にして。
「ひぅッ!?」
「…大丈夫ですか?」
対するロイエンタールはわざとらしいくらいに冷静だった。
足をひっこめて三角座りになって、ラインハルトは自分を落ち着かせた。足の先が、丁度ロイエンタールの股間にあたってしまったのだ。
「大丈夫だ。その…すまぬ。」
「構いませんよ。痛くも無いですから。」
ラインハルトの様子をロイエンタールは楽しんだ。彼にはどこか嗜虐的な部分があるらしい。
一方ラインハルトは耳まで真っ赤にして、長身の背をかがめて小さくなってしまった。指先に残る生々しい感覚。下劣だ、下劣だ。そう繰り返すのに何か違う熱を持ち始めた身体のその原因がわからない。ラインハルトは今まで生きてきて初めて、自分自身に困惑を覚えた。
深層心理まではわからずとも、年長者のロイエンタールにはラインハルトの動揺ぶりがよくわかった。細い顎筋がかすかに揺れているのも、その首筋を鳴らすほど唾を飲み込む仕草も、全てが愛おしいという感情に繋がっていく。ロイエンタールは股を開いたまま、足を伸ばした。ラインハルトの体を挟むようにすると、驚いたように見開かれる蒼氷色の瞳。
鋭い、洗練されたナイフのように冷たい双眸としばしば称される瞳がこんなにも丸いものだなんて、どれほどの人間が知っているだろう。ロイエンタールは心の隅っこが満たされるような気がした。
「ろ、ロイエンタール…」
「よろしいではないですか、閣下。」
足先に滑るような肌触り。ロイエンタールは膝をたてて、身体ごとラインハルトに近寄った。湯の上に浮ぶ泡が波打つ。ラインハルトの長い金髪に泡が絡まって、驚いたようなその瞳にロイエンタールの金銀妖瞳が映って。
大きな手、長い指がラインハルトの顎にかけられた。優しくはない、強制的な仕草で唇を奪われる。
「んッ……くぅ…」
「甘い、ですね。」
口内に残っていたチョコレートの香りを舌で掬い上げて、金銀妖瞳に見つめられて、ラインハルトは気が狂いそうなほど体を熱くした。熱があるのかもしれないとも思った。でも頭痛もしないし、気分も悪くない。むしろ、どこか高揚したような、浮き足立った感覚。そう、地から足が離れてしまいそうなほど。ラインハルトは不安を覚えた。恐怖も覚えた。
「や、やめぬか…」
「なぜですか?」
けろりと言ってのけるロイエンタール。ラインハルトは、え、と短く言って、
「私はこんなことを……許可してはおらぬ。」
「それはそうですね。ではご許可を頂けますか?」
口の端を上げる笑い方は我ながら趣味が悪いなと、ロイエンタールは思った。しかしこれが女共にはウケるから物は試しと可愛い上官にもやってみれば案外効果があるようでラインハルトはその意地悪い嗜虐的な笑顔にうっと喉を詰まらせていた。しかし次の瞬間、
「何をふざけたことをぬかすか!!」
「まぁまぁそうお怒りなさいますな。」
ロイエンタールは苦笑しながら、そっと首筋を撫でた。
「お美しい肌をしてらっしゃいますね…。」
「気安く触るな。」
振り払うその手を反射神経で掴んで、ラインハルトが驚く顔を楽しむ。蒼氷色の双眸は一瞬驚いて見せたが、すぐに細められた。怒りに金色の眉を上げる。
「三秒以内に手を離せ。」
「いやです。」
ロイエンタールは一秒もしないうちに否定した。その手を掴んだまま引っ張って、ラインハルトを抱きしめる。空いた手を背中に回して、乾いている髪に顔を埋める。生臭い、噴水の水の臭い。
「閣下、臭いですね。」
「黙れ。というか卿も十分生臭いぞ。臭い。臭い臭い。」
「はいはい、わかりましたから。」
ロイエンタールは言いながら、しかしラインハルトを抱いた手は離さずに、
「じゃあ、一緒に洗いっこしましょうか。」
「……申し訳ないが、私は時々卿が何をしたいのかがよくわからぬ。で?」
「洗いっこですよ。」
「………………。」
粘り負けするのはいつも若年者だと相場が決まっていた。