ミューゼルという姓を捨てたラインハルトは爵位は伯爵となったがそれでも下級貴族出という意識は他の古くからの名門と呼ばれる貴族たちの間に浸透していてもう拭い去ることは出来なかった。奴らはそれが全てなのだ、馬鹿馬鹿しい。ラインハルトなどはそう思う。血統など信じたくもなかった。自分が、あの父親から何を受け継いだというのか。
姉、アンネローゼが現皇帝フリードリヒ4世の寵姫となってから、彼の未来の半分は決まっていた。士官学校へ入り、銀河帝国軍へ入隊するまでに一切の苦労がなかったわけではないが、それでも順調な道のり。平坦ではないが、そこに対する不満はなかった。平坦で単純な道などになんの価値があろうか。そんな道の向こうに、ラインハルトの見る未来などはなかった。蒼氷色と称される宝石のような瞳に映るのは戦火の咆哮と、その先にある巨大な野望。そして大切な、姉と友と。
その蒼氷色の双眸をすぅっと細めて、現在ラインハルトは至極不機嫌だった。
シャンデリアに照らし出された異様に明るい部屋と停滞を促すような宮廷音楽。ラインハルトには芸術がわからない。幼年学校と士官学校での必修科目として学ばされた知識しかなかったからその音楽がどれほど価値があるのかなど全く見当もつかなかったしそもそも世間一般の価値観など彼には興味がなかった。彼はそのオーケストラの演奏を貴族たちの馬鹿な喧騒のバックミュージックとしてとらえることにした。つまりただ煩いだけだな、と。
さらに目の前にいる鬱陶しい男の顔を一瞬視界にいれて、ラインハルトは嘆息した。彼をやたら目の敵にしている、フレーゲル男爵。ラインハルトは嫌いな相手にすぐ変な呼び名を付けたがった。フレーゲル男爵は、彼の脳裏では腐れキノコと変換されていた。
その腐れキノコは先ほどから幼稚な発言を繰り返し、あまつさえそれがウイットに富んだ皮肉だと勘違いしているから頂けない。帝国人の気風として、これは一般庶民にも言えることなのだがどこかすぐに詩人めいたことを言いたがってしまう。それはいい。だが、ラインハルトはその言葉に相手の機知を常に求めた。つまらない発言などは聞く時間すら惜しいという考えがあった。そして、ラインハルトはその軍人としての才華と政治家としての能力を持ちながらどこか子どもっぽいところをも多分に持ち合わせていた。だからこそ、こうして自分が人とも認めていない腐れキノコ≠ネどと喧嘩をしているのだ。素面ではないことも原因の一つだった。それをやんわりと諌め止めてくれる友は今この屋敷にはいない。
貴族のパーティであるこの席に、平民出身のキルヒアイスが出席することは不可能だった。もしもラインハルトが皇帝にその旨を頼めばそれも実現したのかもしれないが、彼自身、自分の親友をこんな薄汚れた空気の中にわざわざ連れてこようとは思わなかった。
口論は徐々に感情的になり腐れキノコの語尾が甲高く裏返りだした時、相手が口走った言葉に一瞬、ラインハルトは我を忘れて比喩なしに相手に噛み付きそうになった。
それは彼の姉を侮辱する言葉であった。
「貴様ッ……下劣なその口、これ以上裂けぬところまで裂いてくれる!!」
言って掴みかかろうとすると怯えて後ろによろめいた男爵は情けない声で警備兵を呼んだ。顔を隠した胡散臭い警備兵が駆け寄ってくる。
「放せッ…放さぬかっ!!」
ラインハルトよりも一回りは大きな男三人がかりで身体を固定されたラインハルトはその金色の癖のある髪を揺らした。怒りに、その双眸が蒼い炎を燃やしている。が、それ以上何もできないことを知って、フレーゲルはふふ、と半分安堵したように笑った。
