「ちょっとどうしたの兄さん、マスタングさんとデートだったんじゃないのご飯いらないって言ってたじゃない、なんでこんな時間に帰ってきてるの。もしかしてマスタングさんと喧嘩でもしたの」
「うるさいうるさい」
アルフォンスの言葉にも、耳を塞いで通り過ぎるという模範的とは言えない態度でエドワード、がんっと床に携帯を放り出して、床に敷きっぱなしだった布団に潜り込み、毛布を頭の上まで引き上げる。
エドワードは弟の事が大好きだけれども、彼の口達者にはエドワードはいつも遠く及ばなくて、このときばかりは怒涛のような弟の台詞に頭が痛んだ。必死に布団に頭を押しつける、アルフォンスの声に膜が掛かるまで必死に。
「もうまた携帯壊れるよ!使わないくせに何回修理に出してるんだよ……って、にいさん?」
布団の側まで来て小言をならべていた弟が、布団の殻に籠もってしまった兄を見て、初めて優しく問いかけた。
「どうしたの?頭、痛い?風邪?」
ここまでしなきゃ分かんないのか薄情者!と思いつつも、口に出すのも煩わしい。布団から出した右手を振って、あっちに行け、と合図する。はぁと言うため息が聞こえて、兄は自分の子供っぽい言動を顧みて、あまりの兄らしからぬ態度に一瞬羞恥と罪悪感を感じたが、布団を握る事でそれに耐えた。
「………風邪薬と水、ここに置いておくからね」
しばらく間が空いて、2度目の溜息と共にことんとお盆を置く音、気配が去って、肩越しに恐る恐る振り替えると、お盆の上にはコップ一杯の水と風邪薬。
「……風邪じゃねぇよ」
風邪じゃない、ともう一度呟く。アルフォンスに聞こえたら、とって返してくるかも知れないから、極力小さな声で。
風邪じゃない、ロイから逃げるように返ってきたのは、あれ以上一緒に居たら何を口走るか解らなかったからだし、顔色が悪いのだって、あいつが浮気なんてしてたからだ。浮気一つでこんな右往左往するのもみっともないと思ったけれど、それもこれもロイが自分を裏切ったからだ!とエドワードは結論づける。自分の思考回路が、いつもとずれたところを走っていくのにも気付かない。
だいたい、恋人がしんどそうで早く帰ったのになんだ、心配の電話もしてこない。あいつはきっと、自分とのデートが予想外に早く終わったから、これ幸いにと浮気相手の所に行ってるに違いない。
………普段、しんどいときには電話すんなメールもうっとい!と公言して憚らないのは自分のくせに、エドワードの頭の中からそれらの事は全部忘れられていて、まぁつまり、彼は今までに類を見ない程、恐らく人生でもっとも混乱していると言って良かった。
さて、何やら調子の悪いらしい兄貴(本人は気付いていないようだが、彼の顔色は本気で悪かった)の恋人は、次の日花束と、それからアルフォンスの好きな和菓子屋の袋を持ってやってきた。
花なんか貰って、エドワードは一度も喜んだ事がないのだが、それでも懲りずに持ってくる辺りロイマスタング本人のこだわりなのかどうなのか。アルフォンスはとりあえずありがとうございますと言いながら、花は水場の洗い桶に突っ込んで、本命の和菓子を受け取る。
「エドワードは?」
「部屋で寝てますよ。風邪だったみたいで」
アルフォンスの言葉に嘘はない。実際兄は、昨日ロイとのデートから(恐らく途中で、しかもエドワードの都合で)真っ青な帰ってきた後、布団に潜り込んで寝てしまった。朝もとても起きあがれる状況ではなくて、仕方なくアルフォンスは学校を休んで(休む必要もなかったと思うのだが、これもまたアルフォンスなりの愛情表現で)看病を。と言っても当のエドワードは朝から起きても来ないから、溜まっていた洗濯や、トイレ掃除など家事に専念しているのだが。
そう言われたロイが、ああやっぱり風邪だったのか、とエドワードの変調をすべて風邪のせいだと思ってしまったのにも無理はない。彼はまさかエドワードに浮気を疑われるなんて思っても見ていないから、大きな顔押してアルフォンスにお茶を出して貰っているこの状況が、力のない声で「トイレ…」と呟きながらふらふら出てきたエドワードの逆鱗に触れるなんて完全に予想外。
「……てっめ…!」
熱でボンヤリとしていた眼光が急に引き絞られてロイの顔面を射抜いたとき、ロイは完全に無抵抗で、とっさに掴み掛かられたのに対処できなかった。
「兄さん!」
兄の突発的行動には免疫のあるアルフォンスの方が、反応は早かった。が、その静止より早くエドワードはロイを押し倒す。
「え、エドワード!」
したたかに床に倒されて、あわや頭を打ちそうになるところを、辛うじて顎を引いてそれを避ける。
「今更のこのこ来やがって…!」
ロイに馬乗りになって、今にも殴りかかりそうなエドワードは、「あいつは電話もしてこない!」と薄情呼ばわりしていた事などすっかり忘れている。
「マスタングさん、何かしたんですか」
エドワードの剣幕に、アルフォンスがロイに怪訝そうな目を向ける。「体調不良の兄さんに無理矢理手ぇ出したんじゃなでしょうね」と、その目は言う。
その意図する所を正確に悟って、ロイは心外そうに声をあげた。
「な…何もするわけないだろう、昨日私はちゃんと紳士的に行動したつもりだ…!」
「何が紳士だ!浮気してやがったくせに!」
「……………え?」
「…マスタングさん、浮気してたんですか?」
アルフォンスが目を丸くした。第三者の弟から見ても、マスタングの兄への執着ぶりは普通でなかったから、まさか浮気なんて、と。
「は、な、エドワード、何を」
「あんたを殺して俺も死ぬ…!」
昼メロばりに、そう宣言する熱っぽさを孕んだエドワードの瞳に、ロイが本気で死を覚悟した瞬間、かくんとエドワードの身体から力が抜けた。
「………へ?」
「兄さん!もー、熱あるのに無理するから!」
ロイの胸に身体を預けて力尽きたエドワードを抱き起こしながら、アルフォンスが言う。
突然の展開に、またくついて行けなかったロイは、自分の身体の上からエドワードがどかされて身体が軽くなった後も、腰が抜けたように呆然と座り込んだまま、兄を介抱するアルフォンスを見ていた。
「ところでマスタングさん、本当に浮気したんですか?」
「………まさか!」
アルフォンスの2度目の質問にも、とりあえずそれだけ答えるのが精一杯で。
「……結局マスタングさんの浮気は誤解だったの?」
「誤解っつーか、なんであんなん思ったか分かんないんだけど」
熱でおかしかったんかなーと笑うエドワードに、そうかもねーと和やかに弟。
丸三日高熱を出して点滴を受けて、やっと起きあがれるようになった兄は、あはははと爽やかに笑った。
「まったくもー、兄さん体調管理全然出来てないんだもん。風邪うつされてるのに気付いてないでバイト行ってるし。」
「しゃーねーじゃん、バイトがみんな休みって聞いたから出てたんだよ。あ、ロイ、リンゴ剥いてー」
「もう兄さんったらお人好しなんだからー。マスタングさん、僕もお願いします」
「……………」
結局一番の被害者は私じゃないか、とロイマスタングは声に出さず(出せず)、見事に悲劇のヒロインを演じきってくれた恋人とその弟のためにリンゴを手に取った。