Baby, you're my home.
もう何年前のことだったか、正確なことは覚えていないけれどとりあえずその日は寒くて、エドワードが機械鎧の付け根が痛いとこぼしていたから、冬の話だったか――正直なところロイはあまり記憶が定かでなくて、寒かったという割に彼は相変わらず薄着だった気がするし、自分も相変わらず軍服だったから季節感がなくて――彼が居たときの記憶はなぜかすべて靄が掛かっていて、彼の笑顔とか仕草とか断片的な指の動きとか言った言葉とかは覚えていても、それが一つにつながることはなくて、写真見たく脳裏に浮かぶことはあっても、それが動くことはない。
彼の声だって曖昧で、分かれたばかりの頃はあんなに忘れるものかと思っていたのが、すっかりあやふやで、記憶の中のロイが彼の物だと思っている声も、おそらくはロイが勝手に想像した声で、しかもその声が聞こえる先にいるのは記憶にはないロイが勝手に生み出したエドワードの笑顔。多分この先もそれが動き出すことはないだろうし、当然ながら動く彼に出会う事も。
彼が居ないと死んでしまうと思っていたのが、彼が居なくても案外長生きして、彼以外の人間と家庭を作って、自分の好きだった金の髪とは正反対の真っ黒な髪の小さな子供達に囲まれて、なんと幸せまで感じるようになって。あれから何年も。
兄さんが居なくなったと、巨大な体躯と裏腹に可愛らしい声の弟、滅多に1人で司令部の門を通ることがなかった彼が、騒がしく司令室の扉を開けたものだから、リザまでが驚いて一瞬手を止めて、(エドワード相手なら冷静にノックして入ってきなさいと言うのに)見開いてまん丸い鳶色の瞳、それは大変、とつぶやく。彼女は機敏な動作で立ち上がろうとする自分の上司を静止し、詳しく話してくれるかしら?と微笑んだ。
賢者の石の情報も元の身体に戻る術も、すべてが手詰まりで、もともと雲を掴むような話、そう簡単に辿り着けるものではないとわかっていても空回りしている感は否めなくて、周期的に訪れる発作のようなもの、いつも端緒はエドワードの機会鎧の指先の不調、そのあと宿にいても二人何もしゃべらないとか、かと思えば空騒ぎをしてみたり、そんな状態が2、3日続いて、そのうち顔色の変わらないアルフォンスはともかく、エドワードは真っ青な顔で明らかに情緒不安定。食欲もなく、そんなときに限って病的に文献を読み漁って、体調不良で倒れるまでがひとつのサイクル。うんうんうなった後快復してみればいつもの元気な兄の出来上がりという、いつものパターン。
「昨日はその第三段階まで来てたんですけど」
つまりは朝から顔色が悪く、話しかけても生返事、これはそろそろ来るぞとアルフォンスが危惧していたとおり、真っ青な顔のまま図書館に行くと言い出して、止めるのも無駄だからとアルフォンスは黙認した。
兄の一番困るところは、自分の体調不良を絶対に自覚しないところで(誰も気が付かないアルフォンスの情緒不安定には誰よりも先に気が付くくせに!)、たぶん毎回そう、いつも倒れた後、疲れてたのかなーとぼやくのがその証拠。
問題はそこから。図書館に行ったはずの兄は閉館時間が過ぎても帰ってくる気配がなくて、あわてたアルフォンス、片付けをしていた顔見知りの司書に尋ねてみればとっくに帰ったとのこと、どこか途中で行き倒れているのではないかと一晩町中探し回って見つからず、最後の頼みの綱はここで。
「普段なら、兄さんのことだから大丈夫って思うんですけど」
鎧から流れてくる声は、不安をいっぱいに内蔵していて、聞いているほうの胸が痛くなるくらいの。