ここは大きな屋敷の端っこであったから、この一連のことを気に留める貴族はそうはいなかった。というよりは皆一様に見て見ぬふり。皇帝の寵愛を受ける妾の弟をとるか、帝国建国以来の名門貴族をたてるか、そんなややこしい選択をするくらいなら関わらないのが得策だと皆踏んだのだ。
ラインハルトはしつこく暴れたが、フレーゲルの命で警備がラインハルトの脇腹に警棒を叩き込んでおとなしくなった。どうやらこの屋敷とその主、フレーゲルの息がかかっているようだ。両脇から肩の付け根と腕を後ろに掴み上げられ、さらに羽交い絞めにされて、ラインハルトは首だけを動かしてフレーゲルを睨みつけた。
「この……下種が。」
「それは卿の方だろう、ミューゼル…いや、ローエングラム伯爵?」
そんな名などはどうでもよかった。ラインハルトは奥歯を噛んだ。この男に姉の名を口走る権利など無いのだ。
フレーゲルが、側をそれこそ逃げるように通ったウエイターにワインを頼んだ。ビンごと一本である。
「さて、ローエングラム伯。僭越ながらこちらへお越し願おうかな。」
下劣な笑顔をラインハルトに向けて、男爵はその大広間を後にした。ラインハルトは酒に酔った足をもつれさせながら、警備兵につれられてついていく形となる。
大広間から少し廊下を進んで入った部屋は、先ほどの部屋よりもはるかに小さなところだった。用途のわからない、何もない四角いだけの部屋だった。
無理やり引きずられたラインハルトの全身はアルコールに犯されていた。足の関節が思うように反応を示さずにもどかしい。思考にも靄がかかり、舌が極端に重く感じられた。
逆に同じく酒に酔っているであろうフレーゲルはどこか高揚しているようだった。
未だ反抗的な眼でフレーゲルを睨みすえる金髪の元下級貴族を床に押さえつけるように警備兵に指示して、彼はその細く繊細な金糸の前髪を無造作に掴みあげた。
「ローエングラム伯、せっかくの夜会にまだ酒ものんでいらっしゃらないようだ。わたくしなど卑位のものからの酒など御口にあわぬかもしれないが。」
言いながら先ほど手に入れたワインのビンをその雪のように透き通った顔の上に遠慮なくかけた。だばだばと、間断なく真っ赤な液体がラインハルトの髪と肌を濡らす。
彼はその鋭い双眸をおもいきり閉じた。苦しげにうめく唇に赤い酒が浸入してきて思わず喉の奥から咳き込む。それでも、やめない。
一本分の屈辱をうけ、頬を桃色に染めたラインハルトは顔だけでなくその首筋から胸のあたりまでをも赤紫に汚していた。
「んッ…くぅ…」
「おやおやもう酔ってしまったようだ…頬が赤い。」
その艶めく頬に手が伸びてきたのをラインハルトは渾身の力で逃げた。誰が、こんな男に触れられてたまるか。
「フレーゲル男爵、卿にこの様な趣味があるとは思わなかった。」
ラインハルトは酒に濡れ、霞む思考の中で続けた。
「変質者で異常性癖。救いようが無いな。」
フレーゲルの顔色が変わった。彼は睨んで、警備兵にヤレ、と一言命令を下した。
「いくらローエングラム伯でも、男三人にはとうてい敵うまい。」
そう言って、彼自身はその部屋を出て行ってしまった。

ロイエンタールの家柄は低くは無いがさして特筆するほど高くも無かった。
このような夜会に出るのは好きではなかったのだが、それでもたまには顔を出さないと色々と面倒なことになる。彼がこの大広間に着いたときにはすでに時間は22時を回っていた。
煌びやかな音楽と、淡い色の照明と、着飾った女と男。香水の臭いが充満して酒の臭いと交じり合うそこは慣れたものにはさぞ居心地のいい場所だっただろう。停滞し、動くことを嫌うのこの淀んだ空気しかしらない大貴族ども。ロイエンタールは吐き気を覚えながらも、近寄ってくる貴婦人たちを軽くかわし続けた。
