NY1926


温かい、大きな手が俺の頬を撫でて、目の前には優しい笑顔があった。俺は、温かい吐息を吐き出して、彼の大きな腕に流れる。手が、優しく身体を包み込んで、下腹部をいやらしく這いずり回る。何事か、耳元で囁かれて息を吹かて力が抜ける。早く、ちょうだい。鼻にかかっただらしない声を喉から吐き出して俺は腰をすりつける。相手の猛ったそれに自分のものを擦り合わせて、快楽を貪った。こんな行為、やったことない。俺は夢中になって、相手の唇を吸う。こんな厚くて熱い舌、他にない。後ろを開かれる感触。ああ、早く来て欲しい。熱くて硬いもので、中を埋め尽くして欲しい。狂うほど突き上げて、流した汗で二人溶けてしまえばいい。結合部から、いやらしい音がなる。俺の前からじわり、と溢れてきて、それが内股に垂れてきて不快感。
ああ、ねたねたする。俺は目を瞑った。あーねちょねちょする。
俺は相手を見た。顔が見たくなった。名前を呼びたくなった。黒い髪を撫でる。俺の耳に埋めていた顔を、頬を撫でてそっと上げてみる。薄い、唇と薄い色素の肌。彼は、俺の名前を呼ぶ。それは聞きなれない響きを伴って、耳の奥でごわんごわんと大きな鐘のように鳴り響いて。どうしてだろう、俺の上手く舌が回らない。光に包まれて浮かび上がった相手の顔が見えない。相手が誰だか、知っているのにわからない。俺はどうしようもない恐怖に取り付かれた。内股に広がる不快感が、後ろを熱くする快楽を上回る。

そして、その時、俺の目が覚めて全てが朝日の中に掻き消えていた。

「あーあー…」
俺は白いベッドの上で嘆息した。恐る恐る持ち上げた布団を、恐る恐る元に戻す。やってらんねぇよ、と呟いて、とりあえず頭をかく。下腹部と内股を派手に汚した俺はのろのろと布団から降りて、とりあえず弟に見られないようにシャワーを浴びなければと急いだ。下着と服を掴んだ。
それにしてもこの年になって夢精かよ、と俺は熱い湯を身体に浴びながら嘆息した。
今年21を迎える俺は今や立派な社会人。この世界に放り込まれてもう6年になる。かつていた場所からはなれ、今いるここはアメリカ、ニューヨーク。弟と二人、アパートを借りてそれはそれはつつがなく生活していた。
遡ること、3年。
それは、1923年の11月だった。18歳だった俺は念願の弟との再会を果たし、片方で大切な親友を失った。父親も、死んだ。そして俺は過去へ戻る道を捨てた。ミュンヘン一揆という騒動があった地を、俺は離れる決意をする。インフレーションに喘ぐドイツを後にした俺は、イギリスを経由してアメリカへ渡った。
その頃のアメリカは、移民に溢れる消費社会だった。ベルトコンベアにより大量生産されたT型フォードが道路を走り、あらゆる人種の人々が街を埋め尽くす。先年のドーズ案の成立を機に景気も回復に向かいつつあった。アメストリスの公用語はアメストリス語だ。しかしそれはこちらでは英語、と言うようだった。この二つは基本的には同じ言語だ。アルフォンスは、アメリカの気風に少しずつだが無事なじみつつあった。ドイツ語を解さない彼のためのアメリカ移住でもあったので、俺は彼が楽しそうに地元の学校に言ってくれるのを素直に喜んだ。アルフォンスは今年、16歳になる。最近やたらとモテるらしく、時々俺でもびっくりするような美少女を連れて帰ってくるから内心焦る。焦るだけで俺にはあんまり関係ないんだけど。
21歳で立派な社会人、とは言ってもたいした仕事なんかしていない。昔、ロケット工学を学んで日夜研究に明け暮れたのが嘘のようだ。それでも俺は、夜間だけ大学に行って勉強もしていた。結局そういう性分なのだと諦めて、俺は結構忙しい毎日を送っている。アルフォンスばりにモテはしなかったけれど、こっちにきて恋愛もしたし、彼女だって出来たり分かれたり。その数は………弟なんかとは比べモンにもなんねぇんだけどさ。けっ。
風呂から出ると、おはようというアルフォンスの笑顔。俺は軽くおはようと返して出来上がったコーヒーをカップに注ぐ。アルフォンスのコーヒーは薄い。俺は、昔いたところの名物コーヒーを思い出した。こちらでは、アメリカンというのだが、そんな言葉、アメストリスのあの小さな軍司令部には存在しなかった。
「うっすいなー。」
「あー!またそんなこと言う兄さん!」
口をとがらせる弟に笑って、俺は用意された食事を取る。今日は俺は休みだった。薄く焼けたトーストにハムとレタスとを挟んで、正面に座ったアルフォンスを見る。
「そういやお前の今日の予定は?」
「今日は午前中は部活に行くんだ。兄さんは?休みだっけ?」
俺は頷きながら、新聞に目を通す。ドイツの国際連盟加入の記事を読みながら、なんとなく昔のことを思い出す。そういえば、少し前まではあの国にいたんだな、と。
「じゃあ、僕学校行ってくるね。」
大きな鞄を肩から提げた弟を見送って、俺は布団を洗濯した。掃除は嫌いだが、時々するとものすごく楽しい。俺は鼻歌を歌いながら、真っ白いシーツを狭く小さいアパートのベランダに干した。アルフォンスの分もついでに洗う。
「そういえば。」
日のあまり当たらないベランダからせまい空を見上げて、俺は一人呟いた。
「なんであんな夢見たんだろ、俺。」
わからない。昔の、そして多分初恋と呼べる相手を夢に見るなんて。それはもう数年ぶりの出来事で、しかも内容が内容だけに俺は考え込んでしまった。射精までして、俺って最近たまってんのかな、と真剣に悩んでみるが馬鹿らしいので止めた。たまってなくはないだろう、俺だって男なんだから、と自分でも意味のわからない言葉で納得してみる。
俺はそれから家を出た。学校のアルフォンスを迎えにでも行こうかなと思って、ゆっくりと足を向ける。途中、立ち寄った小さいカフェで昼の軽食を食べながら、夢で呼べなかった名前を思い出した。口の奥で呼んでみる。
「大佐…」
「呼んだかね、鋼の?」
俺ははじかれたように顔を上げた。向こう側の席の知らないおじさんと目が合って慌てて視線をサンドウィッチに戻す。こんなところにいるはずもないのに。メロンソーダの上のアイスクリームをストローで壊しながら俺は苦笑した。あの、焔の錬金術師が、こんなところにいるはずがないのに。

