この人と一緒には暮らせないな。 エドワード・エルリックは掛け布団から頭を出して、枕を抱きかかえながら思った。
素肌に柔らかい純白の寝具は高級感にあふれていた。薄暗い照明は暖色系で遠くでシャワーの跳ねる音が聞こえる。
エドワードは少しだけためらってから、思い直してベッドを出た。ホテルの部屋は暖房が効いていて暖かかったが、それでも布団から出た瞬間、彼はその白い肌に少しだけ鳥肌をたてた。
ソファに投げ捨てられたままのナイトガウンを全裸の上から羽織って、分厚いカーテンを少しだけ引く。
街はまだ眠ってはいなかった。
宝石箱をひっくり返したみたいな、色も形も不揃いな光。
カナダの夜景の方が好きだな。そうこぼしたのは彼の弟だった。あそこでは、街で街灯の色が統一されていて、高速道路から見える夜景がとても綺麗なんだよ。暖かい橙色が等間隔で綺麗に並んでるんだ、理路整然としていて、でもそれは決して強制されたという印象を受けない。日本人と、これは美的感覚の違いなんだろうね、街を形成する上での考え方の違いなのかもしれない。僕は、綺麗なものが好きだから、東京の夜景は好きにはなれない。
エドワードは東京の夜景が嫌いではなかったけれど、その時はなにも言わずにとりあえず頷いた。
ばらばらで、不完全で、統一性なんてない、東京の夜景は醜いけれど嫌いじゃない。恋人にそう言うと、彼は笑って、君らしいねと答えた。
彼は、好きだとも嫌いだとも言わなかった。
その時、エドワードは、ああ、この人と一緒には暮らせないなと漠然と思った。
付き合い始めて7回目のクリスマスは例年よりも暖冬だそうで、去年は降り積もった 雪も今年は気配すらなかった。外との気温差で曇った窓に指を添える。指先が濡れて、エドワードは何か落書きしようかなと思ったがやめた。
掌で霜をぬぐうと、外の景色と、反射した自分が良く見えた。反射した自分、乱れた前髪と、首をくるりと囲む赤い跡。エドワードは霜で濡れた掌でそこをなぞった。痛い、というほどのこともない。でもしばらくはマフラーか何かで誤魔化さないと、多分日が経つにつれて赤か
ら黒っぽくなる類のものだから、誰かに見られると面倒くさい。言い訳を考えるのが、エドワードは苦手だった。
エドワードはカーテンを閉めて、ガウンの腰紐を締めなおした。
額にかかる前髪を左右に払って、そろそろ髪切らねーと、そんなことを思いながら腰を屈めてワンドアの冷蔵庫から缶ビールを取り出した。
栓をあけようと指をかけて、エドワードはやめた。
缶をもとあった場所にしまおうとして白い冷蔵庫の扉を開いたが、さっきまでそれのあった場所は後ろに控えていた同じ銘柄のビールに占拠されていて、無理やり押し込もうとしたが無理だった。
しくったなーとエドワードは苛立ちを覚え、その場に しゃがんでしばらくその缶ビールと格闘したがいい加減諦めて、というか冷蔵庫の冷気に負けて、ドアを閉じた。
このビールは持って帰ろう。エドワードは弟の顔を思い 出していた。
「浴びてくる?」
浴室から出てきたさっぱり顔のロイが、エドワードに微笑みかける。エドワードはソファの上で頷いたが一向に立ち上がる気配がない。ロイがテーブルの上に置かれた缶ビールをみて、飲まないの?と聞くと、エドワードはまた頷いた。
「飲もうと思ったんだけど、気変わったんだ。」
「じゃあ私が貰おうかな。」
「だめ、これアルのだから。」
ロイは首をすくめて、じゃあ仕方ないねと呟いた。エドワードのすぐ隣に座って、エドワードの頭を撫でる。そのまま抱き寄せて、耳元に唇を押し付けてくる。
ぞくぞくと、エドワードは鳥肌をたてた。気持ちいいと素直に思って、けどこのままセックスするのは面倒くさいなと思った。
ロイの舌が耳の穴にねじ込まれる。エドワードは呼吸を荒げた。面倒くさいけど、このままやめるのは嫌だなとも思う。けど、またセッ クスしたら、朝日が昇るまでこの部屋にいることになるに違いない、せっかく帰るっ
て決めたのに。
ロイの手が、エドワードの頬に触れて、顔の向きを変えられる。目が合ったけど、すぐにキスされて見えなくなった。エドワードは舌をさしこまれて、瞳を閉じた。
長いキスをして、素直に気持ちよくて、けれどエドワードはそっとロイの、ガウンのはだけた胸を手で押した。
「俺、シャワー。」
言ってから、少し後悔した。エドワードは、伏せていた瞳をそっと上げると、ロイは優しく笑っていた。
「そうだった、ごめんね。」
ロイは、ちっとも寂しそうじゃなかった。エドワードは、また、同じことを呟く乾いた声を心の中に聞いた。
シャワーを浴びて目が冴えてくると、エドワードはますます家に帰りたくなってきた。