そういえば、と思う。屋敷の表にローエングラム伯の車がとめてあったな。少し離れた位置にあったため、ロイエンタールは中を覗くまではしなかったが、そこにキルヒアイスがいることは確かだった。
ならば、この夜会にローエングラム伯も来ているということか、と彼は目を凝らしたがどうもみあたらない。
どちらかへ参られたか、入れ違いになったか。そう考えたがどうも腑に落ちない彼はそこにラインハルトを嫌うフレーゲルの姿を認めて眉根を寄せた。嫌な予感がする。
適当な貴婦人を笑顔一つで捕まえて、その白い手の甲に唇を落としながらロイエンタールはさりげなく、ラインハルトのことを尋ねた。ラインハルトという男には常に輝くような優美さがある。それは男とか女とかそういうものを超越した美しさで、彼がそこにいるだけで部屋は明るく輝くような錯覚すら覚えてしまう。外見だけではない、内面から何か溢れるものが彼にはあるのだ。カリスマ性と一言でくくってしまえないほどの魅力。そんな彼がもしここに来ていたのなら、美男子に特に敏感なご婦人たちの目にとまらぬはずはない。
「ローエングラム伯なら、さきほどあちらでフレーゲル男爵と、何やらお話していましたわよ?」
お話、と言うがそれは多分に口論のたぐいだろう。彼はそう決め付けて、フレーゲル男爵のところへ詰め寄った。フレーゲルは「知らぬ。」の一点張り。ロイエンタールは無益な喧嘩などしたくもなかったから、その場はおとなしく引きさがった。
大広間を出て、考える。一体、ローエングラム伯ラインハルトはどこにいるのか。
その時、庭の向こうで動く小さい影が彼の視界の端に映った。

それがラインハルトであるということは、すぐにわかった。

駆け寄ってくる足音に咄嗟に身を隠し損ねたラインハルトは、次の瞬間柔らかく表情を崩した。安堵の表情だった。
「ロイエンタール……卿も来ていたのか。」
「今しがた着いたばかりです、閣下。それよりこれは……」
月明かりという恐ろしく暗い照明の下でも彼の状態の異常さは容易に窺い知れた。両足を投げ出すように座っている彼は、普段は黒い軍服しか身につけないのに珍しく着用していた白い礼服を無残に破られ、色々なところに血を滲ませていた。その美しい髪と透き通るような肌からはアルコールと耐えがたい雄の臭いがした。
月明かりでよく見えなくてよかった、とロイエンタールは思った。これが明るいシャンデリアの下だったなら、自分はラインハルトの姿に正気を保てただろうか。今ですら、怒りで我を忘れそうだというのに。
「何でもない。ただの喧嘩だ。」
嘲るような笑みをその唇に浮かべて、ラインハルトは言った。言葉はどこか投げやりに吐き出されていた。
「それよりロイエンタール。このような失態を見せた上でさらに何か頼むのは申し訳がないのだが、この庭に噴水はないのか?」
「あります。奥のほうに…」
ロイエンタールは昔この屋敷を訪れたことがった。
「ならそちらへ連れて行ってはくれぬか?どうも、酒が回ってしまって…上手く歩けぬのだ。」
両手を伸ばす、その長身の割りに華奢な両腕を、自身の背中に回させてロイエンタールはラインハルトの背中を持った。そのまま勢いをつけて抱き上げる。案外軽いですね、などと軽口を叩いたのは、そうしないとラインハルトの髪に絡んだ白い粘着質な汚れを無視できなくなるからだった。
「ちょ、な、なにも抱きかかえる必要はないのだぞ。」
慌てるラインハルトが愛おしくて、ロイエンタールはぎゅっと強く抱いたまま、そのまま希望通りに噴水へむかった。
