だから俺は、あんたに会いにいく。
滞在していた町にある一番大きな銀行で、俺は口座の残高確認をした。国家錬金術師は金持ちだ。それは否定しない。収入源は、この国の人々から集められる税金を主としている。
人様が汗水たらして得た収入、そこから捻出される税金で俺たちは軍の仕事を補佐しながら人々の生活向上のため、日夜研究に勤しむ奉仕の人である。…というのは綺麗ごとでしかない。他の人は知らない。よく知っている身近な国錬は焔の錬金術師、ロイ・マスタングぐらいで彼を例にあげて話を進めようなんて思わない。少なくとも俺は。
というわけで俺を例にあげる。俺は、人に迷惑はかけたくないし、人の役に立てるならたちたい。けれど今は……自分と、自分の弟のことで頭がいっぱいだった。国錬になったのは、国のためでも、人々のためでもなく俺の弟のため。それは要するに、俺自身のため。
通帳をながめて、確認する。収入を表す数字、そして引き出した金額。俺は宿に帰ってその内容を紙に書き出す。一番大きい支出は交通費だ。これはいたしかたない。左手でペンを回しながら、俺は眉を寄せて思い出す。食費は、一人分だからそんなに多くはない。宿代は銀時計で自動引き落としだから含まない。機械鎧の整備代と諸々の経費。そして、公衆電話代。
「電話代…?」
俺は、その自分で書いた数字を凝視した。横から可愛い弟が、何睨んでるのさ、と声をかけてくる。睨んでいないことは弟は百も承知だが、わざとそういう言い回しをするのは彼が俺をからかいたいからだろう。今日は雨で、俺は今朝から楽しくなさそうな顔をしていたから気を回してくれているのかもしれない。なんて可愛い弟だろう。
「いやあの……俺の計算間違ってんのかな…?」
大きな身体をベッドに座わらせた弟の隣に座って、俺は紙を差し出した。弟は読んでいた雑誌を横に置いて、それをじっと見る。しばらく沈黙した後、がしゃんと身体を動かして、
「間違ってないと思うよ。多分。」
「そ、そうか?なんか……多くね?電話代。」
俺はペンでその数字を囲った。先月よりも明らかに増えた電話代。弟はしかし笑い声をたてた。
「だって兄さん、今月よく電話してたじゃない。駅からとか、宿からとか。」
「そうかな…」
俺はきまりわるそうに木製に椅子に戻った。なんとなく気恥ずかしいのは、その電話の相手が、俺の場合は明らかに一人しかいないという事実だあったから。
「そういえば最近、会ってないね。」
「う?うん、そだな。わざわざ行く用もねーしな。」
雨脚を速めて窓が揺れる。まだ昼過ぎたというのに空にたちこめた雨雲のせいで外はすでに薄暗い。早めに銀行行っててよかった。そう思いながら俺は軋む左足の付け根を軽くさすった。
「誰と、最近会ってないの?」
弟の不意打ちの質問は、俺の聴覚を刺激した。へ?と顔をあげると、弟がおかしそうに笑っている。表情はないけれど、彼の感情はわかる。いや、わかっているつもりだ。そして、俺は彼の言いたいことに気づいて赤面する。
最近会ってないね。会ってない人間なんて、いくらでもいるじゃねーか。俺はそれでも一番にあいつの顔を思い出してしまった。
「ば、馬鹿アル!アルの馬鹿!」
「焦っちゃって兄さんたら〜。ほんとは会いたいんじゃないの?」
「誰とだよ!?」
「誰かさんと。」
「ッ…!!」
俺はアルに喧嘩で勝ったことがなかった。それは取っ組み合いだけではなく口論でもそうだ。俺たちの口げんかを聞いたマスタングが俺に向かって感想を漏らしたことがある。
「鋼のは案外口べただね」
口先ばかりのあいつに言われても腹はたたなかったからその時は左ストレートのみで許してやったけど。