ロイには悪いけれど、自室のベッドの方が、ホテルで眠るよりもはるかに落ち着くんだ。朝起きて、自分のペースで仕度できるのがいい。ホテルだとそういうわけにはいかない。ロイの出勤時間も考えないといけないし、第一自宅とは勝手が違う。洗面所の作りも、鏡の位置も。
そういう細かいことが、朝の仕度には重要だった。
エドワードは髪についた泡を流しながら、早く帰りたいという思いを強くしていった。
洗い立ての髪を高い位置で結って、エドワードは浴槽で足を伸ばした。
「っはぁ…」
脱力。ぬるい湯に少しばかり失望するが、そんなところまで文句を言うのも面倒くさ い。エドワードは両腕をバスタブに預けて、天井を見上げた。疲れたな、と言いかけてエドワードはその言葉を呑み込んだ。自分でも少し驚く。
クリスマスイブの夜、ロイと食事をして、ホテルに泊まって、翌日はエドワードのリクエストでアミューズメントパークに出かけて、またホテルに戻ってきて。
楽しかったと思う。かなり。こんなに恋人と一緒にいることなんて、エドワードにしては珍しい。
ロイは社会人で、年齢の割りに高い地位についているし、エドワードは今年大学3回生で、就職活動はしていないが、大学院のための試験勉強で世の大学生よりは忙しい日々。会える、と言っても、一緒に夕食を食べて分かれるのが常だった。
エドワードは、滅多にロイの家に泊まらない。
俺ってほんとにロイのこと愛してんのかな?と彼は時々不安になる。相手の気持ちよりも、最近は自分の気持ちの方が疑わしい。
唇を重ねながら、エドワードは明日早いから早く寝たいなと考える。恋人の、猛ったそれを舌で愛撫しながら、来週のプレゼンのことを思い出す。
気持ちよくないわけではないのだ。その証拠に、セックスの途中で、いつのまにかそんなことを考える余裕はなくなっているから。
エドワードは首筋を撫でた。
さっきよりもそれはかさついているような気がして、かさぶたにでもなったかな?とエドワードはお湯をかけてみた。
シャワーを浴び終えて、ドライヤーで髪を乾かす。全裸のまま部屋に出て行くと、ロイがいない。エドワードは体を冷やさないようにとりあえず自分のボストンバッグから服をひっぱりだした。着替えて、部屋を見回す。
分厚いカーテンが少しめくれていて、エドワードは、ロイがベランダにいることを知った。
服の上から分厚いコートを羽織って窓をあけると、ロイがゆっくりと振り返った。右手にある白い棒から、煙が出ている。
「中で吸えよ。風邪ひくぞ?」
ロイは、首を横に振って、
「帰るのかい?」
「うん。」
「送るよ。」
「いいよ、タクシーで帰るから。金だけ貸して。」
ロイは、楽しそうに笑って、仕方のない子だね、と言った。
タクシーで家まで来ると、エドワードは思わず安堵の吐息。ますます、自分のロイへ対する感情を疑うが、安心したのも事実、ロイを愛しているのも事実だ。
そう信じて、エドワードは鞄からカギを探り当てた。ドアノブをひねると、中は暗闇。エドワードは電気はつけないで、なれた足取りで自分の部屋の前まで来た。隣は、アルフォンスの部屋だ。エドワードは、覗いてみようかなと足をとめた。
けれど、すぐにやめた。
部屋はしんと静かだ。
エドワードは自室のドアノブを、音をたてないように そっとひねった。扉を閉めて、電気をつける。 エドワードは、思わず、「ぇ」と声を出してしまった。
自分のベッドの上に、今年成人を迎える弟が、丸くなって眠っていた。
明かりのせいで、瞼を少し痙攣させて、うっすらと瞳をあける弟に、エドワードは、部屋を間違えたんだと慌てて廊下へ飛び出した。
部屋の扉を確かめて、やっぱり俺の部屋だよな、と小さく呟く。
「兄さん、帰ってきたの?」
部屋の奥から聞こえてくる声に、エドワードはびくっとした。
「ぅ、あ…ああ…今さっき…」
中途半端な返事をしながら、部屋に戻ってきた兄に、アルフォンスはまだ眠そうな表情のまま、笑った。
「おかえり、兄さん」
寝起きの顔は、昔から変わらない、甘くて綺麗な弟の笑顔に、エドワードも自然と口元が緩んだ。
「ただいま、アル」
「寂しかったよ?」
「うん、俺もだよ。」
「良かった、帰ってきてくれて。」
むっくりと起き上がった弟は、昔とは違って背が高くて、エドワードが抱きすくめられるとすっぽりとその体に包み込まれてしまう。けれどエドワードは、いつも弟に抱きしめられるたびに抱きしめてあげなきゃと感じる。腕をいっぱいにのばして包んであげなきゃと感じる。
エドワードは、ぎゅっと腕に力をこめた。
「好きだよ、兄さん」
優しい弟の言葉に、エドワードはうなずいた。