庭の茂みの向こうに突然開けたところがあった。忘れたれたようにかなり大きな丸い噴水。中央に高く伸びた柱の頂上から弧を描いて流れ落ちる水流の幕。
噴水の縁へラインハルトを下ろすと、彼はロイエンタールの予想だにしていなかった行動を平気な顔をしてとってみせた。
座ってそのまま背中から噴水に落ちたのだ。
さすがにこれには、ラインハルト麾下で後にミッターマイヤーとともに新銀河帝国の双璧と称されるロイエンタールも顔を蒼くした。酔って、そちらへ落ちてしまったのかと本気で心配し、覗き込んだ。底は階段状に中央に向かって浅くなっているようで、ラインハルトの落ちたそこは一番深いようだった。頭を打つことはまず無いだろうが…。
しかし、金髪の帝国上級大将は、大きな呼吸音とともにすぐに水面から顔を出した。
「何をなさっているのですか!?」
柄にも無く大きな声を出すロイエンタールに、ラインハルトはけろっと答えた。
「何って…汚れたから洗っているのだ。」
「汚れたってその噴水もさして綺麗なものでは…」
「いいのだ。一刻も早く開放されたかったのだ。」
そう言ってラインハルトは泳ぐように中心へ寄ると、噴水から溢れる水のカーテンを頭に浴びた。それも至極楽しそうに。
水に濡れた髪は身体に張り付き、肌は透明度を増す。破れた布切れが、引き締まった彼の身体の線を際立たせていた。血もアルコールも精液も流されて、ラインハルトは清々しさを覚えた。ロイエンタールが月明かりに水と戯れるラインハルトに見とれていると、その蒼氷色の両眼が彼を捉えた。薄い唇は白い肌の上に燃えるように赤く艶めいていて、誘われてる、そう錯覚するほどの色気。こちらへ来て伸ばされた、破れた袖から覗く白い腕と投げかけられた言葉。
「卿も来ないか?気持ちいいぞ?」
戸惑うロイエンタール。その戸惑いを無遠慮に無視したラインハルトは相手の手首を掴んだ。渾身の力でもって自分の方へ引っ張ると、大きな身体がぐらりと揺れてバランスを崩す。
噴水の縁につまづき、無様という2文字をどこか冷静に思いながら、ロイエンタールは目の前の9つ年下の上官にされるがまま。噴水の水の中に、ラインハルトを下にして済し崩しでダイブした。
音の無い水中で、ロイエンタールは蒼氷色の瞳を、ラインハルトは金銀妖瞳をじっと見つめた。その間はわずか数秒にも満たなかっただろうが、ロイエンタールの中で何かが溶けるように流れ出した。アルコールに近いそれは全身を血液のようにかける。
二人同時に顔を出す。ラインハルトを抱きしめたまま、水の溢れる柱に押さえつけてその白い頬をロイエンタールは掌に包んだ。濡れた金糸を絡め取って酸素を求める真っ赤な唇に自分のそれを押し付ける。舌を挿入すると、ラインハルトも拙いながら応じてきた。
この実力に裏付けられた自信家の天才は、こういうことに対しての欲求が世間一般の平均値よりも低い。というよりも欠落しているとさえ噂されるほどの潔癖。本人にそのつもりはないが、そのためにそちら方向の経験はほとんど皆無で、ロイエンタールはそこがたまらなく愛おしい。本人は下手だとは思っていないのか、なけなしの知識でロイエンタールに答えようとする姿勢にロイエンタールはついつい意地悪をしたくなる。
短い舌を絡めてくるラインハルトの不器用な動き、苦しそうに染まる頬。ロイエンタールは破れてしまった服の隙間から片手を差し込んだ。胸の突起を探し当てて、そこを指先で摘まんでやると明らかな反応、身体が浮いてしまうのではないかというくらいに跳ね上がって、唇を離すと鼻から抜けるような普段とは全く違う弱々しい声が聞こえてきて。
ロイエンタールは口角を上げた。暗闇でもわかるくらいに、その白い肌は耳まで朱に染まっていた。