きっとすぐに見つかるわ、だから安心して、といつにもなく優しい声のホークアイ中尉は、外回りをしていたファルマン准尉に連絡を。普通の少年でない分、どんなことに巻き込まれているか予想が付かないのが彼の怖いところで――そうそう簡単に身代金目的の誘拐に遭うことはないだろうけれど、それよりもずっと厄介な相手(たとえば、国家錬金術師に恨みを持つ反政府組織とかテロ集団とか)に狙われる可能性のほうが高いから。
アルフォンスはアルフォンスで、ボクが兄さんについていなかったから、とかいつものことだからって安直に考えすぎたから、とか言い出したから、ハボック少尉があわてて別室に連れて行った。
ロイは終業時間きっちりに執務室を飛び出した。まだそのときにはエドワードは見つかっていなくて、それでも大佐という立場上まさか仕事を放り出すわけにも行かず、集中力を欠いたまま結局もう行ってくださいとホークアイはため息混じりにつぶやいた。エドワード君が心配なのは大佐だけではないんですよ、といいながら、書類をまとめるホークアイに頭を下げて、町へ出る。
そのときにはすっかり外は暗くて、外気もかなり冷たくて、こんな中宿にも戻らずどこへ行ったのだろうかと。
町中探して、見つからなくて、仕方なくいったん帰宅した家の前に彼はいた。
「鋼の?」
金色の髪、金の瞳、紛うことなくそれはいなくなったと騒がれている渦中の人エドワードで、銘を呼ばれてエドワードは少しびくっと肩を震わせた後、恐る恐るロイを見上げた。
「……探した?」
「当たり前だ。いつから居たんだ」
「さっき。……やっぱ探したんだ」
悪びれもしないエドワードの態度に、もう殴ってやろうかとロイは思う。最初のあの、おびえた表情がなければそれこそ一発くれた後説教でもしたかったが。
「熱は?しんどくないのか?」
「あー…うん、大丈夫。それより肩が痛くてさぁ」
顔に手をやると、くすぐったそうに少し首を振って、それから生身の手を重ねてきた。生身でこれなら、鋼の義手はどれだけ冷たいのか。
「鋼の?」
そういえば彼がそんな弱音を吐くなんて珍しいと――よっぽど弱っているのかと心配になる。冷えた肩を抱いて中に入ろうと促すと、彼は小さく頷いた。
「なぁ大佐」
「ん?」
「もしこれから先、俺が今日みたいに消えたらさ――」
そこで一旦切って、彼は言いにくそうにごにょごにょと口を動かしてから、言った。
「たぶん、俺は後悔とか、しないと思うんだけどけど、俺の周りの人がすごく一杯悲しい思いするかも……だし、俺はそんな事全然望んでないから、周りの人には出来るだけ――っていうか、忘れてくれたらいいやって思うんだけど」
「うん」
どうしてそんな哀しい事を言うんだろうと、ロイは相槌を打ちながら思ったが。
「大佐だけはさ、……たまには思い出して、泣いてくれたら嬉しいなって思うんだけど」
……結局それから何年も経って、彼は本当にいなくなって、最初は悲しがっていた彼の周りの人たちもゆっくりと自分の時間を過ごして、彼は段々思い出になっていて、ロイもその中の1人で。
あの時の台詞はあまりにも彼らしくなかったから、嫌な予感と一緒にそれは全部彼が弱っていたからだと(実際次の日元気になった彼は、周囲にかけた迷惑も何のその、普段通りクソ生意気なガキに戻っていた)ロイは勝手に思って、いつのまにか忘れてしまった。この台詞を思い出したのは、彼が居なくなって暫くしてからだったが、その時にはもう涙も出尽くして、案外すっきりして自分の人生を歩んでいた。
多分自分はあの台詞に判ったとか何とか承諾したはずで、今の状況を鑑みるにすっかり嘘つきになってしまった訳だけれど、それは別に構わないと、これまた勝手だがそうロイは思っている。本当にエドワードが、ロイが泣く事を望んでなんか居なかったと思うから――。
それでも、(例え彼が居ない事に涙が出なかったとしても)、金色の髪とあの意志の強い金の瞳は、消えることなくロイの記憶にこびりついて剥がれないまま。