今一度正確を記するならエド→リザ→ロイ→エドです。
きっかけは、ひどく単純なものだ。
リゼンブールからの帰り、俺はピナコばっちゃんの作ってくれた弁当を食べながら窓の外を眺めていた。
これからいくのは東方司令部。とは言っても報告書や始末書などを持っていくわけではなくて、ただそこを通過するついでに顔だけ出しておこうというだけの理由だった。
「そういえば兄さんってさ、」
目の前に座る大きな鎧、弟の声で俺は視線をそちらへ向けた。表情のない鉄の体に弟の影を映して俺は「何?」と短く返事。アルはなぜかくすくす笑い声をたてて、
「思ったんだけど兄さんって、ホークアイ中尉のこと結構褒めるよね。」
「ほぉーはぁ?」
「もー口の中が見えてるよ兄さん…」
アルの声に俺は食べかけのウインナーを噛み砕いて飲み込んだ。
改めて、言いなおす。
「そーかぁ?そんなつもりねぇんだけど…」
「だって、ほら、あの人は有能だし美人だって、さらっと言ってたよね。」
「ホークアイ中尉は有能だろ?」
事実じゃねぇか、と俺は言いながら丸いパンをかじった。中にチーズが入っててあんまり好きでもないけどカルシウム摂取のためには仕方がない。店で買ったジュースで飲み込む。
「それに実際ブスじゃねーだろ?」
「美的感覚は個人的嗜好に依るところが大きいんだよ、兄さん。」
「ンなこたぁわーってんだよ。」
俺は足を組み直した。
「じゃあアルは中尉を美人だって思わねぇの?」
「そりゃ思うけど…」
「だろー?理屈じゃねぇんだって理屈じゃ。」
俺がそう言ってパンの最後のひとかけらを飲み込んだところで、弟がぽつりと呟いた言葉に俺は喉をつまらせそうになった。
「なんか、兄さん、ホークアイ中尉に恋してるみたいだね。」
「ぶはッ!!げはっ……がは…」
「あぁ、兄さん大丈夫!?」
心配そうに前かがみになるアルフォンスを俺は手で制しながら、空いた手でジュースに手を伸ばす。喉の通気をよくしてから、
「アル!アルが変な事言うから!」
「ごめんごめん〜」
「ったく……」
その時は、彼女の話題はそれきりだった。
次はーイーストシティーイーストシティー。
そういう妙な音程の車内アナウンスが響いて俺は目を覚ました。
瞼をこすって両腕を伸ばして、「おはよ、兄さん」の声にあぁ、とだけ答えて座りなおす。
「ねぇ兄さん、せっかく司令部に顔出すんだしさ、お土産買って行こうよ。」
「あのなぁ…」
遊びに行くんじゃねぇんだぞ?と俺は半眼で言ったが実際遊びに行くようなもので。
俺はお土産何にしよう、と思案するアルの姿を視界にいれながら、すっかり変ってしまった窓の外の景色を眺める。
「食いもんがいいんじゃねーの?」とだけ言っておく。
「やっぱりそうかなぁ、でもみんな嫌いなものとかあるのかなぁ…」
「……。」
みんな、と言うアルの言葉に俺は東方司令部ロイ・マスタングきかの面々を思い出した。
ロイ・マスタングは相変わらずだろう、俺の顔をみるなり嫌味ばっかり言いやがって仕事なんて全然してないに決まってる。ハボック少尉はまたタバコ吸ってんだろうな…だるそうな顔してでっかい体を丸めて事務作業が似合わないったらありゃしない。ブレダ少尉はあんなに外回りしてんのになんでやせないんだろう。やせたら案外モテるかもしれない。ファルマンは黙々と真面目に仕事してそう。あの人図書館につれてったら多分辞書いらずで便利だろうなってたまに思ったり。フュリー曹長とはいつか横に並んでみたい。どっちがでかいんだろう…ま、十中八九俺だけど!