「いいのですか?」
ロイエンタールは言った。答えが例えヤーだろうがナインだろうが彼には関係がなかったが、それでもそう問いかける。
「よくはない…」
自信なさげなラインハルトの回答。アルコールと一瞬の油断で流されかけた思考が再び戻ってきた彼は俯いた。
ロイエンタールは苦笑を漏らした。
「ならば暴れてください。閣下が抵抗するならこれ以上はしませんよ。」
耳元で低く言う。ラインハルトが細い息を漏らした。熱い息と、下腹部に響く声とにラインハルトが抵抗できるはずがない。彼は、彼自身がロイエンタールにその点で勝るなどとは考えていない。実年齢では9歳差だが、こちらの方はそれ以上に差があるのは明確だった。ラインハルトは未だに女性経験すらない。
男性関係はロイエンタールがはじめてだった。付き合っているわけではない。ただ時々なぜかこういう展開になってしまうのに、ラインハルトは逃げ方を誰からも教わらなかった。そうしてもう、これで四度目になる。
愛の無い、ましてや同性間での性交など拒絶すべきもの以外の何ものでもないと幼い思考で思っていたのにこれは一体どういうことかと自答するが答えは出ず、金銀妖瞳の瞳に見据えられて絆されて、俺はもしかしてこの男を愛しているのかという錯覚を感じるほど。
ロイエンタールがラインハルトの耳たぶに甘く噛み付いた。快楽などに溺れてしまう奴の気が知れないとキルヒアイスに言ったのはお前ではないのか、そういう自分の声に責められながらラインハルトはびくびくと身体を震わせた。
「ぁッ…」
「ほら、抵抗なさらないのですか?」
耳元で再度吹きかけられる熱い吐息に普段なら想像もつかない欲求がラインハルトの身体を蝕む。
「もう本当に…止められなくなりますよ?」
ロイエンタールの声。彼は言いながら首筋に顔を埋めてそこに舌を這わせた。きつく吸い上げて、所有物の印を落とす。
ラインハルトの胸の突起はその形をぷっくりとあらわし、ロイエンタールは舌先でころころと弄んでから、口に含んだ。歯で時折刺激を与えながら、手はベルトにかけられる。
片手で器用にズボンを脱がせて、下着の上からそっと触れると、ラインハルトのそこはすでに痛いくらい硬くなっていた。
「あぁ…」
気丈な上官の泣きそうな声。自身のあまりに情けない声に、彼のプライドが瓦解しそうになる。
ロイエンタールはその金銀妖瞳を細めて金色の青年を見つめた。揺れる蒼氷色の目と金銀妖瞳の目があう。彼は優しく微笑みかけた。
「閣下。」
「み、見るな…。」
顔を背けるラインハルト。みっともない顔をしているに違いないと思い込んでのことだった。身体が震えているのは何も水のせいだけではないだろう。
「何故です?こんなにお美しい顔をなさっておいでなのに。」
顎を掴みあげて強引にキスをする。ラインハルトが驚いて油断した瞬間、空いた片方の手でラインハルトの下着を脱がせた。水中に沈んでいたそこを掌で掴むと、ひんやりと冷えていた。暖めるように掌で包み込んで、上下に擦る。
「んっ……ふぁ…ん…」力の抜けたラインハルトの喘ぎ声。彼の熱の中心はその強すぎる刺激に質量を増し、血液を大量に送り込んだ。ロイエンタールにもそこがどくどく脈打っているのがわかった。
唇をはなして、水の向こうに揺らめいて見えるラインハルトの性器を見つめる。それは自身のものとは色も形もあまりに違っていた。
「閣下、もうこんなにして……前回の私の忠告は受け入れていただけなかったようですね。」
意地悪に笑って、相手の動揺を誘う。ラインハルトの瞳は揺らいだ。ロイエンタールが追い討ちをかけるように、その唇を耳もとに這わせた。わざと熱っぽい声で、続ける。