それはそれはさておき、俺はむすっとしたまま黙り込んだ。沈黙している限り俺が負けることはない。アルは、嘆息したように体をかたむけてから、
「じゃあ会いに行ってみる?」
「だから誰に!?」
「往生際が悪いなぁ兄さんは…」
アルの声を聞きながら俺は立ち上がって窓辺に立った。部屋は三階。眼下には色彩豊かな傘がちらちらと揺れている。俺は深く深く息をのんだ。雨天独特の湿った空気の味がする。それを吐き出すようにして、俺は言葉を発した。
「会ったって仕方ねぇだろ?別に用事もないし…」
「あのね兄さん…」
「用もないのに会いに行くなんて時間の無駄だろ。」
「もう…」
「あんだよ、正論だろ?」
俺は窓の外を眺めたまま。反射したアルに視線を走らせた。
「まあ正論だけどもさ。」
「ほら。」
「じゃあ兄さんは会いたくないの?マスタング大佐に。」
あからさまに人名を言われて俺の正論は崩れかけたがそこはなんとかもちこたえて、言う。
「会いたいさ。」
「あ、兄さん正直になったね。」
「会いたいけどもだな!!」
弟の静かな言葉に俺は振り返って声を張り上げた。
「会いたいけど……別に今すぐ会う必要はねぇ。理由もねぇ。違うか?」
「………。」
優しい弟は、それ以上その話題を口にはしなかった。
夜、何度も目が覚めて、そのたびに胸がむかついた。俺は目が覚めるたびにトイレに行ったり水を飲んだりした。
布団を頭までかぶって、強く目を閉じる。起きればいやなことばかり思い出した。やっと眠れば、いやな夢ばかり見てしまう。共通しているのは、俺と、もう一人の男が常に出張っているということ。
黒い髪、黒い瞳、大きな手と、低い声と、それら全てを所有する、やけに自信満々の男。
なんだってんだ、と声に出して呟く。おまえのせいで電話代かさんでんだよばーか。
「ばーか…」
もごもごと呟く。いつのまにか雨はあがったらしく、外はやけに静かだった。俺の寝返りをうつ音、布団を引き上げる衣擦れの音だけが響く。
俺は強く瞳を閉じた。そうして、朝が来るのを一人待ちわびた。
「ひつじが二万頭…」
宿の一回で一人朝食をとりながら俺はぼやいた。結局眠れなかった俺は、リゼンブールにいたたくさんの羊を思い出しながら数を数えてみた。こんな方法で寝れるのか、と思ってやったのだが案の定眠れずじまい。とんだ迷信だっつの、と俺はかりかりのベーコンをくわえながら羊を恨んだ。
いやまで、羊は悪くねぇな。俺は恨みの矛先を変更した。悪いのは焔の錬金術師であるはずだ。
電話代は増えるし、やたら夢には出てくるし、なんだか胸がムカムカする。その全ての根源は奴にある。
「……。」
俺は、朝食を食べ終わると決意を固めた。すくっと立ち上がって、机に代金を置いて階段を駆け上る。ドアを開け放てば、朝日に照らして本を読む弟の姿があった。
「あ、兄さん。」
「出発すっぞ、アル!」
「え?どこに?」
「イーストシティだ!」
俺はどうして?何かあったの?と質問を繰り返す弟を背にさっさと荷造りをした。壁にかけてあった真っ赤なコートを肩にかけ、部屋のキーを指で掴む。
「ね、兄さんどうしてって聞いてるのに!」
「マスタングに会う。」
「マスタング大佐に?あーやっぱり兄さんほんとは会いたか…」
「あいつに電話代請求してやる…!!」
「へ?電話代?」
小首をかしげる弟に俺はにやりと笑った。拳を握り締め、力強く天井に突き出して、声高々に宣言する。
「ふっふっふ、覚悟しやがれ似非国錬!ってことで行くぞ、アル!」
「あ、ちょ、兄さん待ってよ〜!」
俺は走り出した。駅まではそう遠くはない。晴れ渡った青空を映し出した水溜りを蹴って、俺はなんとなく心が軽くなった気がした。