俺ってばもしかして会いたがってる?そう思って、しかしそれは笑いを呼んだ。それはないな、という断言とともに。あの人は俺の大切な人だし、未だに好きだ。けれど、それはなんだか不可侵な領域に存在するものだった。人ではなく、記憶だと思う。あの人の記憶は、俺の身体を今でも時々満たしてくれる。不意に思い出して、笑ってみる。ただそれだけ。会いたいとか、抱き締めて欲しいとか、そういう肉欲的なものからは既に開放されていた。
だからこそ、俺にはあの夢が解せなかった。なんでだろう?とすっかりバニラの溶けてしまったメロンソーダをすすりながら考える。
あの人と離れて生活するようになってもう何年たつだろう。離れて生活、っていっても同じ世界にいた頃からそんなにしょっちゅう会ってたわけじゃない。むしろ、会わない日の方が多かった。時々会って、再会を喜んで抱き合って、キスをして、セックスをして。執務室でも、資料室でも、トイレでも、公園でも、そしてもちろん大佐の家のありとあらゆる場所で、ヤった。今思えばすごいカップルだな、と俺は若い頃の俺にはらはらした。ヤりすぎだろ、と今なら思うだろう。なのにその時はそれでも求め合った。貪欲だったと思う。そして、大佐とのセックスはとても気持ちが良かった。
こちらへ来てから、彼以外と俺は身体を重ねることがあったけれど、相手はみんな女性だった。それぞれに愛したし、それぞれに気持ちもよかった。と思う。けれど、夢の中で見た、大佐との行為の時とは、なんだか違う気がした。相手が男だから、そういう答えもあるかもしれない。けれど俺は肯定しなかった。
それは多分、大佐が俺の初恋だからだ。大佐は俺の初恋の人で、俺が初めてセックスをした相手だった。この年になって、俺はセックスの中に打算と嘘とを見たけれど、あの頃の俺にはそんなものはかけらもなかった。全身全霊で相手を感じていた。俺が生きているうち、これ以上の相手は死ぬまで現れないと思う。そしてそのことに不満はなかった。

店を出て、学校へ足を向ける。広くもない校庭を眺めながら、学校の入り口まで行くと、丁度着替え終わったアルフォンスが友だちと談笑しながらこちらへ向かっているところだった。
「あ、兄さん!」
嬉しそうに手をふる弟に手を振り返す。弟は、鞄を肩にかけなおすと、友人と一言二言交わしてからこちらへ走り寄ってきた。
「あんだよ、もういいのか?友だちは。」
「うん、いいんだ。それより兄さん、何してるの?」
「何って、お前迎えに来たんだろーが。」
ニューヨークの街の治安はいいとは言えない。禁酒法が成立は、ギャングの活躍を誘発したのだ。俺はアルフォンスを連れ立って歩きながら、学校のことを尋ねた。
「うん、楽しいよ!」
弟のこの返答に、自然口元を綻ばせる俺。しばらく会話をしながら歩いて、俺は視線を遠くに向けた。
あの人と別れて後、18歳の俺は一度あの人に会った。それは予想もしていない形で、一瞬の出来事だった。夢のような、というと聞こえはいいが、目まぐるしく変動する現実に頭がついていけなかった結果の表現でしかない。
「その眼帯、似合わねぇな。」
悪態は反射神経のようにあふれ出るのに。俺はそれ以上何も言えなかった。
後悔はしていない。あの瞬間は、した。けれど今はもう、後悔なんてものはない。
「ねぇ兄さん」
「ん?」
「今晩はシチューにしよーよ。」
「お、それいいな!」
沈みかける夕日に照らされた弟の色の濃い金髪を撫でながら、俺は笑顔で答えた。











大佐、門通過説主張さま向けおまけ。