「まだご自分でお慰めも出来ないのですか?」
「ッ……」
「私がいないと、独りでは出来ないのですね。」
可愛らしいお方だ。言いながら耳に舌を挿入した。手はさらに強い刺激をラインハルトの局部に与えている。
睾丸をそっと包んだり、先端に爪を立てたりされて、ラインハルトは何度も後ろの柱に背を打ちつけた。
「閣下……ラインハルトさま。」
「あッ………ひぅぅっ」
ロイエンタールが名前を呼びながら一段と強く速くそこを擦ると、金髪をびくりと大きく揺らして、ラインハルトは噴水の中に白濁を吐きだしてしまった。

射精の疲労感にぐったりしたラインハルトを、ロイエンタールは抱き上げた。
「閣下…寒いでしょう?」
聞くと金糸を縦に揺らす。それはそうだ。行為に夢中で二人とも気に留めなかったが、下に敷かれたラインハルトは脇腹のあたりまで水に浸かっていたのだから。
「何か着替えがあればよろしいのですが…。」
そんなものが貴族の邸宅の庭先に転がっているはずも無く、ロイエンタールはありもしない可能性ではなくもっと実用的な打開策を模索した。とりあえず木陰に行ってラインハルトをそっと木の側に立たせた。木に体重を預けて力なく立っているラインハルトの側に自分の上着を置いて、その上に座らせる。彼の服も濡れてはいたのだが、地べたに座らせるのは嫌だった。

「ロイエンタール。」
不意に下から声をかけられて、ロイエンタールは跳ねるようにそちらに顔を向けた。地面を睨みつける美しい色をした双眸にかかる金色の睫毛がとても長くて見とれてしまう。
「なんでしょう?閣下。」
「寒い。」
「わかっていますよ。」
わかっているなら何か打開策を探さぬか、と駄々っ子のように口を尖らせる上官はどうやら酔っ払っているらしい。ロイエンタールは微笑んで、そういえば車にコートがあることを思い出した。
「閣下、私の車にいきましょう。」
「この格好でか。」
「違います。私のコートをお貸しします…車に積んでありますから。」
取ってまいりますよと言うロイエンタールに、ラインハルトはもごもごと何か口走った。
「何ですか?」
「車は…表にはキルヒアイスがいるのだが…。」

「はい。」
「見られたくないのだ…」
こんな格好をしていればキルヒアイスはそのいきさつを聞いてくるだろう。フレーゲルと子どもっぽい喧嘩をしてしまったこと、男数人に不覚にもまわされてしまったこと、そして最後にロイエンタールとこんなことをしてしまったこと。どれも知られていい内容のものではなかった。大事な幼馴染であり親友である彼には自分のそういう汚れた部分を知られたくない。ラインハルトはそう思った。だから、ロイエンタールの車へ行くのに、目立つところは歩きたくない。
「大丈夫ですよ。まず私がコートを取りに一人で車に行きます。そして、車を裏門の方にまわしましょう。そこからお迎えに上がりますので……そっと出られますよ。」
ラインハルトは嘆息して頷いた。ロイエンタールはその濡れた金色の髪を指で絡め取っ手から、
「直ぐに参りますから…身をお潜めになってお待ち下さい、閣下。」
耳もとでそう囁いて、桃色の頬にそっと口付けた。

ロイエンタールに借りた大きな黒いロングコートを着ると、細くも無い足と濡れた革靴。袖からは指しか見えない。濡れて破れた服の破片はすべてロイエンタールが拾って、彼自身は濡れたまま、裏門というよりも崩れかけた壁から外へ出た。
車の中は既に暖房がきいていてラインハルトは助手席のドアをあけてもらってそこへ乗り込んだ。
「……。」
シートの上に丸くなる。
「閣下、これを…」
大きなタオルを運転席側に回ったロイエンタールから受け取って、ラインハルトは頭を拭いた。
