「……………」
「あけましておめでとう」
寝起き特有の少し腫れぼったい瞼に前髪が掛かるのを、緩慢な動作でロイは振り払った。恐らく昨晩から着たままのくしゃくしゃに寝皺の付いたシャツに、少し緩められたベルト、指一つ動かすのも億劫だと言わんばかりのだらだらとした動きに、エドワードは間が悪かったと後悔する。
「ロイ?」
「……寒い から」
新年初逢い引きのロイの第一声は単語だった。中に入れとか、多分そう言いたかったのだろうけど、後半は完全に口が動いていなかった。エドワードの背中を押して中にはいることを促したロイの手は、今までベッドの中で貯蓄していたらしい甘美な温かさが抜け始めて寒さを感じ出していた。
ドアをして冷気がシャットダウンされて、エドワードは目深に被っていたフードを脱いだ。玄関に雪が落ちるのを見てエドワードは、あ、と思ったが、ロイはそんなこと気にも留めずにふらふらと軽い(一歩間違えればそれこそ昇天してしまいそうな)足取りで暖を求めて居間に向かう。帰りに掃除しておこう、とエドワードは殊勝なことを思って、今にも倒れそうなロイの背中に追いつく。痩せた、と言うか身体が丸くなった気がする。放っておいたら壁に激突でもしてしまいそうな不安に駆られて、思わず左手で腕を掴んだ。
こっち、と手近なソファに引き寄せると、すとん、と手応えが軽くなった。座ると言うより崩れ落ちると言うような。
「寝てない?」
「ああ」
いつになく言葉が最小限で、会話と言うより単語の羅列だった。ソファに座って天を仰ぎ、目を手で覆ったきりロイはぴくりとも動かない。
「寝るならベッド行かないと」
様子を窺いながら声を掛ける。反応が無くて、寝たかな?と顔を覗き込むと、気配を感じたのかロイは僅かにみじろいた。
「………う」
もう単語ですらなくてただの呻き声だ。やっぱり失敗したかも、と思う。


年越しは毎度の如く小さな村の宿で過ごした。その土地に伝わる民間伝承で、少し気になる噂を聞いたからだったが、長居したことに特に深い理由はなかった。年の瀬の寂しさを、リゼンブールもセントラルも、知っている人の所で何となくにこにこ過ごす気になれなかった。
年末に電話はした。年が明けたら会いに行く、と言うと、珍しく難色を示した。少し忙しくて相手が出来ないかもだけれど、と言ったので、別にいいよと軽く返した。特に何も考えてなかったから。
昨日汽車に乗る前に、駅から電話を入れたら、明らかに声から生気が抜けていた。あ、と思ったけれど、切符は買ったし汽車も来ていた。アルフォンスにも急かされて、何も考えない振りをして電話を切った。兄さんマスタングさんいそがしそうだった?と弟に聞かれて、だいじょーぶだいじょーぶと答えたが、実は不安を感じていた。新年にあわせてニューイヤーテロが起こったと知ったのは、汽車に乗り込む直前に、隣の見知らぬ親父が読んでいた新聞の、既に扱いが小さくなった記事が偶然目に入ったからだ。
「……今行って大丈夫かな」
「だいじょーぶだろ。何も言ってなかったし」
と言ったエドワードの手には、慌てて売店で買った新聞が握られていた。
「僕は宿で留守番してるから兄さん一人で行ってきなよ」
「え?」
電車を降りた後も、知らず知らずのうちに記事にばかり目がいっていて、アルフォンスの言葉に顔を上げて、目があって、取り繕った。握った新聞はくしゃくしゃに折れて、雪に濡れて文字が染みていた。


「寝るなら、ベッド行かないと」
もう一度促した。腕力に自信はあるが、いかんせん埋めがたい認めがたい身長差、引き摺って良いならベッドくらいまでなら運べるが、疲れ切っているのにわざわざ起きて迎えてくれた恋人をそんな方法で運ぶのは気が引けて、エドワードは遠慮がちにロイの身体を揺らす。
起こすのと、このまま引き摺っていくのはどっちが親切なんだろう、と考えている時点で少しずれている。エドワードは気付かずに真剣に考え込んで、とりあえず毛布を掛けてあげようと思い立ったのは、ロイの規則正しい寝起きと身体の温もりが左手越しに伝わってきてからやっとだった。
「起きたら絶対身体痛いぞ…」
ブランケットを引っ張って、身体に掛けながらエドワードは呟く。
熟睡というか失神してしまったというか、とにかくロイは一人深い世界に潜り込んでしまって、エドワードは所在なく部屋を見渡した。
立ち上がって書斎の方に行ったら、書斎のランプが切れていた。何かつまむ物はないかと台所に行けば、棚にあったのはワインのつまみと思しきソーセージ。乾燥したそれは、開けた拍子にころんと転がり出てきて、何となく見てはいけない物を見た気がしてそっと元に戻した。浴槽には風呂垢が溜まっていて、洗濯物が積み上がっていた。
本当に間が悪い。
家主は疲労困憊で、家全体に自分という異物を拒否されている気がする。
家の中を巡り巡ってソファに戻ってきても、結局何もすることはない。置き手紙だけして帰ろうか、電話の傍のメモとペンに手を伸ばす。ふと何の気なしにそのまま視線を横にやると、卓上式のカレンダーは未だ去年のままで、しかも新品のように真っ白だった。実生活とあまりにかけ離れた(殺人的な予定の書き込まれていない)カレンダーを手にとって、ぱらぱらとめくる。どの月も真っ白だった。カレンダー通りの生活なんてしたことないくせに、印刷された休日がむなしい。
「……恋人の誕生くらいチェックしとけよ」
本気で文句を言いたかった訳じゃない。ただ、久しぶりに会いに来たのにろくに挨拶も交わせないこの状況で、何となく何かに当たってみたかっただけだった。ぴん、とカレンダーを弾くと、横でロイが動いた。
「あ、ごめん、起こし」
「チェックなんてしなくても覚えてるよ」
明かりで目が痛いのか手で目を覆ったままで表情が読めない。しかも寝起きの低い声で、一瞬怒られたのかと思ってエドワードはたじろいた。
「ごめ…」
「あけましておめでとう、エドワード」
身体を起こしてキス、とはいかなかったが、ロイはブランケットから手を出して、ひんやり冷えたエドワードの手を握った。