そこまで考えて最後にあの有能な副官と名高い彼女を思い出した。そういやウィンリィがピアスをあけたのは彼女を倣ってのことらしいが。俺に言わせりゃ全然違う。ウィンリィが可愛くないわけじゃないんだけど、なんかこう……中尉とは何かが違う。
俺は頭をひねった。何が違うんだろう?………胸?
「いさん…兄さん??」
「へ?」
アルの声で俺は我に返った。
「な、何?」
「何って……兄さん一人で考えこんじゃってどうしたんだよ。ほっぺた真っ赤だよ??」
アルの言葉に俺は慌てて否定の言葉を紡いだ。けれどアルはまだまだ俺をからかう気満々で。
「あー、もしかして兄さん、中尉のこと考えてたんじゃないのー?」
言われて俺は自分の思考を覗かれた気がして慌てて視線を外へ向けた。
「ち、ちげーよ、馬鹿ッ」
「あはは、兄さんったら焦っちゃって!」
ますます真っ赤だよ、の言葉に逃げ道はもはや沈黙しか見つからず、俺はむっつり黙り込んだ。
黙り込んでアルのからかいから逃れて、けれど俺は自問せずにはいられなかった。
俺ってマジで中尉に惚れちまったんじゃねーかって。
答えの出ない問題ほど頭を悩ませるものはない。
錬金術には幾分かの哲学的思想が含まれてはいたけれど基本的には数学的見地と科学的根拠から成り立った学問だ。だから答えは常に存在して然るべきだった。例外は除くけど。
人間の心理に模範解答はない。まぁそれは俺でもわかる。でも、そんなこと、馬鹿馬鹿しい。
俺は頭を振った。東方司令部の門の前。大きな建物を見上げて、また頭を振った。
「兄さん、大丈夫?頭でも痛い?」
本気で心配そうな声。俺はアルを見て微笑んだ。
「いんや、なんでもねー。」
そうは言うが今日の俺は必要以上に神経が過敏で、司令部内を行く軍人の世間話すら耳についてはなれない。早く早くこの喧騒から抜けたいと思えば自然足は速くなる。待ってよぉという弟の声を背に俺はまっすぐに大佐のいるであろう執務室に向かった。
そして俺は自分の愚かさを呪った。
「あら、エドワード君。」
ノックして入った瞬間、思い描いていた顔と声が視界に飛び込んできて俺は派手に転倒した。後ろから悲鳴に似た弟の声がする。
「ああぁっ!に、兄さんッ!?」
「エドワード君!?だ、大丈夫…?」
鼻面をおもいきり床にぶつけて、俺はそこを手で押さえながら立ち上がった。ちょっと驚いたように瞳を開いて、唇に手をあてる中尉。やっぱ可愛い。
そう思考を進める俺自身に俺は慌てた。何が可愛いだよ馬鹿。ガキがいきがってんじゃねぇよ…。
「へへ、だ、大丈夫…」
あーあ、空しい笑い声。その時奥から今一番聞きたくない声がして俺は嘆息した。
「また君かね、騒がしいから姿が見えずともすぐにわかるよ。」
「るせーお呼びじゃねーよ。」
俺はそれでも幾分か救われた思いでその言葉に反論した。今中尉としゃべったら絶対しょうもうないことばかり口にするに違いない。彼女にそんなこと聞かれたくなかった。大佐となら頭でなく反射神経で会話できるから楽だ。別にこんな奴に好かれたくなんかねーし。
「何か用かね。」
指先でペンを回しながら大佐。俺はその大きな机まで歩を進めて片手をついた。見ればたくさんの書類の上に散乱したメモ帳。こいつ落書きばっかしてんじゃねーか。
「あんたまた仕事もしねーで何やってんだよ…」
俺はその一枚を手にとった。なにこれ、四本足の……下にブラックハヤテって走り書き。ああ、これ犬なんだ、と俺は前に見せてもらった中尉の飼い犬を思い出した。そして何気なく裏返すとそこにはどうやら人間らしき絵。
「あぁあッ!!か、返したまえ!!」
慌てて身を乗り出す大佐を机を挟んでひらりとかわし、俺はふふんと鼻で笑ってその紙にもう一度目を落とした。えっと何なに……full metal……
「………何これ………。」
「返しなさい、鋼の!」