「一旦私の家にいらっしゃいますか?服もないし…ちゃんと身体を温められた方がよろしかろう。」
「それはそうだが…キルヒアイスが心配せぬだろうか…。」
「大丈夫です。キルヒアイス中将には私からちゃんと上手く伝えておきますから。」
ラインハルトは車のスイッチを押すロイエンタールの横顔を見やった。見られてハンドルを握りながら微笑み返してくる金銀妖瞳。ラインハルトは目をそらした。
何故、組み伏せられたときに抵抗しなかったのだろう。なぜ今こうして彼の車におとなしくおさまっているのだろう。
「信用してくださらないので?」
アクセルを踏みながら後ろから声。ラインハルトはそちらは見ずに頭を左右に振った。
「違うのだ。私は考えていた。」
「何をです?」
「卿は、私を愛しているのか?」
ラインハルトは振り返って、その横顔を見つめた。黒い瞳が一瞬驚いたように見開かれたが、すぐにいつも通りの無表情に戻って。
「愛してますよ。」
平然と言われてしまって対応に困るのはラインハルトのほうだった。愛していると、姉にだって面と向かってはあまり言わないのに。まさかこんなにも簡単に、ロイエンタールが言ってしまうなんて彼は予想もしていなかった。それ以前に返答などあまり期待していなかったのに。
「閣下は、」とロイエンタールは返してきた。戦場で常に最前線にたって大艦隊を率いている時などの緊張感とは全く別の、べっとりと汗ばむ粘着質な緊張感にラインハルトはひどく狼狽した。それはロイエンタールが運転しながらでも見て取れるほどの明らかな反応だった。
「閣下は、私のことを愛していらっしゃいますか?」
「あ……いしてはいない。と思う。」
ラインハルトは窓の外を見つめた。流れていく景色。外を歩く人影はもうほとんどない。
「わからぬのだ。自分でも。」
喉の奥で呟くように、彼にしては歯切れの悪い言葉だった。

ロイエンタールの邸宅は夜会のあった家よりも質素ではあったが、ラインハルトのものよりは一回り以上も大きかった。
「驚かれたでしょう、小さな家で。」などと野暮なことをロイエンタールは言わなかった。ただどうぞ、とだけ言って金髪の上官を招きいれ、大きなバスローブをもって来て、暖炉の前のソファに座らせた。
火がすでにくべてあったところを見ると、この屋敷には使用人がいるのだろう。車の中でロイエンタールがどこかに連絡していたのをラインハルトは思い出した。
「何か温かいお飲み物をお持ちいたします。それと風呂を沸かしましょう。」
あまりに慣れすぎたその俊敏な動きにラインハルトは小さく「女たらし」と呟いたがロイエンタールは意図的に無視をした。
「私は着替えてまいりますから、こちらでしばしお待ち下さい。」
ロイエンタールはそう言って部屋を出て行った。
ラインハルトがソファの上で暖炉の炎を見つめながらうとうととまどろんでいると、年老いた女性がトレイに白いマグカップをのせて入ってきた。
「あ、えっと…すまぬな、フラウ。」
ラインルトが短く礼を述べると慈しむような優しい微笑みが帰ってきた。
「オスカーさまの漁色が最近お止みになられたと思ったら……こんなにお綺麗なお嬢様とご縁があったのですねぇ。」
何か勘違いされてやしないかとラインハルトは何か言おうとしたがやめた。自分のどこをどう見れば女に見えるのか甚だ疑問ではあったが、こんな老女にわざわざ説明するのも面倒だし、勘違いされたままのほうが楽だと踏んだ。
ラインハルトにはそれ以上にひっかかる言葉があった。老女の退室していく後ろ姿を眺めながらラインハルトは一人ぽつりと呟いた。
「オスカーって…………誰だ。」