いつのまにか立ち上がった大佐が俺の手から落書きを奪い取る。
「あんたそれって……」
「なんでもいいだろう!それより、何をしに来たんだねッ!!」
慌てる大佐なんて珍しいなーと俺はしばらく眺めてから、別に、の一言。
「別に……たまたま寄ってみただけ。」
言いながら肩越しに後ろをのぞく。アルが中尉を話をしているようだ。
ちょっと、羨ましい。
「まぁゆっくりしていきたまえ。なんなら今晩私の家に…」
「絶対行かね。」
大佐の言葉は素早く遮って、俺は視線を中尉に向けたまま。その横顔、白い肌、チョコみたいな甘い色の目、束ねた金色の髪、唇。
あー…………
中尉がふいにこちらを向いて俺と目が合いそうになったので俺は慌てて顔を大佐に戻した。
「そ、それよりさ!」
未だがっかりな大佐に言う。
「なんだね…。」
「せっかく来てやったんだしさ、茶くれよ、茶!」
「鋼のは私を顎で使う気かね?」
「使う気。」
俺はソファに座った。
「もう兄さん、あんまり邪魔しちゃ悪いよ…」
アルが俺の隣に座っていった。
「あらいいのよ、アルフォンス君。それよりお茶、いれてくるわね。」
「あ、ご、ごめん…」
俺が言うと彼女はにっこり笑って給湯室へ消えた。
その背をじっと見つめていると、不意に鎧の腕で脇腹をつつかれた。
「にーさぁん?」
なんだかいやらしい声音の弟は、表情までがそう見えてしまうから不思議だ。
「な、なんだよ…」
「ホークアイ中尉のことじーっと見てたでしょ。」
「ッ、み、みみみ……見てたけどもッ」
俺は弟に嘘は言いたくないからかろうじてそう言った。
「見てたけどッ、だったら何だよ!?」
「べっつにぃー。」
むふふ、と変な声で笑うアルを俺はこいつ、とこついてやる。
さっきから退屈そうなカオをしていた大佐が声を出す。
「ほう、鋼のは女性に興味があるのかね。」
「少なくともアンタよりはな。」
面倒なので大佐の方へは一瞥もくれないが、こいつさっきから俺の目の前ずっと立っててウザいんですけど。
しばらくして中尉がトレイに載せたコーヒーを持ってきてくれた。大佐のぶんもあるみたいで、そういう気遣いの出来るヒトってすごいなって思った。
「エドワード君はお砂糖だけでよかったわよね?」
みっついれたんだけどよかったかしら?の言葉に俺はまた感動した。
前に司令部に来たとき俺が角砂糖三つって言ったの、覚えてたんだこのヒト……
「大佐はこれで目を覚ましてくださいね。」
「私はブラックは嫌いなんだがね……」
渋々色の濃いコーヒーカップを取って大佐が言う。
「わがまま言うなよ、中尉がせっかくいれてくれたんだからよ。」
ありがたく飲みやがれ。俺は言って熱いコーヒーを喉に流し込んだ。
「鋼の、君、私と中尉の扱いの差がありすぎるんじゃないか?」
甘いコーヒーが旨い。司令部の食堂で飲むおかわり自由のうっすいコーヒーとは全然違った。
「だって中尉のコーヒーって旨いじゃん。」
言って顔をあげると、中尉と目が合った。彼女はトレイを前にかかえたまま、化粧っけのない顔に笑みを浮かべた。
「ありがとう、エドワード君。」
「え、あ……」
うん、と呟いて、俺はそれ以上何も言えなかった。
前から可愛いとか美人だとは思ってたんだけどな、と俺は本から顔をあげて天井を仰いだ。司令部内の資料室。俺たちは何か新しい情報がないかと一応のチェックをしていた。
中尉のことは前から美人だと思っていたし何度も口に出したけれど、それは本当に客観的事実だと信じて疑わなかったからこそ恥ずかしげも無く言えたのかもしれない。列車でアルが言った言葉を思い出す。
――美的感覚は個人的嗜好に依るところが大きいんだよ。
あー、イヤだな。と思う。恋愛なんてしたこともないのに、こんな時にめんどくさいというのが正直なところだった。
それになんたる失態。中尉の前での挙動不審な俺の行動を彼女はどう思ったんだろう。
彼女はどう……――??
「いさん…?兄さんッ!!」
「え、あ……アル。」
大きな鎧が俺を覗き込むようにしていた。
「兄さん、もう日が沈んじゃったよ?どこか宿をとらなきゃ。」
「あ、ああ……そうだな…。」
左手で頬を撫でながら、読みかけの本を閉じた。掌に、なぜだか嫌な汗がべっとりとついて、俺は自分のズボンでさりげなく手をぬぐった。
どうやら雨が降ってきたようで、大佐のところへ資料室のカギを返しに行くと丁度中尉も帰るところだから、と言って彼女と一緒に途中まで歩くことになった。
運がいいのか悪いのか、俺には判断がつきかねた。
俺は歩くのが早い。けど中尉も早かった。
司令部で借りた安物の傘をアルに持たせて俺は興味なさげに雨に濡れる石ころを蹴飛ばす。
「そういえば中尉って、彼氏とかいないんですか?」
ぶはッ。
弟の質問に俺は吹き出しそうになったが、寸でのところで我慢する。
おいおいおい、その質問はあまりに唐突じゃねぇか?
雨が地面を叩く音と、鎧の音と中尉の足音。私服の彼女はいつもと違って女性っぽさが際立って見えて俺は正視すらできなかった。ひたすらに前方を見つめたまま。
「いないわよ、どうして?」
怒った風でもなく答える中尉の声の穏やかなこと。
「だって中尉って美人だし、モテそうだねって兄さんといつも言ってたんですよ。ね、兄さん?」
「へ?あ、あー……そうだっけ?」
「そうだよ、兄さん。何照れてんのさ。」
「照れてねーよ。」
隣の大きな鎧を蹴飛ばす。がんっと音がして俺は眉を寄せた。くっそ、俺が痛いっての。
「いって…」
「もー兄さんは馬鹿だなぁ。」
「うっせ、馬鹿ゆーな。」
睨みあげると弟が両手を広げてやれやれ、と嘆息。中尉が向こうで笑っていた。
そういえば今日はなんだかよく笑ってるな、中尉。なんでだろう、と思った。
気、遣ってくれてるのかな。それとも、俺がいるから?
もしかして俺ってちょっと、好かれてる?なんて都合のいい解釈を根拠一つ無い思考の上に重ねる愚かな俺を俺は嘲った。何これ恋の病?あーあ、重症だよコレ…。
「じゃあさ、中尉って好きな人とか、いねーの?」
彼女の笑顔に便乗した俺はさらりとそんなことを聞いてみることに成功した。言葉にしてから異様に恥ずかしくなったけどそれでも吐き出してしまった言葉を飲み込むことはもうできない。弟が間にいてくれてよかった、と思った。
「好きな人なら……」
途切れた言葉。見れば、彼女は遠くを見つめていた。
「いるわよ。」
寂しそうな目。俺は、ああ、そっか、と思い出した。
今まですっかり忘れていた男のことを思い出した。
「いるけどね、その人は私のことをそういう風には見てくださらないのよ。」
自然に敬称がでる彼女の言葉の美しいこと。
俺は、そっか、と視線を外した。好きなひとのことを話す彼女は、あまり楽しそうではなかった。
「その人は他のコに夢中なの。」
「そうなんだ……」
それがどこの誰かはわからないけど、中尉の恋敵になるくらいだからよっぽどデキるんだろうな、と俺は思った。誰だか全く予想もつかねーけど。
「うまくいかねーもんなんだな。」
俺がぽつりと呟くと、なぜか中尉は可笑しそうに笑った。
「そうね、全く、うまくいかないものだわ。」